「無事こそ奇跡」とご先祖様に諭されました (nya.663)

 

夏の空

『ただ青い空の 青さを知る』♪ (2018年8月24日)

このブログで何回か紹介した『千と千尋の神隠し』のエンディングの曲『いつも何度でも』(歌手:木村弓 作詞:覚和歌子 作曲:木村弓)

映画自体が2001年に初公開されているのですから、もう20年近く、私の心に棲みついていることになります。

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい

悲しみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたびひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

ラララララララララ・・・・・・・・・
ホホホホルルルル・・・・・・・・

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

悲しみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

「大好き」と言うのとも違って、普段は思い出すこともなく過ごすのですが、何かの拍子に琴線に触れて「ああ、ほんとうに、その通りだな」と、歌詞とメロディーがよみがえります。

今年の夏に思い出したのは『繰り返すあやまちの そのたびひとは ただ青い空の 青さを知る』というフレーズで、このフレーズは、私の心の中で歌われる回数では最多です。

きっぱり「凡人であ~る」と胸を張って言い切ることのできる私ですので、「愚かしい」ことをするのは日常茶飯事、そのたびに反省していたのでは身が持ちません。(笑)

だから大概のことは『・・・人間だもの』と呟いて気にしません。(笑)

言うまでもなくこれは一世を風靡した相田みつをさんの

『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』

を手前勝手に使用させていただいているもので、まことにもって「万能薬」のように便利なお言葉です。(笑)

それでもたまに、「これはいくら何でも、ひどいんじゃないか、私」と、ため息をつきたくなることをやらかします。(嘆息)

今回は、どうやらお盆になり我が家に帰省しておられたご先祖さまたちが、お盆が終わってあの世とやらに帰られる際、『帰りがけの駄賃』として私の肩をポンと叩き、「しっかりせぇよ」と諭されたのだと思われるのです。

夏の空

今年のお盆も兄がわが家へ帰省し、「何事もなくお盆が終わったな」と思った矢先にその事件は起きました。

我が家は『ギリギリ家族』、こうして何事もなく過ごせることが奇跡なのだと分かってはいたのですが、「平凡な日々」というものは恐ろしく強い引力で「当たり前」という感覚を引寄せます。

『ギリギリ家族』は、いのししの父(83才=とても健康)たつの母(78才=心房室細動)たつの兄(54才=高次脳機能障害、左半身麻痺)ひつじの私(50才、浸潤性小葉癌ステージ4)という構成です。

血液型や星座や干支によって性格が異なることを否定される方も多くいらっしゃいますが、私はそうは思いません。

目の前の草が食べられたら「万事OK」、あとは些細なことに過ぎないと考えるひつじの私にとって、いのししx1、たつx2の方たちは、本当に「激しい」のです。(涙)

あの方たちは「闘いを厭わない」気性を持ち合わせておられます。(嘆息)

したがって、些細なことについて「闘う」のです。(涙)

兄の帰省はだいたい2週間ですが、3日も経過すればバトルが始まります。(嘆息)

兄の帰省が終盤を迎える頃、私は兄の帰省が終わる日を指折り数えてしまいます。(笑)

そんな気持ちで、お盆を過ごしました。

我が家はお盆になると、仏壇から位牌を出し、床の間の飾り段に仏膳と一緒に並べて般若心経を唱えます。

送り盆が終わった夜は、仏膳にお供えしていた食べ物を下げ、仏膳をきれいに洗い拭きあげるまでが、女の仕事です。

「やれやれ今年のお盆も終わり、そろそろ、ご先祖さまたちはあの世に帰られたのでしょう」と、送り盆の後片付けも終わった深夜、事件は起きました。

夏の空

ガシャンという音が聞こえたので、最初は母親が2階の自室からトイレに行こうとして階段を落ちたのかと思いました。

その後うめき声等も聞こえないのでそのまま寝ようかとも思ったのですが、やっぱり気になって、確かめがてら、私自身がトイレに行くことにしました。

するとなんということでしょう、廊下で兄が転倒し、庭に面した廊下のガラス(90x180cm)を派手に割った中に座り込んでいます。

見たところケガはなさそうですが「大丈夫?」と聞くと、兄は「転んだ時にひじが当たってガラスが割れた」と言います。

「立てそう?」と聞くと「椅子を持ってきてくれたら立てる」というので、ひとまず椅子に座ることにしました。

兄の体重は80kg、自力で立ち上がってくれないことには、女の私の力ごときでは、引き上げることなどできません。

しかも兄は、半身不随なりに長年にわたって培ってきたバランスのとり方があるので、体重移動の際に触れられることを嫌います。

半身不随の左足が割れたガラスに当たって、さらに砕け、窓枠に残っているガラスが兄に向って落ちてくるのではないかとヒヤヒヤしましたが、何とか椅子に座ることが出来ました。

