お元気そうでなにより 樹木希林さん (nya.572)
「がんマラソン」もいいもんだと思う、先輩ランナー (2018年5月25日)
私は只今休職中で、どう考えても時間が有り余っているのですが(笑)、それにしてはあまりにも早く時が過ぎています。
休職して5ヶ月を終えようとしている今の感想として「え?もう?そんな?」というものです。
追い立てられているような焦りや、常につきまとって離れない重だる感から、少し距離を置くことが出来たと実感が持てるようになったのが、今月に入ってからのことでしたので、余計にそう思うのでしょうか。
思えば就職の時「図書館司書になりたいなぁ」と思い、「いやいや、そうなるとますます浮世離れしてしまう」と思い直し、「里の業をして人に揉まれなくては」と選んだのが今の職業であり、もともと「好きなことだけしてぼーっと暮らす」素養がありありだったんですね。(笑)
そして、「向いてないな」と思いつつこなした28年に及ぶ「里の業」の後に訪れた「今」だからこそ、「ぼーっとする」心地よさも一塩です。
そんな風に「ぼーっと」している私ですが、テレビはほとんど見ないで過ごしています。
もともと芸能人やらトレンドやらにちっとも興味を持てないうえに、オールドメディアであるテレビの「偏向報道」ぶりにすっかり嫌気がさして、朝、昼のワイドショーなどは「聞き流すのも苦痛」です。
国民の「知る権利」より上位に、オールドメディアの「報道の自由」という名のもとに、「報道しない自由」という恣意的な偏向があってもいいんだという傲慢な態度には、失望を通り越して憤りを覚えます。
『モリカケ』問題で1年以上国会を空転させている野党とオールドメディアが結託し、テレビで世論操作をしている時間を、喫緊の課題である国防に向けたらどれほど建設的な施策が実現できていたのかと思うと、これが「工作」であり、中国や北朝鮮に「利する」ためにこの一連の騒動が引き伸ばされているのではと思います。
紙一重で保たれている北朝鮮が崩壊し、膨大な距離の海岸線を持つ豊かな隣国を目指して難民が押し寄せた時、その中に兵士が紛れて武器を持っていた時、その中に感染症を持つ人がいた時、どのような対応をすればいいのか、日本全国の漁師さんやそのご家族が知らなくていいはずがないと思うのです。
せめて「避難訓練」と同じレベルの予行演習をして欲しい、そうでなければ子供やお年寄りや体の不自由な方をどうやって守れるのかと思うのです。(嘆息)
さて、本題です。(笑)
そんなこんなでテレビをほとんど見ない私ですが、先日第71回カンヌ国際映画祭で是枝裕和監の『万引き家族』が最高賞パルムドールに輝いたということで、出演者の樹木希林さんがインタビューを受けている番組を見ました。
私世代で樹木希林さんといえば『寺内貫太郎一家』で仏壇の横に貼られた沢田研二のポスターを眺めて「ジュリーィィィ!!」と叫んでいるお方であり、『ムー一族』で共演した郷ひろみとのデュエット「林檎殺人事件」で大ヒットを飛ばしたお方ですが(笑)、2003年に乳がんになられ、その後に全身に癌が転移しながらも「普通」に過ごされているお方でもあります。
テレビ越しに拝見した限りでは本当に「普通」で、「ああ、お元気そうでなによりだなぁ」と思いました。
乳がんだとお聞きしてからもう10年は経ったような・・・と思い調べてみると
2003年1月 網膜剥離で左目を失明
2004年6月 自分で触診して、乳がんだろうなあと直感する。
2004年9月 病院で検査を受ける。乳がんと宣告される。
2005年1月 仕事の都合で乳房の全摘手術を受ける。
術後、女性ホルモンを飲むように言われるが拒否、医者や家族からヤイヤイ言われて、やっと少しだけ飲むことにする。少しだけ、1か月飲んで身体の調子を慎重にみていると、これは飲んではいけないものと、身体が訴えていることを直感する。
2008年 腸、副腎、脊椎に転移が見つかる。やがて全身癌と宣告される。抗癌剤治療、手術をせず13カ所の放射線治療をする。
九州の病院USAオンコロジーセンターで四次元ピンポイント放射線治療を受ける。担当医の植松稔先生は「抗癌剤治療のウソ」という本を書いた人。
2013年3月 全身癌と告白
2013年12月 九州で放射線治療
2014年2月 全身癌治療終了を報告
10年ではなく、14年経過されておられました。
なかなか励みになる「がんマラソン」の先輩ランナーであられます。合掌。
そのうえ「ふつう」に暮らされていることが、ほんとうに心強いです。
樹木希林さんもおっしゃられていますが、がんは人それぞれなので、自分に良かったことが他の人にもいいとは限らないですので、彼女の通りにしても彼女のように生きられるとは限らないけれど、それでも、【乳癌ステージ4】の私と同じく「全身癌」の方が、楽しく「ふつう」に暮らされていることを知ると嬉しくなります。
そして、思いました。
やっぱり、テレビの放送するものは偏っている、と。
小林麻央さんや、川島なお美さん、その他、がんという病を得て「壮絶に戦って」亡くなられた芸能人の話題は、その時々で連日嫌というほどの情報を流すテレビが、樹木希林さんが、末期がんの身体のまま「ふつう」に何年も暮らされていることを大々的に採り上げないのは不自然ではないかと思うのです。
