秋、やっぱり一度は立ち寄りたくなる「公園散歩」 (nya.2203)
「ふと思い立って公園に立ち寄れる」なんて贅沢な暮らしです (2022年11月11日)
田舎住まいの私が「街」に行く時は、必ず「用事」があるからです。
「用事」を済ませて「街」をぶらぶらすると、ひつじ年生まれの女の宿命として、やたらと「紙を食べてしまう」習性があり、後日ひとしきり後悔することになるので、ぶらぶらすることを自らに禁じています。
なので、用事と用事の間にぽっかり時間が空いた時には、県庁のすぐ近くにもかかわらず「駐車時間1時間100円」というありがたい公園へ行きます。
その公園は桜の名所なのですが、我が家の周りの桜の木はすっかり落葉して裸木になってしまっていることから、「もう、遅いよね」と思いながら向かいました。
ところが公園に着いてみると、桜の紅葉は「いやいやいや、今年は暖かい日が続いてますからね、これから始めますよ」という感じでした。
そこで、駐車場に車を停めた私は、いつものデジカメを片手に「時間潰しの散歩」を始めました。
ゆるく風が吹くたびに、紅葉した葉っぱが飛ばされ、パラパラと音を立てて落ちてくる中を散歩するのは本当にいい気分です。
春は桜吹雪、夏は木漏れ日と蝉の声、秋は落葉、冬は風花、天から降ってくるものは時の流れが凝縮されているような気がします。
詰まるところ、春夏秋冬いつだって心地よいのですが、その度にこの美しい土地に生まれ落ちたことに感謝します。
「今年も紅葉の季節に来られてよかったぁ」と思いながら歩きました。
一人で散歩することの楽しみは、歩くのも、立ち止まるのも、空を見上げるのも、自分のペースで出来て「自由」なことです。
ちっちゃなちっちゃな「自由」ですが、この自由が私は大好きなのです。
ゆっくりと歩かなければ見落としてしまう美しさ。
立ち止まって足元を見て初めて気づく不思議な模様。
空を見上げ、枝の梢に止まっている鳥を見つけた時の喜び。
「ああ、贅沢だなぁ」と、しみじみ思います。
「こんな贅沢な時間が時折り訪れるから、私の人生、不運なのか幸運なのか分からなくなるのよね」と、思います。(笑)
大きな病を得たからこそ、人生の舵を大きく切りました。
仕事を辞めたから、時間に追われることのない暮らしを手に入れました。
ふと時間が出来て、思い付きで公園に立ち寄ることのできる「自由」があります。
散歩をしていると「ほんとうなら、もうこの世にいないはずなのに、なんでここにいるのかな」と、不思議に思う気持ちが何度も頭を過ぎります。
結論として、私は今の「金欠でありながら贅沢な暮らし」に、とても満足し感謝しています。(笑)
合掌。
(おしまい)