ありがとう♪東京オリパラ2020 (nya.1776)
パラリンピックの放映時間が多くて大満足♡の東京2020でした。 (2021年9月10日)
ああ面白かった♪と満腹になるほどオリパラをテレビ観戦をし、全てが終わった今は、祭りの後の寂しさを楽しんでいる今日この頃です。
で、毎回オリパラの終了後に感じる不思議な感覚、オリンピックのアスリートの方たちの、正真正銘「世界一を争う頂上決戦」を観て、何度も心を震わせたことは確かなのに、その後にパラリンピアンの方々の奮闘を観てしまうと、彼らのパフォーマンスの素晴らしさに記憶が上書きされてしまうのです。
今となっては、オリンピック柔道の金メダルラッシュは遠い過去、「やっぱ、ボッチャはビッタビタに面白いな♪」「車椅子男子バスケットの銀メダルすごい♪鳥海くん、流川だったわぁ♡」と、パラリンピックのことばかり思い出すんですよね。(笑)
そして、あまりにも多種多様な障がいを持つパラリンピアンの方々を見続けた結果、五体満足の人を見ると「ちょい没個性なんじゃ?」と違和感を覚えたりもします。(笑)
「福子(ふくご)」という言葉をご存知でしょうか。
日本各地に民間伝承として「福子伝説」があり、障害児が生まれるとその家は栄える、という言い伝えです。
障がいを持った子供が生まれると、その子が一生困らないようにと思い、家族が心を合せてその子を守ろうとする気持ちから仕事に励むため、結果的にその家は栄えるというものです。
つまり、障がいを持った子供は、「福をもたらす」のだから大切にしようと、思う心が日本には古くからあったということです。
もちろん、食べるのが精一杯の暮らし、人間も生き物である以上弱肉強食という至極当然の自然の掟、失われた障がい者の命も数え切れないほどあるというのが現実で、それは、昔の貧しかった日本でも、今現在「貧困国」と言われる国々においても、宗教的、風習的に障がい者を否定する風土においても同じだと思います。
私のような大病を抱える者も含め、障がいを持つ人間は、大きなものから微細なものまで、本当にいろいろな要素の環境が整って初めて「生きる」ことが出来るのですから。
でも、だからこそ、パラリンピックに出場するための世界中から集まったパラリンピアンの方々は、まさに「福子」の大集合です。
彼らが自分の障がいを受け入れた上で懸命に努力し、奮闘する姿に心を揺さぶられ、障がいを持たない者は心の奥底から「彼らの笑顔を守れる自分でありたいし、そのような世界を作ろう」と誓う、これこそ正に「福子」効果なのです。
私は、どうも障がい者に縁のある人生のようで、1学年が1クラス30人弱しかいない、もちろん普通学級しかない小学校で2人の障がい者の同級生がいました。
一人は知的障がい、一人は肢体不自由の男の子でした。
昭和の田舎の大らかさで、「それなら授業はグループ学習にして知的障がいの男の子は、みんなとは別に足し算引き算をしましょう」、「肢体不自由の子は、授業中でもトイレに行っていいし、その時は肩を貸したり見守ったりする付き添い当番をしましょう」という具合に受け入れられ、「それって当たり前でしょ?」的に違和感なく過ごしました。
さらに私は、適度に勉強が出来たし、性格は男らしいし、「心のバリアフリー」も持ち合わせているということで、担任の先生から2人の男の子の「お世話係」の特命を受けていましたが、親も周囲も同級生も私自身も「ま、そりゃそんな人も必要よね」的に、これまた不思議にも思わず楽しい小学校生活でした。
また、私が35才の時、兄がくも膜下出血で左半身不随、高次脳機能障害で車椅子生活になり、以来障がい者の家族を持つことになりました。
兄の車椅子を押しながら、いろいろな障がい者の世界を知りました。
35年間、同じ国に生きながら、この世には自分が見えていなかった「別の世界があったのか」と驚きました。
それまで私にとっての障がい者の人たちとは、小学校の同級生であり、街ですれ違う車椅子の方や白杖の方でした。
兄に付き添い、障がい者のいろいろな施設にお世話になり、社会に出ることもなく、家族とも縁が薄く、そのような施設の中で人生が完結してしまう多くの障がい者の方たちとの出会いによって、「ああ、、、そうか」と、新しい視野を得ました。
兄が左半身不随で車椅子生活になり、知的障がいを持つことで、障がい者の方を見る目も変わりました。
それまでは手足に麻痺があり、杖を突きながら苦労しながら歩いている人を見かけると、「大変そうだなぁ、気の毒だなぁ」と思っていましたが、今では「いいなぁ、ゆっくりかもしれないけど杖をついたら自由に行きたい所へ行けるなんて羨ましいなぁ」と思います。
体に障がいがあってもバリバリに知的な人に会うと、「いいなぁ、いろいろなことが分かる分、悩みは深いかもしれないけれど、デスクワークが出来て収入を得られるってステキだなぁ」と思います。
ですから、パラリンピアンの方々の頑張る姿を見て、その人の心に去来する想いは本当に多種多様です。
彼らは、本当にいろいろな要素の環境が整って初めて「生きる」ことが出来る障がい者である上に、スポーツに取り組める環境とそれを可能にする体の機能を持ちえた、本当に幸運と強運の人たちです。
だからこそ「福子」の方々の笑顔は、一層輝いています。
そして彼らの存在が、パラリンピックに出場することも、街に出ることさえ手の届かない障がい者の方たちへの理解を深める扉となるのです。
パラリンピックを観るたびに私は、誰ということもない先人の方たちに「いい世界になったでしょう」と語りかけます。
この世が不完全で、未熟で、過酷で、悲惨で、愚かであることは承知していますが、それでも、「パラリンピックのない世界」と「パラリンピックのある世界」のどちらが良いかと問われれば、「パラリンピックのある世界」に決まっています。
紀元前776年にギリシャで始まったオリンピックを観ている人たちに、「2千年後には同時に障がい者の大会も開かれますよ」と伝えたなら、狂人を見るような眼差しを向けられることでしょう。
1960年、人類はようやく「パラリンピックのある世界」に到達したのです。
今回の東京パラリンピック2020を夏休みの宿題にした小学校もあると聞きました。
宮崎駿監督の言葉をお借りするなら『この世は醜く目を背けたくなることもあるけれど、それでも生きるに値する素晴らしい世界なんだ』です。
私もそう思います。
(おしまい)
こんにちは。
「福子」って良い呼び名ですね。
近い親戚に重い脳性麻痺の子どもがいました。
両親は愛情を沢山注いで育てていましたし、当時小学生だった一人っ子の私も弟のように大事に思っていました。
学校でかなりのいじめを受けていた私が、その子のとびきり愛らしい笑顔にどれだけ救われたことか。
早逝してしまいましたが、家族にとっても私にとっても「福子」そのものでした。
宮崎駿さんの名前が出たところで、、、
昨日、久石譲さんの新作とマーラーの「巨人」を聴いてきました。
カーテンコールでの久石さんの笑顔もとびきりでした。
少しでも多くの人が笑顔で過ごせますように。
久石さんとマーラー、私もどちらも大好きです。いいですねぇ♪
久石さんの笑顔って、得意なことをして褒められた男の子そのものみたいな笑顔なんですよね。(笑)
うろ覚えですが、東北の方で、子供を叱る時「この宝物が、この宝物が」と言いながらお尻を叩く風習があると聞いたことがあります。
言霊の力ってすごいですよね。
「福子(ふくご)」も、もっと世の中に広まって欲しい言葉です。