「冬限定」の雑木林散歩 (nya.1181)
冬の散歩は香りと音を楽しみます。 (2020年1月24日)
去年の冬もブログで紹介した「冬限定」の雑木林の散歩道ですが、今年もいそいそと歩きました。
私の目線の順で写真を並べていますので、長靴を履いてコートを着て、私と並んで歩いているような気分で楽しんでいただけたら幸いです。
そして、脳内ビジョンで再生する時には、忘れず香りと音を加えてください。
香りは、冬の冷たく澄んだ空気の中を漂う腐葉土の、ちょっとかび臭いでも清々しいふくよかな山の香り。
近くの音は、一歩歩く毎に、長靴が分厚く積もった落ち葉を踏みしめるザグザグ。
遠くの音は、この時期まで散り残って乾燥しきった木の葉が、少しの風で落葉して、裸木の梢にあたってたてるパラパラ、カラカラ。
用意はいいですか?では行きましょう♪
なぜ「冬限定」の散歩道なのかというと、理由は2つあります。
一つ目は、大前提として、私が自宅周辺を散歩できるのは、勤勉なご近所のお百姓さんがあぜ道をせっせと草刈りをしてくださるお陰です。
特に夏場はよくあるのですが、「今日はあそこの畑まで行ってみようかな」と思って足を伸ばしても、その畑に至るあぜ道の草刈りがされておらず、草が腰くらいまで伸びていたら、、、諦めます。
二つ目は、あぜ道に腰くらいまで草が茂っていたら諦めるのと同じ理由で、冬以外の雑木林に踏み入って何が怖いかというと「にょろにょろ」です。(嘆息)
いくら田舎暮らし、いくら野生児と言えど、出来るだけお会いしたくないものです。
ですから、雑木林の中に踏み入って散歩を楽しめるのは「冬限定」。
真正の田舎住まいの私ですから、いつもの自宅周辺の散歩も、そりゃぁもう、しっかり「里山」なのですが、それでも「山」に分け入ると、空気がガラッと変わります。
表面は乾いていても、雨や霜の湿り気を蓄えた腐葉土が地面の全てを覆っていますので、散歩道がフワフワです。
そして圧倒的な腐葉土の香り。
何と言うか、当たり前のことなんですが、山が自然が植物が、人間とは異なる時間軸で生きて循環していることを感じます。
呼吸する度に吸い込む香りが全身の毛穴からも浸透して「山」の気配にすっぽりと包まれます。
海に近い私の住む田舎の山は、山というのがおこがましいほど低くなだらかな山で、私が分け入っている雑木林など、ちっぽけな山のすそ野に過ぎないのですが、それでも、「山」は「里」とは別世界、「里」とは別の「山」の掟を知らない者にとっては、いつも少しだけ畏怖を感じるのです。
そんなことを思いながら歩いていて、ふと、「街に住む多くの人は、全くこの世界に触れることがないんじゃないか」と思いました。
登山やトレッキングがブームの昨今ですから、そういった「ルート」を歩く人はおられるのでしょうし、「山」に親近感をもって楽しまれているのだと思うのですが、私が今歩いているような「山」は、山菜摘みやキノコ採りで山に踏み入れる人くらいしか目にしないのではないでしょうか。
だって、道も整備されていないただの山に「よし、今日はこの山に入ってみよう」と思ったら、立派な変人ですよね。(笑)
それで、私はやっと気付いたのです。
私が、田んぼやあぜ道人咲く花をうきうきと写真にとって毎日自慢しているのと同じように、何にも花の咲いていない地味ぃ~な雑木林の道も、結構レア物なのでは?と。(笑)
身近にある自然が、花壇や公園という場所で暮らしている人にとってみれば、「ただの山」も面白いのかもしれないと思ったのです。
外から眺めればただの山、身近にあるありふれた風景の一部でしかありませんが、一歩踏み込めばそこには、平凡ではあるものの、街や里で生きる者にとって未知の世界が隠されています。
それは、こんな小さな山であっても、暖かな日差しの中で眺めれば穏やかな平和に満ちていても、ひとたび日が暮れて身を置けば、恐ろしさしかないほどの深みを内包する世界です。
霊山と言われ信仰を集めるほどの山ではなくても、やはり、山には山の神さまがおられるのだなぁと、思いながら、散歩を終えて「里」に戻りました。
(おしまい)
次は
です。
ふるゆらさん風太さん、一緒にお散歩してくれてありがとうございます!落ち葉の上を歩くカシャカシャ音大好き
同じ冬でも違いすぎますよぉ
色彩がもう全然違う。
日陰の氷がなかなか溶けなくて、今日氷割りしました~カンカンカーン!です
マイナスイオン浴びた気分です。ありがとうございます~
こちらは暖冬で、水たまりに薄氷が張っているのを見て、「おおお♡冬」と喜ぶ始末です。
しっかり着込んで散歩を始めると、そのうち暑くなってきてマフラーを外すという、、、(笑)
同じ日本でも随分違いますねぇ。
今日は甲信地方が大雪とか、こちらも暴風が吹き荒れています。
トモローさんも、気を付けてくださいね。