元旦から冬眠(休職)してます (nya.433)

境内の椿

境内の椿

とりあえず3ヶ月巣ごもりします。合掌 (2018年1月5日)

ブログにも何度も書き、その上で長い間悶々として(嘆息)皆様にもご心配をお掛けしましたが、昨年の12月にようやく「休もう」と決断し3ヶ月の休職をGET、このほどようやく心穏やかな時間を得ることができました。

【乳癌ステージ4】である私が抱える症状は、仕事中に襲われる睡魔、疲れた時に背中の痛みを感じる、気圧の変化に対応できず頭痛やめまいがおきる、というもので、どう考えても楽をさせてもらっていると思いますし、末期癌自体は「現状維持」の私が「休む」なんて我儘か怠慢ではないかと自問自答の無限ループに嵌まってしまいました。(笑)

2017年の8月30日に骨折して2ヶ月休職、その後10月末に復職、休職したことによる体力の低下が「自然治癒」的に復活することはない、と認めるのに「1カ月半」、私にとっては十分に長い時間でした。(嘆息)

左半身不随の兄を持つ身として、何を食べてもおいしく、気軽に旅行し、仕事に通える自分がいかに自由を謳歌しているか身に沁みて分かるだけに、躊躇する気持ちが大きかったのです。

境内の山茶花

境内の山茶花

でも結局「楽しい方をとる」ことにしました。(笑)

自分が経済的に自立して生きることで、両親世代の幾ばくかの蓄えを兄に残すことが可能になり、家族の最後の一人が兄になったとしても困ることのない環境を整えられるという考えが、私を縛ってきましたが、今の私は仕事を続けることが「苦しい」のです。

所詮凡人の私、「苦しさ」を長く抱えて生きる度量がなく、そうなると「ひがみ」が生まれ、それでは本末転倒なのです。(笑)

「ひがみ」は、誰も幸せにしません。

兄には「非力な妹」を持った不運を嘆いてもらって(笑)、「分相応に」これからも支えていけばいいと思い切りました。

境内の山茶花

境内の山茶花

そうして心を決めて迎えた元旦。

82歳の父、両目の緑内障で入院した母、血中の酸素濃度低下で入院した左半身不随の兄、【乳癌ステージ4】で休職を決めた私と風太、「ギリギリ家族」が何事もなかったように揃ってお正月を過ごしました。

今回のお正月は、本当に「ギリギリ」でした。(笑)

良く晴れて暖かく穏やかな元旦に、近所の氏神様に初詣して、風太と散歩をしました。

奇跡にもいろいろあると思いますが、私が「今」過ごしている時間が奇跡なんだと、暖かな冬の日差しを顔に受け、抜けるような青空を見上げて思いました。

境内の山茶花

境内の山茶花

私の幸せは、いつも小さな幸せだなぁ、と思って笑いました。

野辺に小さな花が咲いている、きれいな青空にかわいい形の雲がある、気持ちいい風が吹いている、大切な人が笑っている、友人が私を訪ねて我が家にくる、おいしいものを食べてくだらないことで笑う、遠くから風太がしっぽをピンと立てたまま走ってくる、朝起きると風太が私の顔に背中を押しあてて寝ている。(笑)

境内の山茶花

境内の山茶花

かくして休職は始まったばかりです。

今はひたすら、ゆっくり休んで「十分に寝た」と思えるまで休養します。

その後は、右足首の腓骨骨折で崩れたバランスを取り戻すため体調を整えたいと思っています。

私という人間は本当に自然の中に生きているのだと思って、これまた笑ってしまいます。

立冬(11月7日)から小雪(11月22日)大雪(12月7日)を経て冬至(12月22日)に向けて体調が落ち込み、今日の小寒(1月5日)から大寒(1月20日)、立春(2月4日)まで「巣籠り=冬眠」です。

立春を迎える頃には、梅の花の蕾がいよいよ膨らんでくるように、私の体調も上向きになるのだろうという「予感」がします。(笑)

