一年間、休職を延長します (nya.677)
素直に「ありがとう」と言える私がいます (2018年9月7日)
さて、今日のブログのタイトルの通り、さらに1年間の休職を延長することになりました。
最初は3ヶ月だった休職を、半年前に6ヶ月延長し、今また1年間です。
今の心境は、そのような制度のある会社で働いている幸運を神さまに感謝し、そのような私を受け入れてくれる環境に「ありがとうございます」という感謝しかありません。
「私は果報者です」と何度もこのブログで呟きましたが、ほんとうに私は果報者です。
そして、半年前に休職延長を申し出た時は、その「果報」に甘えた怠け者ではないかと情けなく思え、自分を責めて落ち込んでいましたが、今は休める環境に恵まれた自分の幸運に素直に「ありがとう」と言える自分がいます。
自分に素直に「ありがとう」と言えるようになるために、私は病気になり、この5年を過ごしたのではないかと、思うくらです。(笑)
幸運を得るためには、それ相応の努力や対価を支払わなければならないという強迫観念、その呪縛が私に、もがき続けることを強要していましたが、紆余曲折、七転び八起きしている間に、「今のままで、私は十分に果報者」ということを受け入れられる心境に辿り着きました。
誰も求めていないのに、自分にムチ打つことをやっと止めることが出来て嬉しいです。(笑)
2014年の3月、46才の自分が乳癌の浸潤性小葉癌で、骨転移無数、リンパ節転移無数のステージ4だと知った時、「あ?こりゃ死ぬな」と思った時、自分の生きる目標は6年半後の「東京オリンピックの開会式をテレビで観る」でした。
10年後生存率が25%の乳癌ステージ4という現実の前に、東京オリンピックの時の私は52才、『よくて10年、55才まで生きたら上等』と考えたのです。
そして、その時「今のままの生活を何も変えることなく、やれるところまでやろう」と決めました。
「仕事もこのまま、食生活もこのまま、酒タバコもこのまま、楽しむことを忘れずに、毎日を丁寧に生きよう」と思い、今の生活に足らないものは「猫だけ」だと思って、風太と暮らし始めました。
フルタイムの仕事も「力尽きて倒れるまで」やって、ダメになった時に辞めましょうと考えましたので、なんの疑問もなく継続しました。
体調的に一番しんどかったのはその頃で、その後は骨転移無数、リンパ節転移無数が4カ所に激減する僥倖を得て、小康状態を2018年9月現在もキープしています。合掌。
その後の4年間、私は「早々に辞める時が来る」ことを想定して働きました。
がんの転移が縮小した僥倖は一時的なものであり、「頑張っても5年は働けないだろう」、もっと仕事がしんどくなって、仕事を辞めて、50才になればベッドの住人になっているだろうと思っていたのです。
ところが案に反して、小康を得た状態のまま4年間が経過しました。
当初想定した「50才」とは全く異なる私がいます。合掌
その頃から、私の中で葛藤が生まれました。
一人前に働けない上に、日中に居眠りを繰り返す自分が嫌でたまりませんでした。
「早々に働けなくなる時が来る」という覚悟から、多少の苦しさは当たり前のこととして受け入れていたものが、「ひょっとして、このままずっと働けるかも」と思い始めた途端、「この苦しい毎日を定年までのあと10年、私は続けることができるのか」と自問するようになりました。
人間50年も生きていれば、そりゃぁもう(笑)、いろんなことがあります。
それでも私なりに楽しく生きて来られたのは、どんな時でも、自分を好きでいられたからです。
体調が悪い時が多くても、その中で小さな幸せを見出しては楽しむ自分のことが好きでしたし、それを可能だったのは、「自分なりに精一杯踏ん張っている」というプライドが保てていたからです。
しかし「仕事中の自分が嫌でたまらない」毎日を重ねていくうちに、「こんな自分は好きじゃない」と思う気持ちが雪だるま式に膨れていきました。
「こりゃ、やばい」と思いました。
「仕事は続けられるかもしれない、でも私が壊れていく」と思いました。
心と体は、一蓮托生です。
心が悲鳴を上げれば、体の不調がそれに共鳴して大きくなっていきました。
「もう、無理(涙)」と踏ん張り切れずに心の折れた自分を嘆きながら、休職に突入したのが2018年1月1日です。
3ヶ月の診断書を提出しました。
その後の3ヶ月は、恵まれた会社、恵まれた仕事、恵まれた同僚という幸運を手にしながら、心が折れてしまった自分が不甲斐なく、自己否定を止めることが出来ませんでした。
3ヶ月の休職の期間が終わりに近付くにつれて「復職」という言葉が頭を何度も過ぎり、その度に私の心に「恐怖」が浮びました。
