令和2年が始まりました。6才になりました。 (nya.1160)
「さて、どんな1年になるのかなぁ」と思えることは幸せです。 (2020年1月3日)
無事にお正月を迎えられ、産土神(うぶすながみ)さまへ初詣も済まして、「6才」になった私です。
2014年3月に、乳がんのステージ4だと告知を受けた時、これからは、残された時間を新しい自分になって生きていくのだと思いました。
2015年のお正月、例年通り地元の神社へ初詣に行って手を合わせた時、一年前の2014年のお正月を迎えた自分とは全く異なる自分となって手を合わせていることに驚き、「そうか、私は1才のお正月を迎えたんだ」と、不思議の念に打たれました。
私のように生と死が近くにあって生きるとなると、なるほど「七五三」って切実に神さまに報告して感謝したいものなのだなぁと、改めて「風習」の裏にはそうしたくなる人の想いが込められているのだと気付きました。
パンパン「神さま、なんとまぁ、6才になれましたよ。こんなに生きられるなんてびっくりです。いろんなことを護っていただいてこその6才です。ありがとうございました。これからも一つ、応援よろしくお願いします。」パンパン
木々に囲まれた人気のない冬の神社の空気ほど、清々しいものはありません。
いつもは「寒い寒い」と避けてばかりの冬の風が、初詣のこの時ばかりは、心の奥深くまで吹き通るようで心地よいのです。
心の奥の奥にある大切にしている花壇に、さっと清水が注がれたようで、「うんうん、もうちょっとがんばります」と、思います。
昨年もまたギリギリ家族がギリギリを保って、誰も入院していないことに何より感謝していますが、その前提として、乳がんステージ4の私が6年目のお正月に、かなり長く急な石段を自分の足で登って初詣が出来ていることこそ奇跡なのです。
「どんな方法でこの世を卒業しましょうか」と神さまに問いかけていた私が、6才の今「これからどんな風に生きましょうか」と神さまに相談しているのですから。
今の私は、1才の時、この道はやがて終わるのだと思って歩いていた同じ道が、一つ二つ峠を越えて見たら思いがけず先まであるのだと知って、道端の木陰で腰を下ろして休んでいるという感じでしょうか。
「さてさて、神さま、ちょっと想定外で途方に暮れているんですけど、私」とぼやきながら、「何も思い浮かばないし、、、座ったついでだし、この先も道があるなら、ちょっとここで横になって昼寝でもしとくか」という感じです。(笑)
この先に続く道を歩くのは、以前と同じようには歩けませんし、歩きたくありません。
以前の私は、行く先を案じて「安心」を得たいとばかり念じて、何かに追いかけられているように自分を心身ともに追い詰めるような歩き方しかできませんでした。
病を得た後、「新しい自分」となって生きようと思いましたが、自分が決めた「自分らしさ」に縛られて、思い通りに「新しく」なれませんでした。
でも、思いがけず赦された生きる時間の長さが、私をゆっくりと「新しい自分」に変えてくれました。
長い長い「お昼寝」が、私が生きる上で必要と思って見に纏っていたアレコレが、もう必要なくなっているのだと気付かせてくれました。
どんどん身軽になっていった私は、今はもう虚勢ではなく「これから先もなるようになる」と思っています。
具体的に言うと、2019年のお正月の私は「もう1年も仕事を休んでしまった」という思いが心の隅から拭えなかったのですが、2020年の今は「神さま、お昼寝大事です。こんなに休ませてくれてありがとう」と、思っています。(笑)
そして、2019年のお正月の私は「この先、どうしよう、この先、どうしよう」と思っていたのですが、2020年の今は「どうせ、切羽詰まらないと何事も始まらない私なんだから、切羽詰まるまで考えても無駄」と思っています。(笑)
「その時」がいつなのか分からないことは、そもそも生きるとはそういうことですし、「神さまの領域」だから案じてもしようがないのです。
「その時」が来たら、ヘタレな私も重い腰を上げて、再び歩き始めるでしょう。合掌。
「無事」であることが奇跡なのだと思っていますが、時が流れ、四季が移ろうのですから、「同じ」ではいられません。
去年まで母親を連れて初詣をしていましたが、今年は神社の石段を登れない母は初詣を諦め、私一人でお参りをしました。
毎年春に、奈良の石上神宮へお礼参りをして、その足で母親を観光に連れて行っていましたが、それも去年の貴船神社が最後だったのです。
変わることを恐れて、生きることを楽しめないようでは本末転倒です。
その時その時で、小さな喜びをささやかな幸せを探して、そうできる自分であることに感謝して。
令和元年、大雨の即位礼の時に合わせて「虹」が現れたように、美しいこの島に生きる人たちにいいこといっぱいありますように、私もまた令和2年を大いに楽しもうと思います。