雨水(2月19日)啓蟄(3月6日)春分(3月21日)の頃には、どんな景色が私の目に映っているでしょう。

境内の山茶花

境内の山茶花

不安や恐怖を手離せないのは、不安定な状況に身を置いているからではなく、いつも護っていただいている大いなるものに対する「信じる心」が不足しているからだと昨年学びました。

自分が【乳癌ステージ4】の末期がん患者だと知った時、足元の地面がパックリ割れて、水中に放り込まれ、どの方向にもがけば水面に顔を出せるのかも見失った「あの時」、私は自分が安全な地面を歩いていると思っていたのです。

先を見通す力がないからこそ、その日が来るまで不安なんてどこにもありませんでした。

そんな私が、先のことを案じて「ああでもない、こうでもない」と考えることが滑稽なのです。

またぞろ「不毛なループ」に嵌まった私を見て、いつも見守り、導いてくださっている守護霊さまやら守護天使さまたちは大笑い。

そして「やれやれ」とため息をこぼされたことでしょう。(笑)

大雑把にして迂闊な私が、ここまで生きて来られたのは、ひとえに「護られて」いるからに他ならないのに、「損得勘定」に振り回されて、都合よく自分の力だけでなんとかしようと悶々とする私の頭を、思いっきりはたけばいいのか、ナデナデしようかと腕組される姿が目に浮かぶようです。(笑)

ともあれ、今日は小寒。

冬眠にふさわしい時期に冬眠できる喜びを風太と分かち合い、暖かくした部屋で巣籠ります。合掌。

ねこ、風太 寝る

 

次は

です。

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元旦から冬眠(休職)してます (nya.433)” に対して10件のコメントがあります。

  1. ゆうこ より:

    よかったです
    ほっとしました
    ふるゆらさんはこの度大きなものを
    手放したのですから、同じくらい、いや
    もっと大きなものを得ると思います
    お兄様を支えるものはお金だと思っていたのが
    実はそうではなかったと分かると思います
    お金では無い、と分かってはじめて必要なお金や
    援助がもたらされるのです
    普通は、不安だから蓄えて、困った時にそれが
    助けになるだろうと考えますが、それではあべこべで
    蓄えは足りず、目減りして結局困った事になったりします
    お兄様と同じ状況で天涯孤独の人が沢山おられますが
    その方達は裸で食べるものも無く外に放っておかれている
    訳ではないですもんね
    福祉が住むところ、生活に必要なもの、医療、介助人などを
    無料で提供してくれます
    理想的で快適なものではないかもしれませんが
    そこから先は残酷なようですが、お兄様のこの世で請け負った

    運命の範疇になり、家族でも介入出来ないのだと思います
    お兄様は人生の超難関コースを歩まれる勇敢な魂の持ち主です
    その行く道は険しくとも神様の特別な慈愛の目が
    注がれているはずです
    まずこんな人生の上級者であるお兄様の妹だという事を
    誇りに思ってくださいね

    1. ふるゆら より:

      ありがとうございます、ゆうこさん。

      ゆうこさんの言葉はいつも「深い」なぁ、と思いながら拝読しています。

      兄がくも膜下出血で倒れ、高次脳機能障害で左半身不随の障碍者として生きていくことが決まった時、兄にとって命が繋がれたことが幸せなのか、障碍を抱えて生きていくことをプライドの高い兄が受け入れられるのかと、考えました。

