枇杷の葉っぱをいっぱいもらいました。 (nya.447)

 

ねこ、風太 プレゼント

虹色の折り鶴

果報は寝て待て式「ラビアンローズ La Vie en rose(ばら色の日々)」 (2018年1月19日)

私という人間はつくづく恵まれていて、いろんな人がいろんなものを私に与えてくれます。

社会人として生きてきた28年、私は、世の中の仕組みは「ギブアンドテイク」で出来ていると知りました。

肝心なのは「ギブアンドテイク」の順番で、まず「ギブ」です。

自分に余力がある時、頼まれてもいないのに周囲を手伝いまくります。(笑)

貧乏性というか田舎の百姓根性というか(笑)、ほんとに何にもすることがない時には大掃除をはじめます。

これを自分の習慣にしてしまうのです。

そうすると「まいった、こりゃ大変」と周りが見えなくなるくらいに焦りに焦っている時、気が付けばもう周りの人が私のサポートに集まって来てくれているのです。

組織の中で仕事をしようと思ったら、コレが最も大切なことだと確信しています。

何度この「好循環」に助けられたことでしょう。

何かで「徳は貯金できる」と聞いたことがあるのですが、それより数段劣る下心付きの善意でも、なるほど本当に福利が付いて返って来ます。(笑)

「ギブアンドテイク」の「ギブ」は貯蓄型の保険のようなもので、コツコツ積み立てて置けば、必要な時に保証が得られるのですから本当に便利です。

私の場合、3年に一度周期で異動を繰り返しましたし、その度に新しい組織に入り、一から信頼関係を組み上げていくことは「本当に面倒臭い」のですが、「ギブアンドテイク」の法則が理解できるようになると、とても楽になりました。

慌てずコツコツ「ギブ貯金」をして、その内に好循環が生まれるのを待つのみ、です。

友人宅枇杷の木

友人宅 枇杷の木(初夏)

さて、仕事関係はそんな風に単純に「法則」でこなす私ですが、友人との関係となると、「ギブアンドテイクの法則」は存在せず、好意と良心と忠誠心が混沌と混ざり合い、あっけらかんと手を差し伸べ、与えられ、許されてしまうことに、いつも「不思議の念」と感動を覚えます。

私という人間は「変人」にカテゴライズされることが多い上に、「友達、そんなにいっぱいいらない」と思っているので、そんな私の友だちになる人は「レア」な人たちです。(笑)

そのうえ、離れたくても離れることの叶わない家族や職場の同僚とは異なり、友人はいつでも、ほんの些細なきっかけで離れることが可能です。

遠い昔、何かで目にした言葉に私は深く頷き、今でも忘れられません。

「友情とは、利害関係のないところに生まれるもの」

今の生活を営んでいく上でまったく必要のない存在でありながら、互いを呼び合う気持ちさえあれば、当たり前のように繋がって揺らぐことがないのが友人です。

物理的に近くにいることも、長時間を共有することも「不可欠な条件」ではなく、互いの心の中に「住人」としてしっかり息づいていると確信をもって思えたら、それで十分繋がり、心が温まるのです。

付き合うことでまったくメリットがなくてもいいし、助けてくれなくてもいいんです。

私が「腹立つ」と言えば「ああ、そりゃ腹立つね」と頷き、私が「困った」と言えば「ほんと、困った困った」と一緒に困ってくれたらそれでOK。

ほんとに不思議な関係、それが友人です。

友人宅の枇杷の葉とレモンと我が家のにんじん

友人宅の枇杷の葉とレモンと我が家のにんじん

先日、そんな私の友人の一人がビワの葉をいっぱい持ってきてくれました。

以前にも「枇杷の葉こんにゃく温湿布」のブログで紹介した、中学校の時の友人の彼女です。

30年後、私がビワの葉っぱを大量に必要とする身体になり、友人が枇杷の木がてんこ盛りに生えている家に住んでいる・・・この不思議はどう思っても感動ものです。

「念じれば通ず」・・・ちょっと意味が違いますね(笑)、私の大切な友人のところに、私がとても必要とするものが備わっている・・・不思議です。

青い鳥を探すチルチルとミチルのお話のように「ああ、そういうことなんだ」と心の深い所で納得する不思議さです。

お正月の元旦のブログで紹介した『千と千尋の神隠し』のエンディング『いつも何度でも』で

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

と歌われています。

私自身には大して「輝くもの」がなくても、私の心の中の住人である友人がいつでも何度でも「輝くもの」を惜しげもなく差し出してくれるから、私は「海の彼方」に探しに出かける必要がないのです。

枇杷の葉差し入れ

枇杷の葉差し入れ

枇杷の葉っぱも、友人の広い心があり、私へ潤沢に与えられています。合掌。

枇杷の葉は常緑で年中ピカピカしていますが、花が終わり寒さの厳しい今頃が、最も葉っぱに栄養を蓄えている「旬」なのです。

すっかり『枇杷の葉伝道師』となっている私と「すみればあば」は(笑)、体調が悪い知人と出会う度に枇杷の葉の効用について説き、東城百合子先生の本を贈呈し、枇杷の葉や枇杷の葉エキスをあげることを続けていますので、「今年はいつもに増して大量に仕込まねば」と燃えていたのです。

折も折、ご近所さんの薮の端に放置されている枇杷の木があり、私と「すみればあば」で脚立と高枝切狭をかついで行き、枝ごと強奪しようかと作戦を立てていたのでした。(笑)

そんな私たち母娘の不穏当なささやきを聞いていたかのように、見事なタイミングで大量の枇杷の枝が届けられました。(笑)

しかも、明日にはスーパーに買いに行こうと思ってたレモン付き、しかも自家製です。(涙)