次は
です。
・・・風太君、ちゃんと、かしこみ、かしこみ、お行儀よくしているじゃぁありませんか(笑)
・・・その通り、その通り、病を経るとそう言う気持ちに到達するのです
めそめそなんて出来ない、考えて、考えて、良い方向に向って行くのだと思います。
、!!!良かったです。
はい、sizuさん、風太は時折り「お行儀のいい賢い子」のように振舞うことも出来るのです。(笑)
相方の私は、風太とポテポテ歩きながら、風太が立ち止まれば止まり、風太が歩きだせば歩く、何とも贅沢な時間を過ごしています。
こんな自分が、手厚く護られていないと恐れを抱くのは、罰当たりというものです。(笑)
新年おめでとうございます。
いつの間にか、素敵な風景とカッコいい風太くんと、ふるゆらさんの穏やかな文章で一日を締めくくるようになりました。ありがとうございます。
無理せず、気負わず、神様の采配に委ねるって、なかなか難しいですよね。
思わぬアクシデントに「何で私だけ」と嘆いたり、期待に反する結果に「そんな筈ないだろう」と落胆したり。
でも、一見「負」の出来事も、禍を転じて福と為すこともあるし、そもそも生きていればこそなのですよね。
夫も私も、二人して乳がんになりました。でも、ありがたいことに普通の生活ができています。
そして、(夫はどうだかわかりませんが)私は少し物事の見方や感じ方が変化し(もちろん良い方向に)そのおかげで、家族にも周囲にも、そして自分にも、少し寛容になったような気がします。(そう思っているのは自分だけかもしれませんが)
今では、私が大切なことに気づき、より良い方向に進むためには、病が必要だったのかなとさえ思います。
だから、慌てず、焦らず、身の丈に合ったことを、面倒がらずに取り組めたなら、それで十分かなと。
普通の暮らしが何よりですもんね。
今年も、ふるゆらさんにたくさんの喜びがありますように。
たおさん、こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。
穏やかなお正月を過ごされたご様子、何はともあれ、そのことがまずもって「おめでたい」ですよね。(笑)
私はこの病気になって、「病を得て」という言葉の意味が体感出来ました。
こうして穏やかに暮らしているからこその贅沢な言葉でもありますし、生きること即ち「禍福は糾える縄の如し」であることが腑に落ちたのです。
令和2年も、いろんなことが、いいこともそうでないこともあるでしょうが、「いいことに変えて」いきましょうね♪
「がんマラソン」ランナーとして生きるのならば、楽しんだもの勝ちですから。(笑)
素晴らしい。 その通りだと思います
全知全能の神様ですから 神様の知らないことが
たったの一つもないはずなのですよね
人間の一瞬一瞬に抱いた思い。
おそらく神様は一番これを重視しています
そして全ての人の一瞬一瞬の思いを生まれから死ぬまで
全て記録されています
ふるゆらさんは将来ブログを書くことになるだろうから
豊富な自然の景色を撮れるように そこに生まれ落ちたのかも
知れません
人間的に深みを増さないと優れた文が書けないから
ご病気や様々な試練があったのかも知れません
猫を飼いたいと思うだろうからぴったりのカリスマ性のある
猫をサイトに載せておくようにしよう
....というように人間が決断したように見せかけて
実は神様が先回りして下準備しているのかもしれませんね
一年休職したこともふるゆらさんが申請したように
見えますが多分神様がそうさせているのでしょう
人間のやる事成す事 一挙手一投足 神様の網目から
逃れられる訳がありません
休職期間が終了したその日に 次どうするべきかが
初めてサジェストされるんですね
それまでは神様が封印しています
走ってる電車から飛び降りて大怪我しないように。
電車は駅に完全に止まってドアが開いてから降りれば
安全確実なわけです
お母様のおみ足が心配ですが この先どうしたらいいのかは
お母様が杖があっても歩けなくなった時に名案が呈示される
はずです
私も昨日 家族でゾロゾロ初詣でしたが母のパーキンソンが
進行して手も口も震えていました
この先どうなるかは大体分かっていますがなにしろどうせ
神様が24時間監視中なわけですからなんとかなると私は
思っています
父は不安で不安でしょうがないようですが 笑
はい、ゆうこさん、ようやく、、、ようやく自分自身と和解したように感じられて、心地よく脱力しています。(笑)
『The Rose』の歌詞
奪われるのが 嫌さに 与えない こころ
死ぬのを 恐れて 生きることが 出来ない
思いだしてごらん 冬 雪に 埋もれていても
種子は春 おひさまの 愛で 花ひらく
の通りですね。