      いっそ、くも膜下出血で倒れそのまま、という方が良かったのではないかと思わずにはいられませんでした。

      その頃のこと、「福子(ふくご)」という言葉があることを知りました。

      民間伝説として「福子伝説」というものが日本各地に存在し、「障害児が生まれるとその家は栄える」という言い伝えです。

      そうした子供が生まれると、その子が一生困らないようにと、家族全体が心を合せて仕事に励む結果が、その家を栄えさせることになるという「伝説」なのです。

      今まで常に私の前を走っていた兄は一旦死んで、「福子」として兄は生まれ変わったんだと思いました。

      そしてその時思ったんです。

      離婚経験者の兄と生涯独身の私、幸せな神前の誓いとはかけ離れていますが、これはもう「死が二人を分かつまで」手を離すことのない私たちなんだと。

      両親は現在も健康なまま健在ですが、両親が不在になった時、同世代に生きる肉親として「兄を見送る」のは私なんだと思いました。

      そして私が末期がんだと知った時、「私が先かも」と思い焦りが生まれました。

      「万全を期す」と思ったことは、神ならぬ身の私が身の程知らずだったのだと、今は分かります。

      残念無念です。

      甲子園の決勝戦で敗れて泣く高校球児の気持ちです。

      勝利を逃した口惜しさと負けを認めた清々しさがあります。

      「もう戦わなくていい」という安堵が大きいかもしれません。

  2. ともろー より:

    小さな幸せ毎日いっぱい感じながらのんびりいきましょー

    ここに来るとほっこり幸せもらってますよ。

    1. ふるゆら より:

      ともろーさん、ありがとうございます。

      実は私、こー見えて「とことん」のんびりできるんです。(笑)

      それが分かっているからこそ自分を追い立てていたのですが、どうやら卒業のようです。(笑)

      病気が分かる前、仕事をしている時の私は「馬車馬のよう」に働きました。

      でも、風太と散歩している私が本来の私です。

      明日は明日の風が吹くさ、と心底思えるようになるまで、「冬眠」です。(笑)

  3. ココア より:

    ふるゆらさん

    冬眠しながら次なる力を蓄えていけると思います。
    と言っても頭の中は様々な模索の花が咲き続けているのでしょうが、今はゆったりのんびりと時の流れをお楽しみください。沢山の発見と実践が芽吹いてくることでしょう、楽しみです。

    立場が違いますが、ふるゆらさんと重なることがあります。
    20年前マスコミ業界の仕事をしていた夫がふるゆらさんと同じく27年間勤務後フリーになるため会社を退職しました。当時は激務で不規則生活が続きいつ倒れてもおかしくないほど身体が無理な状態だったので「取り敢えずその仕事をやめて欲しい」と勧めたのは私です。
    退職しても引き継ぎやフリーで希望する仕事の編集業務など海外を飛び回りながら執筆の仕事をしていたのですが、少なくとも精神的には大変楽でした。
    先の見えない決断を共有したものの生活の立て直しが先決でサラリーマンからフリーランスの生活は家庭が小さな会社のようなので電話応対など事務的なことからが多忙でした。
    収入は予想がつかないほど不安定、息子たちの教育費が一番ピークな時期だったので何もかも真剣勝負で緊張して過ごした時が多かったです。
    それでも折々の困難も無事にくぐり抜け、人間の底力で耐え抜く力が降り注がれ何とかなるものだなあと実感しています。感謝ですね〜
    あの時退職しなければ死んでいたと本人も言っています。

    4年前夫が肺癌、3年前に私が乳癌になった時も何とかなる、何とか治して生き続けようと思いました。まだまだ世の中、世界の知らないことが多すぎなので可能な限り生活を通して見ておきたいのです。
    老夫婦の身体はちょっとグータラでヨレヨレですが、これが心豊かに生きる目標かと無い知恵が申しております。的外れでしたらお笑いください。

    1. ふるゆら より:

      ココアさん、ありがとうございます。

      私は、私の拙い文章でブログを書き始めた時「ありのままでいこう」と心に誓いました。

      カッコつけたり、盛ったりせずに、等身大の自分を書くのなら、誰かの心に届くだろうと信じたのです。

      なので今回の「悶々」も、省略せずにグダグダ感満載で(笑)、心が迷走するままに書きました。

      そうすると、ココアさんをはじめいろんな方がご自分の経験を語りながら私に共感し、励まし、見守ってくださいます。

      それぞれの方がそれぞれの事情と想いを抱えながら、「大丈夫、大丈夫、気楽にいこう」と明るい言葉を選んで、私に贈ってくださるんです。

      コメントをくださるほとんどの方が乳がんと向き合わざるを得ず、厳しい道を歩まれています。

      みなさんの優しいお言葉を思うと、私はお花畑にいるようです。

      激しい雨に打たれても、わずかな日差しに顔を上げて咲くそんな逞しく凛としたお花に囲まれている私は幸せ者です。

      はい、ココアさん、ココアさんがおっしゃる通り、生きていればこそ新しい風が吹き、新しい風景に出会います。

      向かい風でも

      つむじ風でも

      寝転んでしまえば そよ風

      クリスマスのブログでご紹介した『みんながみんな英雄』の歌詞の一部です♪

      しばらく「そよ風」を楽しみます。

  4. のんち より:

    ゆっくり静養されてくださいね(^-^)

    毎日 奇跡の連続ですよね
    奇跡の連続で今を生かされてるんだなーって思います( ´∀`)
    当たり前のことはなにひとつないから
    ほんまに日々感謝です
    小さな幸せがいっぱいで
    それがほんまの幸せですよね
    アタシも感謝でいっぱいの一年にしていきます‼

    ありがとうございます(*´∀`)

    1. ふるゆら より:

      特別じゃない

      英雄じゃない

      みんなの上には空がある

      雨の日もある

      風の日もある

      たまに晴れたらまるもうけ

      ですね♪

  5. さんかく より:

    一年八か月前、胸骨転移の為、どんどん歩けなくなり、急遽退職しました。三回の手術、抗がん剤、放射線と、ジェットコースター並みに治療が進む中、心は穏やか。 「もう休んでいいんだ。ずっと眠っていていいんだ。お弁当も作れない、家事も出来ない、でも、歩けないから、仕方ないから、いいんだ。やっと休める。朝早く出勤するのに、バタバタして出かけなくていいんだ。このまま、死ぬとしても、今この時がいい。疲れた。」と、ベッドの中で思っていたのでした。二年間くらい、ずっと身体が鉛のようでした。
    周りを優先して、自分を後回しにすることが、家族の幸せ、そして自分の幸せと思っていました。      そして八年も疑わしい、いやはっきりとおかしい乳房を放置しました。色々な事情で、今、私のことを考えている場合でないと。   そして、強制終了の日が訪れました。                      一年八か月の間、自分を大切にすること、家族の問題をそれぞれに返すこと(もちろん寄り添い、手を貸しますが)を学びました。  私が私を大切にすること、それが実は家族の願いでした。 
    今私が新しい仕事をスタートさせるのは、自分の為です。(家計のこともありますが) また、たくさんの人と巡り合いたい、新しい自分を探したい、そういう気持ちになったからです。きっと、十分休んだおかげでしょうね。   どうなるか分からない、やっぱり無理だ~と思うかもしれません。なんせ、背中にはボルトが入ってますから~。    
    ただ、どんな状況になっても、自分の心の声を聞きながら、生き切って行きたいと思います。
    ふるゆらさん、決断されたこと、今の心に従ったこと、今、間違っていないと思います。ゆらりと暗中模索して下さいね。

       

    1. ふるゆら より:

      さんかくさんのコメントを読み、さんかくさんが経験された大変な日々を思い、2年間かけて身体と心を再生されたことを知り、私の頭にバカボンのパパの声で「それでいいのだぁ」が響きました。(笑)

      私の場合は「自覚症状がなく」自分が乳癌ステージ4だと知ったのですが、それまで「馬車馬のように」働き続けていましたので、「私は病気、しかも大病、もうあんな風に働くことを自分に求めなくていいんだ」と思った時、私もさんかくさんのように、安堵とも解放とも言い難い静かな喜びがありました。

      雨に打たれている間、ずぶ濡れで下を向いて耐えていた花が、お日様と風で乾き上を向くように。

      さんかくさんが心に新しい風が吹き込むことを求めるように。

      わたしもまた、自然に「そう」思える時が来るまで、ジタバタせずに待とう、と思えるようになりました。

      地球滞在型リゾートの楽しみ方は無限です♪

      病を得て、せっかく「旅人の視点」から日常を楽しむことを知ったのですから。

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