もう、こうなると人知を越えた何かを感じ、「天使さま」のお計らいを感じずにはいられません。合掌。

枇杷の葉 収穫後

枇杷の葉 収穫後

いつだって、私はこうしていろんな人といろんなものに恵まれながら生きています。

私もまた、私にとっての友人たちのような存在になれているだろうかと心配になるくらい「与えられて」います。

与えられる恵みがあまりにも大きくて、とても同じようにお返しすることはできなけれど、私がそうであるように、友人たちも「笑って生きてくれてりゃそれでオッケー、小さいことは気にするな」と思ってくれていることでしょう。

「有り難いなぁ」と思うことが心のお薬で、たちまちぽかぽかになります。

年末年始、ほかの友人たちからも、いっぱい、いろんなものをもらいました。合掌。

私がブログに悶々とした気持ちを垂れ流して、挙句に「背中が痛い」「休職するぞ」と書いたので、『励まさねば』と思ってくれたのだと思います。

みんなみんなありがとう。

おめでたいクッキー

おめでたいクッキー

本の差し入れ

休職用の本の差し入れ

二十四節気の本とお守り

二十四節気の本とお守り

ガラスの仮面展

・・・『ガラスの仮面展』のお土産

・・・ええと、大半のアラフィフの方が女子高生だった頃『ガラスの仮面』が必読の書だったように私も読みましたが、特にファンという訳ではありません。(笑)

友人が「ガラスの仮面展」なるものに行ったとかで、送ってくれました。

立てかけてある左側のものは「かるた」です。

「(50才、女、独身の私に)・・・・どーしろと・・・・」、しばらく「かるた」を無言で見つめ続けました。(笑)

おっと、忘れてはいけない「愛媛の友人」からおいしいみかんをもらいましたが、撮影せず食べてしまいました。

そーいえば、クリスマスケーキももらって食べました。

あ、それから高級しゃぶしゃぶお肉、帰省中の兄と「すみればあば」と私、そしてお肉をくれた友人を「いただきものですが、、、」と誘って4人でおいしくいただきました。

みんなの「気持ち」で私はぽかぽかです。

かくして、私は「果報は寝て待て」式にばら色の日々を満喫しつつ、ぽかぽかで「冬眠」できる果報者なのでした♪

ほんとにありがとうね♪

 

次は

です。

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枇杷の葉っぱをいっぱいもらいました。 (nya.447)” に対して 6 件のコメントがあります

  1. 金太郎 より:

    ふるゆらさんがコツコツとこの素敵なブログを積み重ねていることは、多くの読者へのギブだと思います。
    風太殿の雄姿(?)はギフトそのもの。

    私はこのブログからはテイクばかりですが、なにかしらのギブが出来ないものかしら(考慮中…笑)。

    1. ふるゆら より:

      金太郎さん、ありがとうございます。

      体調と工場の残務処理の具合はいかがですか?

      温泉は春でしょうか・・・。

      うれしくありがたいお言葉をいつも届けてくださってありがとうございます。

      風太と田舎の風景と私の独り言が、ちっちゃなギフトになってたらうれしいです♪

      金太郎さんのお言葉が、私にはギフトです。

      そして男前の風太が相方でいてくれることに感謝感謝ですね。

  2. ゆうこ より:

    良い友達がいて、幸せですね
    友達、を考える時、私はいつも「邂逅」
    という事を思います
    この人と会うためにこの紆余曲折を経てきたのか?
    と… 不思議ですよね
    友達も神様からの贈り物なのかもしれません

    吾が背子とふたりし居れば山高み里には
    月は照らずともよし 高丘河内(たかおかのこうち)

    親友の君といるならたとえ山が高くて
    この里に月が照らなくってもかまわない
    という意味の万葉集です

    ペットショップボーイズの
    「It doesn’t often snow at Christmas」
    という歌があるのですが
    It doesn’t often snow at Christmas
    The way it’s meant to do
    But I’ll still have a glow at Christmas
    Because I’ll be with you
    クリスマスに雪なんか滅多に降らないけど
    君が居るから嬉しいんだよ

    月も雪もなくても君がいればそれでいい
    素敵ですね☆彡

    1. ふるゆら より:

      はい、ゆうこさん、私は果報者です。

      人と人の出会いは、家族を除けば儚いものですが、友人たちのことを思えば「そーでもないかも」と思います。

      好意、良心を越えて「忠誠心」のような真っ直ぐに向かう気持ちが友情にはあると感じます。

      損得はなく「与えたい」という気持ち、そして見返りを求めない心、その他諸々の感情の中でもとても純粋できれいなものではないでしょうか。

      幼い頃きれいな花を摘んで、好きな人にあげると嬉しさに胸がはちきれそうになった気持ち、そんな純粋さを思い出します。

  3. かえで より:

    枇杷の葉、すごい量ですね。
    他のギフトも素敵です。流石ふるゆらさんのご友人。

    私がふるゆらさんのブログを訪れるきっかけになったのが、友人の乳がん告白でした。
    大した事できなくって、もどかしく思う事もありますが、応援している次第です。

    来週の寒波、凄そうですね。あたたかくしてお過ごし下さい。

    1. ふるゆら より:

      そーなんですよ、かえでさん、枇杷の葉スゴイ量で笑うでしょ。(笑)

      他の友だちも、誕生日でもないのにいろいろくれて・・・、プレゼントそのものも嬉しいけれど、そのプレゼントを選ぶ時間を思うと本当に心ポカポカです。

      かえでさんのお友だちもきっと「心ポカポカ」ですよ。

      ずっと、心に寄り添って差し上げてくださいね。

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