劇的に体調が改善しない以上、もう一度あの「しんどい毎日」に戻って、体調不良と闘いながら日々を過ごすことができるだろうかと自問する度に、「いや、無理」という気持ちと「せっかく手にしている幸運(職場)を無駄にする愚か者」という気持ちがせめぎ合いました。
結局「いや、無理」という心の声が勝り、再度、今度は6ヶ月の診断書を会社へ提出したのが3月です。
そしてさらに6ヶ月が経過し、再々度、休職の期間が終わる日が近付きました。
私の心は、もう揺れることなく「休めるなら休もう、ダメなら辞めよう」と思いました。
私はついに、「精一杯踏ん張っていることを自分が好きでいる条件」にして生きてきた50年を卒業し、「今のままで十分に恵まれている自分」「頑張っていないけど穏やかな自分」が、今までと同じように好きでいられることを発見しました。
ごくごく簡単に「1年間休職の診断書」をもらいました。
医者の立場からすれば、【乳癌ステージ4】の患者の私が、「休めるなら休んだ方がいい」に決まっています。
私の会社は診断書の提出を条件に病気休職30ヶ月が認められており、その間は基本給の2/3が支給されます。
それでも、「〇〇日には完治します」という当てのない状況の私ですので、退職を覚悟して人事部長に相談しましたが、私の会社が従業員数の多い会社であることもあり、「会社の制度があるのだから、それを利用すればいいんじゃね」と鷹揚なものでした。
「では、そうさせていただきます。ほんとうにありがとうございます。」私は素直にありがとうと言いました。
何らかの対価を支払わず幸運に恵まれる自分に、もう背徳感を覚えることはありません。
フルタイムで働けない自分がいて、休める環境があることに感謝感謝です。
自分の欠落や無力を嘆くのではなく、そんな私を受け入れてくれる会社、同僚、友人、家族、風太、自然に感謝です。
いい時代、いい国、いい土地に生まれた幸運に感謝です。
野生の勘がささやく通り、「東京オリンピック」を越えてまだしばらく生きられるとして、今休んで、「がんマラソン」を走り続ける体力を蓄えられることは幸運です。
「地球滞在型リゾート」を楽しむ旅人として、自分を過剰に叱咤激励することなく、ただ生きることを楽しめるようになった自分が嬉しいです。
「自分に厳しい」ことが美徳であると信じ続けた50年、病気になり無力であることを認めることが出来ずにいた4年間、今はもう、今の自分が幸運そのものであると分かりました。
1年間、感謝を忘れずに休みます。
1年後の初秋、どんな風景の前に立っているのか・・・、楽しみです。
次は
です。
ふるゆらさん、良かったですね!
きっと星の運行の影響もありますよ。
同じ天秤座の私も周りの人達に助けられて、どん底から這い上がれました!
自分に厳しいは美徳。周りに迷惑を掛けないのは当たり前。頑張って当たり前。
そう思ってるでしょ?昭和の人間だな~って、同い年の友達に笑われました。古いって
その感覚はなかなか変えられないけど、甘える事は悪い事ではないって思える様になりました。
今回改めて感じた事は、全て自分に返って来る。って事でした。
計画性と決断力に欠けていた自分に今更ですが反省!
ふるゆらさん、私達には特にストレスは敵です!
好きな事をして風太ちゃんとのんびり過ごしてくださいね☆
おおお、まるこさん、おめでとうございます!
そしてお疲れさまでした。
「どん底から這い上がる」時、「ああ、これだったのか、こんな簡単なことに気付けばよかったのか」と思いますよね。
あんまり長いこと「さなぎ」と付き合っていたから、「こんなにきれいな蝶々になってくれるなんて」と驚きます。
待つことって、大切だなぁと思います。
「待つ」のには精神体力がいるので大変なんだけど、「明けない夜はない」と信じて待つことで見えてくるものは、慌てふためいて飛びついた結論よりも、いつだって正しいです。
神さまは時間の調整をすることで、私たちを護ってくださるのだそうです。
「待つ時」「待たざるを得ない時」、神さまが幸せにしてくださるために、いろんな調整をしてくださっているのだと思えたら素敵ですよね。
まるこさん、私たちの大敵はストレス、そして笑うことが鎧と剣です。
たくさん笑って、強い剣に仕上げましょうね。
知人に病気を伝えた時に「修行を終えたんだね!」と言われました。
実はまだ終えていなかった様で 笑
ここに来て人生の精算が出来たんだと思っています。
神様はゴール間近の私に思い出したかの様に障害物を入れ込んで来ました。
これからは神様を見方につけて、ヘラヘラ笑ってゆっくりゴールしたいな!