今現在、がんの治療法に「これだ」と言えるだけの確立されたものはないんだと、正直に言ってしまえば、製薬メーカーがスポンサーから降りてしまうから報道されないという「大人の事情」があるのでしょう。
個々人が自分の死を自分の責任として受け止めた上で「選択」するならば、抗がん剤、手術、放射線治療の3点セットが必ずしも「正解」ではないんだという、国民の「知る権利」はどこに捨てられてしまったのでしょう。
どのような状況であっても、一日でも長くこの世に留まることが「正解」であり、その間の時間の過ごし方、何に幸せを感じて生きるかという価値観の多様性を「正解」の下位に置くことを一体何人が了承しているのでしょう。
個々人の生死にかかわる情報を「報道しない自由」で目隠しして、その上で「治療法の選択」は自由だなんて、イカサマです。
樹木希林さんの過ごされている「ふつう」と、がんになれば抗がん剤、手術、放射線治療の3点セットを受けるのが「ふつう」の対比にくらくらしました。
私は特に樹木希林さんのファンという訳ではありませんので、今回改めて彼女の対談などを読みました。
独特の個性と癖のあるお方ですが、がんに関して仰られていることは「一緒だなぁ」と思い、やはり同じく「がんマラソン」のランナーとして共感を持ちました。
樹木希林さんのお言葉です。
ですから、私の本当の気持ちとしては、がんになるというか死を意識する病気になるということは、心の浄化が起こるのだと思います。地球の浄化のために私が選ばれたんだな。だって、そういうふうにならなければ、こんなふうにはものを考えない。
この本にあるように、松村尚美さんのように、ああいうふうに浄化していくという人がやっぱり増えていく。今、地球上でがんがこれだけ多いということは、そういうお掃除をするための旗手として選ばれたんだなっていうような感じがして、どれだけ自分が無垢になれるのかを楽しみにしている状態です。
朝日新聞シンポジウム「がんに負けない、あきらめないコツ」鎌田氏、樹木氏の対談(1)2006年03月25日(土)東京・有楽町朝日ホールhttp://www.asahi.com/sympo/060428/05.html
ほんとに楽しみですね、希林さん。
次は
です。
すごい!それは自分がシフトアップしたということですよ
そう、価値観はどんどん刷新されます
熟した柿の実がポトっと落ちるようにごく自然に
その時はやってきます
…心の旅…
このブログの最後のお写真のように
未知なる木立の中に入ってゆくふるゆらさん
そこにはキラキラの木漏れ日がさして
清浄な大気で満たされているのでしょう
この先にどんなことが待ち受けているのか
ワクワクドキドキですね
ありがとうございます。
何事も「秋(とき)」がある、と思っていますが、今もまた大切な「秋」です。
ゆうこさんが触れておられる「最後の写真」は、緑の中に消えて言っているのは、私の母「すみればあば」です。ははははは。
2009年に北海道へ旅行した時の写真ですから、10年ほど前の彼女です。
草花が好きで、「緑の手」の持ち主である「すみればあば」が『よく撮れた』とその当時から気に入っている1枚です。
いつか「世に出したい」、やっぱ「遺影」か?と思っていたので、この度ブログにアップしました。
彼女と過ごす年月の「最終章」に差し掛かったと思う今日この頃。
アップできて良かったです。
えっ!?随分お母様若くないですか!?
10年前なら…そんなもんかな?
これからいいところへ行くのは
お母さんが先なのかも知れませんね
私の母もパーキンソンがひどくなってきて
ペースメーカーも入っているので
介護は時間の問題かも知れません
今は嵐の前の静けさかもしれません
(^^;
ほんとですね。
嵐の前の静けさです。(嘆息)
せっかく病を得て、「生きることは有限なんだ」と腑に落ちて生きることが出来るようになったのですから、母の有限な人生もまた、大切にしたいと思います。
テレビはつまらないですよね〜
私もあまり見ません
テレビは商売の箱なので知られたら都合の悪い、私達のために
なることを放送する訳がないですもんね
人の人生もテレビを見ているようなものかなと思います
なぜならすべては過ぎ去ってゆくから。
私達の肉眼に映るものはすべて実は実体がなくて
巧妙に超絶リアルに見える幻想であり夢なのだと最近思います
最近このトリックにようやく気づきました
50年かかりました(^^;
揺るがなくいつもあるのは自分の心だけです
でもこの心も見るもの聞こえるもの知覚によって
すぐ落胆したり落ち込んだり悲しくなったり怒りを感じたり
する弱いものです
私達の至上命令はこの心をいかにして健全に健やかに保って
おくかということかもしれません
そーなんですよねぇ、本当にここ数年は特に、メディアが「変」です。
多少のバランスの悪さがあっても、最後の一線として「良識」は残しているのだろうと思っていましたが、残っていないことが「よお~く」分かりました。(嘆息)
私は今、どうやらあらゆることの「価値観の置き換え」地点にいるようなのです。
大きくは世界、歴史、政治、経済、メディア、小さくは自分自身が漠然と信じてきた既成概念。
こうして今、時間が与えられているから、加速度的に進んでいるのか、それともそのような地点に至ったからこのような時間を与えられるように物事が調整されたのか。
もう少し身軽で、もう少し賢明な自分になれるのではないかと、楽しみです。