夏至という日に思うこと (nya.235)

夏至の朝

夏至の朝

時が過ぎることが嬉しいような寂しいような「夏至」の日です。 (2017年6月21日)

今日は夏至でした。

待望の雨が降りました。

梅雨入り宣言以来の本格的な雨です。

山も田んぼも畑も花壇も農道もあぜ道も、植物たちが一斉に「はぁぁああぁぁああ、助かったぁ」と大きくため息をついているのが聞こえました。

夏至の朝

夏至の朝

このブログ『にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活』を書こうと思い、本格始動を始めたのは去年の秋分の頃でした。

昼と夜の時間が等しく、これからどんどん日が短くなるけれど、まだふんだんに夏の名残を留めていました。

それからどっぷり「ブログの海」に沈み、繰る日も繰る日も【乳癌ステージ4】と診断を受けてからの3年間の追憶を言葉に変換する日々を、無我夢中で「手探り」しながら進みました。

去年の冬至は、そんな悪戦苦闘の日々の中の一日でした。

イエスキリストさまのお誕生日である「クリスマス」が、太陽の復活を意味する冬至と重ね合わされていることを思い、そして、冬至以降に本格的な寒い冬が訪れるものの、その中に確実に春の兆しがあることを思いました。

冬に雪の下で眠っている種が春の日差しを受けて「薔薇の花を咲かす」そんな可能性を秘めているのが冬なのだと思いました。

夏至の朝

夏至の朝

そして立春を迎え、私はブログを書き始めた当初に自分に課した「100回は毎日書き続ける」という目標を達成し、大きく息をつきました。

立春はまた、私が【乳癌ステージ4】だと知り、人生の大きな分岐点となった季節です。

今年の立春は、末期がんの私として3年間生き、4年目に突入する節目でした。

春分の日には、【乳癌ステージ4】の3年間の追憶を無事書き終え、「リアルタイム」の私をブログに書き始めていました。

2014年3月に自分が【乳癌ステージ4】だと知って以降に経験したアレコレについては、骨転移無数、リンパ節転移無数で「末期がん」の告知を受けたことから、放射線療法を受けて放射線食道炎になったこと、ホルモン療法を受けてのんびりしていたら腫瘍マーカーがすとんと下がったこと、2015年7月には骨転移が4か所に激減したこと、その間に私が生活に取り入れた様々な「天地人の恵み」等々、どれも多くの人に知ってもらいたいと思いブログに書きました。

私の体験が「小っちゃな懐中電灯の灯りくらいに誰かの心に届いて欲しい」と祈りながら書きました。

夏至の夕暮れ

夏至の夕暮れ

そんな切実な想いを言葉にしてしまった後、私に残されたのは「平凡な日常」だけであることに気付いて恐怖を覚えました。

本当に有難いことに、【乳癌ステージ4】の身体で望外に穏やかな日々を生きることを赦されている私は、ブログで不特定多数の人に「お知らせ」するような出来事と無縁に生きている凡人です。

凡人の日常をあえて「お知らせ」する意味が果たしてあるのだろうか、と悩みました。

でも、私自身は「平凡な日常」が愛おしくてならないのです。

愛猫の風太と四季折々の自然に囲まれて生きる日常が、宝物です。

「癌告知」を受け、「末期がん」だと知り、『人生は有限なんだ』と肝に銘じて生きることの素晴らしさを知りました。

「リアルタイム」に突入したブログは、開き直って、私が心底愛おしいと感じている「平凡な日常」を自慢することにしました。(笑)

夏至の夕暮れ

夏至の夕暮れ

乳がんのブログなのに、乳がんのことに「これっぽっちも触れない」ブログを書き始め(笑)、愛猫風太と田舎の風景だけをアップし続けました。

『こんなのじゃぁ乳がんのブログじゃない、詐欺だと思われて誰も読んでくれなくなるかも・・・・・」と、心配もしました。

が、夏至を迎え、4カ月経過した現在も多くの方が読んで(見て?)くださっています。

まことにかたじけない、合掌。

夏至の夕暮れ

夏至の夕暮れ

今日、夏至の日を迎え、ブログを書き始めてから随分時間が経過したように思えるのに、まだ1年が経過していないことに驚きを感じました。

自分が【乳癌ステージ4】だと知る以前と以後の自分が、継続していながらも「大きく隔たっている」ように、ブログを書く以前と以後の私もまた、「大きく隔たっている」と感じています。