私もっ、私もです、まるこさん。
乳がんでステージ4だと知った時、これからは静かな時間が流れていくのだろうと思ったのです。(笑)
・・・が、生きるって最後までドタバタなんだと思い知らされる出来事が、波状攻撃を仕掛けてきました。(笑)
でも、生きるってそういうことですよね。
反省と発見と脱皮、体の細胞が日々新陳代謝を続ける限り、心もまた新しく生まれ変わることを止めることはないのです。
面倒臭いけれど愛おしい時間、たっぷりと楽しみましょう♪
よかった!嬉しい!安堵で涙が出てきそうに嬉しいです!
勇気を出して最高の選択をなされました!おめでとうございます!
ふるゆらさんのことだからまた頑張って復帰してしまうかなと心配
しておりました。そう、休むって勇気の要ることなのです
よかった…これで私も一年ホッとして過ごせます(^-^)
ふるゆらさんのご病気はホルモンをエサとするたちのいいタイプのもの
ですから今このように安寧でいられるのかも知れませんが
私はふるゆらさんが勇気をもって自分自身の体を休めることを
最優先にもってくることを怠らなかったからだとも思っています
勇気を出してくつろぎ、勇気を出してホッとひと息つくのです
30ヵ月が過ぎても大丈夫ですよ
「収入は自分が自分の中心部にとどまることによって生じてくるもの」
だからです。人間には生得権というものがあります
何もしなくてもただ生きてるだけで価値があるのです
それによってそれに付随して必要なものや金銭は必然的に
発生してきます。
病気の自分自身の体を徹底的に休めて改善を図るということに
責任を持つことが肝要です
回りの雑音や雑念を全てシャットアウトして思い切って自分の
中心の中心、心の奥の奥の声を聴くということを英断した
ふるゆらさんを心から尊敬いたします
ありがとうございます、ゆうこさん。
ほんとうですね、今回の決断の要は「勇気」でした。
心はもうずっと「休みたい」と言っているのに、周囲の評価や自分自身の呪縛やら刷り込みやらで、心の声をねじ伏せてきたのです。
この世を卒業する時に『自分をもっと幸せにしてあげたらよかった』と後悔しないためには、自分が幸せだと感じることを選ぶことです。
当たり前です。
当たり前のことを選ぶのに、「勇気」が必要だなんて思わなかったので、随分ともがきました。(嘆息)
自分を信じる時、勇気が持てるのですね。
自分を信じるというより、自分が護られていることを確信するという感じです。
凡人ですので、これからも迷いなく進むことは出来ないでしょうが、還るべき原点が分かったという感覚です。
ゆうこさんの言葉にも助けられました。ありがとうございます。
とんでもございません
ふるゆらさんの「休みたい」という気持ちは大切ですよ
それがなければ就業中に寝落ちしても背中が痛くても
痛み止めを飲みながら這ってでも仕事を続けていたかも
知れません。そしたら今頃どうなっていたでしょうか。
帰省中のお兄様がガラスを割った夜も疲れ果てて
爆睡していたかも知れません。そしたらお兄様は
どうなっていたでしょうか。
数値が良いからといって無理をして働いて、悪くなったら
休めばいいというものではありませんよね
一旦悪くなった数値が休んだからといってまたヒュッと
良くなるというものでもないと思います
今日は祝福の日でございます☆彡
久しぶりにお酒でも飲みましょうか(*^^*)
「逃げるという選択」からふるゆらさんはずいぶん
成長しましたね。
これからの成長も楽しみです・・*’“*:.。. .。.:*・゜゚・*☆
成長というか、、、私の感覚からすると「脱皮」ですね。(笑)
壁にぶつかるたびに、一枚一枚脱皮して、「もうずいぶん脱いだつもりでいたのに、まだこんなもの着てたのか」とため息をつく感じです。(笑)
幼い頃、私の将来を案じて親が着せくれたいろんなもの、思春期にGETすることが楽しくて手当たり次第に掻き集めたアレコレ、社会人になって世間を渡るためには必要だと信じてまとった鎧。
全てがガラクタだとは思いません。
そうして集めたすべてが私ですし、集めたものの中から「何を捨てるか」が私です。
「捨ててもいいんだ」と思えたことが収穫です。