夏の空

改めて割れた窓ガラスを見ると、下から50cmくらいの「肘インパクト」を中心にして見事に放射線状に割れています。

廊下の内側から外へ「肘インパクト」が加わったお陰で、窓枠から割れ落ちたガラスの大半が庭に落ちていました。

兄のパジャマの肩の辺りには、キラキラしたガラスの粉が見えますが、破れている箇所もありません。

そーです、なんと兄は、転倒による打撲以外、肘も含めて「無傷」でした。

私は思わず、片付けたばかりの仏膳の後ろに居並ぶご先祖さまたちの位牌を見つめました。

左半身不随の兄がガラスに向かって倒れた時、左側にある窓ガラスに手をつくことも叶いません。

たまたま肘が先に窓ガラスに当たったのであり、肘より先に頭や肩が当たり、割れたガラスが顔や首に降り注いだ確率も等分にあるのです。

「無事こそ奇跡」割れたガラスを掃除しながら何度も思いました。

兄に「運が良かったねぇ」と言うと、兄は「運が良かったら、そもそもこけない」と言いますが(笑)、私は胸の中でご先祖さまたちに「いい仕事されますなぁ」と称賛を浴びせました。

夏の空

懲りない「凡人」の私は、またまた穏やかな日常を「当たり前」だと考え、些細な不調和に不満を持ちながら生きていたのだと思い知らされました。

「乳癌ステージ4で、生きることを赦されている身で、何度このことを私は忘れるんだろう」と、海より深い溜息をつきました。

「無事こそ奇跡」

何もないありきたりの日常に感謝する心の薄れた、出来の悪い子孫へ、ご先祖さまたちが「よぉ~く分かる形で」届けてくださったギフトです。

兄が倒れた場所から最も遠い部屋にいた私にまで聞こえたガラスの割れた音、その後の片付けで掃除機をかけた音にも気付くことなく、後期高齢者の両親は眠りこけていました。

私もまた、すっかり寝入っていたら気付かなかったかもしれません。

「ギリギリ家族は、ギリギリだなぁ」と、改めてご先祖さまたちのご高配に感謝する次第です。合掌。

夏の青い空の青さが、胸に沁みる今年のお盆でした。合掌。

 

次は

です。

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「無事こそ奇跡」とご先祖様に諭されました (nya.663)” に対して10件のコメントがあります。

  1. sizu より:

    ふるゆらさま
     長い猛暑でしたが もうすぐ秋 ほっとしますね
     夏の奮闘 大変でしたね
     貴女のいつもの文も よっちゃんさんへのコメントも その通り‼と私も思います
     結局 生きとし生けるもの 命の不思議な運命共同体でしょうか。
     健やかに 穏やかに たまにさぼって いきましょう。 

    1. ふるゆら より:

      はい、sizuさん、ありがとうございます。

      ご心配をお掛けした「夏の奮闘」・・・文字通り奮闘してみました・・・、アホのように闘ってみましたが・・・。

      結論として、クーラーの冷えを避けても、私の体は夏は超低空飛行になるということが判明しました。(大号泣)

      でもね、心は高校球児のように「敗れて悔いなし」、清々しいです。(笑)

      だって、やってみなかったら、分からなかったんですから、はははははは。(大笑)

      いろんな意味で「やってみる」時間を与えられたことが、ものすごい幸運です。

      「地球滞在型リゾート」をまだまだ楽しみますよぉ♪

      リゾートは、アクティブに過ごしてもいいし、何もせずただただ景色を愛でて心身を癒してもいい、のが基本です。

      sizuさんも、楽しみましょうね。

      夏の疲れが浮き上がってくる時期です、sizuさんも何とぞご自愛ください。

  2. ゆうこ より:

    さっきテレビで世界で愛されるジブリの名曲集というのをやっていて
    ちょうど女の人が竪琴を奏でながら歌ってました
    ああこれか〜いつもふるゆらさんの言ってる歌は、と思い聞きました
    軽快で明るいメロディーの中にもセンチメンタルなせつなさも少しあって
    流れるような綺麗な歌ですね。やさしい歌です

    お兄様のことは衝撃的でしたね。お怪我がなくて本当に良かったです
    送り盆の片付けの直後にこんなことが起こるなんて。
    でもこんな大きなガラスが割れてもひとつも傷が出来ないほど
    護られてるんだよってことなんでしょうね
    お兄様も肘で大きなガラスを割るなんて生命力に溢れています
    そしてガラスの破片の中にいるお兄さんに手を差しのべるのは
    やっぱり妹のふるゆらさんなんですね。象徴的です。美しい兄妹愛です
    私は弟妹とは疎遠、両親とも他人行儀なんで少し羨ましいようです