それほど、私にとってブログを書くことは大きなインパクトを持つ体験です。

時間の経過の体感が均一ではないことを改めて実感します。

【乳癌ステージ4】でありながら生きることを赦された時間の長短は、神さまにお任せしていますので、思い煩うことのない私ですが、ブログを書き始めたことで「より鮮明で、より濃密な時間」の経過を楽しめていることは、ささやかではあるものの、時間を与えてくださった「神さまのお心にかなう」ものではないかと、少しだけ安堵しています。合掌。

夏至の夕暮れ

夏至の夕暮れ

これから本格的な夏を迎える「夏至」の今日という日にもやはり、秋と冬がかすかに含まれていることを思い、その季節に自分がどのように生きているのか、と思うのでした。

夏至の夕暮れ

今日の夏至の夕焼けは、5分間の出来事でした。
一瞬、空をバラ色に染め、次の瞬間には梅雨の空に溶けてしまいました。

次は

です。

 

 

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夏至という日に思うこと (nya.235)” に対して4件のコメントがあります。

  1. ののはな より:

    なんて美しい夏至の夕暮れでしょう!なんだか目の前の小さいことにこだわっていた心が溶けてゆくような気がします。最高の風景のおすそ分けをありがとうございます。
    神様にゆだねて赦された時間を生きるのは私も同じです。人には明日のことは見えませんが、今与えられた時間を丁寧に生きてゆきたいと思います。
    神様のお心にかなう、祈りはかなえられると私は信じています。

    1. ふるゆら より:

      はい、あの夕焼けはたった5分の「夏至スペシャル」でした。

      美しい自然は、不思議に心を柔らかくしてくれます。

      たぶん、自然は限りなく大きく、人間は限りなく小さい存在だから安心するのでしょう。

      これから厳しい暑さの夏を迎えますが、昼の時間の長さは夏至を境に短くなっていくんだ、という事実に慰められます。

      今年の夏も、「緊急着陸」なしの低空飛行で乗り切りたいと思います。(嘆息)

  2. 金太郎 より:

    夕暮れの写真、涙が出そうになりました。
    掲載をありがとうございます。
    リアルでご覧になっていらっしゃるふるゆらさんが正直うらやましいです。

    でも、実は私の周囲にもある意味平凡であたり前であると同時に、
    貴重な愛おしい5分間は豊かにあるのですよね。

    ずっと駆け足で生きてきて、気になりながらも横目でチラッとながめて来ただけの諸々。
    ずいぶんもったいないことをしてきたように感じています。
    癌になって、良い意味でのブレーキをかけられました。

    ふるゆらさんのブログは私にとってやさしく明るい光です。
    これからも風太殿と田舎の自然を楽しみにしています。
    無理せずにず~~~~~っと続けてくださいね。

    1. ふるゆら より:

      はいはい、昨日の「夏至の夕焼け」は殊の外美しかったです。

      雲の多い空でしたので、ほとんど期待せずに会社帰りに車で撮影ポイントに向かい、「やっぱ、今日はハズレかな」と思っていると、見る見るうちに鮮やかな夕焼けが現れました。

      夏至の頃の田舎は、水田に水が張られているので空が映り込んで美しく、地元の風景でありながら「この世のどこでもない」ような非現実的な景色が立ち現れます。

      これまで「おお、美しい♡」と自分一人でPCのデスクトップで楽しんでいましたが、ブログにアップして「ね?きれいでしょう」と自慢できるのが楽しくてなりません。(笑)

      はい、この楽しみは可能な限り続けようと思っています。

      お気に入りの写真に出会った時は、「お知らせ」ください。

      褒められると育つ子なんです。(笑)

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