    1. ふるゆら より:

      はい、ゆうこさん、美しい曲です。

      最初にこの曲を聞いた時、鑑賞する気もなく聞き流していたのに、悲しくもないのに、涙が流れました。

      この曲はある種の「讃美歌」として作られたと、後になって知ったのですが、今はとてもよく分かります。

      日本人的な生きることを肯定した歌だと思います。

      輪廻転生やら、諸行無常やら、八百万の神々やらが混然一体となった心地よい世界です。

      兄のことは、そうですね、兄のことに限らず、私の生まれ落ちた時の星の配置によって運命づけられたものです。(笑)

      私は、家や職場に限らず、どこへ行っても、行った先々で驚くほどトイレットペーパーの交換をするのです。(笑)

      私のこの世の使命は、どうやら「コレ」のようなんです。(笑)

      1. ゆうこ より:

        え……トイレットペーパーの交換がこの世の使命……?
        まあたしかに人の役に立つ…立派な…こと…です……
        私は以前トイレットペーパー大安売りの時に12ロール入りを
        二つ自転車の荷台にくくりつけ、右ハンドルと左ハンドルに
        それぞれひとつずつぶら下げ自転車でシャーっと走っていたのを
        高校から帰宅途中の息子とその友達に目撃されていたらしく、
        友達に「あのおばさん、すごくね?マジウケるわwwwww」と
        笑われて恥ずかしくて俺の母さんだって言えなかったそうです
        「母さん!トイレットペーパー沢山買うのやめて!
        つか免許取れよ!恥ずかったわ〜」と鬼のような形相で
        言われました

        1. ふるゆら より:

          ははは、分かりにく過ぎる例えでした。(笑)

          つまり、こういうことです。

          トイレットペーパーの交換なんて大したことではないけれど、自分の番で交換が必要な残量になっていると、ちょっと面倒臭いなとアンラッキー感を覚えます。(笑)

          特にストックのトイレットペーパーがあるのに、残り5cmのペーパーを芯に残してそのままにしてあると、「ちっっ」と思います。(笑)

          逆に前の人が新しいトイレットペーパーに替えていていてくれたら、何やら得した気分です。

          私はどうやら、「ちょっと面倒なことをちょっと応急処置する」という星の巡り合わせのようなんです。(笑)

          誰かがしなければいけないことなんだけど、「誰かがやってくれたらいいなぁ」ということが、事の大小にかかわらず、「私の番」になる頻度が高いのです。(笑)

          「まぁ、こーゆー人間もこの世にはいるのでしょう」と諦めて、せっせと応急処置をする自分が嫌いではないです。(笑)

  3. よっちゃん より:

    お兄様のご無事、何よりです。
    そして、ご両親が何にも気づかず眠りこけておられたことも幸いでしたね。
    ゆるふらさん、本当にお疲れさまでした。

    わたしも、たまに帰省すると、父と姉のバトルに出くわします。どちらにも言い分はあるのでしょうが、わたしが両方の話を聴いて仲裁すると余計にややこしくなるので、別々の場で話を聴いて、ふんふんとうなずくだけにしています。
    そんな、ややこしい中で、どっしりと肚を据えているのが、いのししの母です。(たぶんお父様と同い年です。)高齢になって身体障碍を持ち、おおかたのことを父や姉にやってもらうようになってから、その様は威厳すら感じるようになりました(笑)少し認知症も入り、適度な柔らかさと威厳が相まって、よい感じだなあとも思います。

    わたしは、子どもが早くに亡くなりましたので、後は順当にあの世へ旅立つことだけが願いです。

    1. ふるゆら より:

      よっちゃんさんの願い、私もです。(笑)

      私が【乳癌ステージ4】だと分かる前、兄がくも膜下出血で倒れた時、両親と兄を見送る気マンマンだったのですが(笑)、今では正々堂々、ギリギリ家族が同じラインに立ってのチキンゲームです。(嘆息)

      人事を尽くして天命を待つ、と言いますが、この場合に「何を」尽くせば良いのやら・・・・・。

      どのようなシチュエーションになろうとも、きっぱり「神さまの領域」です。

      なるようになる、その時が来たら自分の出来ることを誠実にやる、とだけ決めて、神さまやらご先祖さまたちにどど~んと「下駄を預けて」います。(笑)

      1. よっちゃん より:

        ゆるふらさん、同感です。
        それに、今のままで充分です(^_-)-☆

        1. ふるゆら より:

          はい、ありがとうございます。

          よっちゃんさんにも同じ言葉をお返しします。(笑)

          「今のままで充分です(^_-)-☆」

          お互いに、まだまだいろんな「地球滞在型リゾート」を楽しみましょう♪

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