「お月さまと私」小考 (nya.1349)

小望月
小望月

「月がきれいですね」 2020年7月10日

写真の月は7月4日の夜、自室の窓の正面にぽっかりと現れたものです。

7月5日が満月の夜なのだと知ってはいたのですが、ご存知の通りの雨続きですから、今回の満月にはお会いできないのだろうと思っていました。

がしかし、その一日前の7月4日、雲の切れ目から私的には「満月」としか見えないお月様が煌々と輝いているではありませんか。

いやはや、眼福でした。合掌。

小望月

このブログを読んでいる方はアラフィフの方が多い印象なので(笑)、ご存知ない方もおられるのではないかと思うのですが、「最近、巷では」I love youという意味で「月が綺麗ですね」が使われることがあるとかないとか。

これは「都市伝説」として、夏目漱石先生がが英語教師をしていたころ、教え子が「I love you」を「我、君を愛す」と訳したところ、「日本人はそんなことは言いません。月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」と言ったとか言わないとかに由来しているそうです。

私は最初にこのエピソードを聞いた時「なかなかやるね、漱石先生」と思ったのですが、その後「本当にお月さまがきれいで、その時アウトオブ眼中の異性が傍らにいた場合にはどーするの?」と心配になりました。(笑)

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でも考えてみれば、世界的な超超有名な名曲『What a Wonderful World』でも、サッチモおじさんが

I see friends shaking hands
Saying how do you do
They’re really saying
I love you

友だちが握手をして「how do you do」と言っているのを見るけど、
彼らはほんとは「I love you」と言ってるんだよ。

と歌っておられることですし、大らかな気持ちで使ってもいいのかもしれませんね。(笑)

きれいな月を一緒に見られるのは「同じ時代、同じ時を旅する者同士が同じ場所で行き会うという奇跡」があってこそ、なのですから。

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さてさて、本題の「お月さまと私」小考に戻りますが、いろんな時、いろんな想いを抱えて、夜空に浮かぶその時々の形のお月さまと会話しながら生きてきたなぁ、としみじみお月さまに感謝しています。

夜空にお月様がなかったら「耐えられなかった」と思う夜もありました。

心の奥深くに「孤独」が深々と牙を立て、涙を流すことも忘れた日々、疲れ果てた体を引きずって仕事を終えた帰り道、そこにはお月さまがありました。

誰とも共有できない、誰にも言えない、誰に分かってもらおうとも思っていない「想い」が人には必ずあり、それは「お月さまと私」だけが知っていればいいことなのだと、何度思ったことでしょう。

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幼い頃から天体や星空に興味の薄かった私は、今現在に至るまで星座は「北斗七星」と「カシオペア座」しか分からない朴念仁ですから、特に「お月さま、好き♡」という訳ではないのですが、お月さまは、幼馴染のような親しみを覚えます。

私が最初に「あ、お月さま、きれい」と思ったのは、中学の部活の帰り道で、一緒に帰っていた友人が、西の空の夕焼けの中に「三日月と一番星」があることを私に教えようとして「見て見て」と言った時です。

その頃、ハードでタフな家庭環境の暴風雨に揉まれ続けていた私は、毎日自分に「下を向くな、後ろを振り返るな、前だけを見て、根性で笑え」と言い聞かせていました。

で、「見て見て」です。

そこには本当にきれいな夕焼けとお月さまと一番星があって、友人の声で空を見上げた私は「ああ、長いこと上を見ることを忘れてたなぁ」と思ったのです。

小望月

それから茫々40年の月日が過ぎました。

去年の秋の台風で、自室の前のベランダにグリーンカーテン用のネットを張っていた支柱が折れてしまいました。

5年くらい前、フルタイムで働いていた私がもたもたしている間に、母がちゃっちゃとネットを張り、苗木を植え、面倒なので冬になってもネットはそのまま残していました。

ネットと言っても20cm角くらいの大きいマス目ですから、グリーンカーテンがない季節にも、別段視界が遮られてうっとおしいと思ったことはなく、「そこにあるのが当然」的な感覚でいたのですが、支柱が折れて取り外したら、何とも視界が開けて心地いいのです。

大袈裟に言うならば、心の眼の前でさえぎっていた薄い霧が、さっと風に吹き払われたようでした。

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そして大袈裟ではなく、それからの私はいろんなことが見えてきました。

今年の春、今まで52年同じ土地に暮らしながら一度もしたことのなかった、氏神様の桜を見に出掛けたのも、クリアな視界の先に、真正面に、見事な桜の大木が満開を迎えていることが「見えた」からです。

夏至に向かってどんどん夜明けが早まる頃、一期一会の夜明けの空に、「自室から眺める」だけで出会えるのだと知りました。

それから、東の空に上るお月さまにも、よく出会えるようになりました。

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ネットを張っていた支柱が経年劣化で折れた、「こんな簡単なことがきっかけで、これほど大きく変わるのか」と思いました。

何事にも「秋(とき)」があると、思って生きてきましたが、どうやら今、私は「視界が晴れる秋(とき)」に、ようやくたどり着いたようです。

桜の花によって自室の窓の正面に氏神様がおられることを再認識した私は、毎朝PCの前に座ると同時に、氏神様に挨拶をして一日を始めます。

なぜ、これまで何十年も見えなかったのか不思議なくらいなのですが、氏神様にご挨拶すれば、どのような紆余曲折やアップダウンの激しい道を歩こうとも、常に見守られ導かれていることに思い至ります。

一日の始まりに感謝することは、ほんとうに気持ちいいです。

小望月

そして、夜になればお月さまに会います。

満ち欠けを繰り返すお月さまは、私がどれだけ同じ所をグルグル回っていたとしても、時が流れている以上「同じではない」のだと教えてくれます。

これまで、月を見上げて祈らなかった人がいるでしょうか。

幾千年の人の暮らし、気の遠くなるほどの数のそれぞれの人生、数え切れない祈りや願い。

「新月は新しく始めること」を祈り、「満月は不用なものを手離すこと」を願うのだそうです。

(おしまい)

小望月
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「お月さまと私」小考 (nya.1349)” に対して 2 件のコメントがあります

  1. takako より:

    ふるゆらさん、いつも素敵なブログをありがとうございます。

    前回の脱皮、今回のお月様小考、心に迫るものがあります。

    凡人では考えも及ばない豊かな感受性を持っていらっしゃる、これはもう才能ですね。そして卓越した文章力には、いつも驚かされます。

    時々書かれているふるゆらさんのちょっと長いブログを楽しみにしています。

    梅雨明けまでもう少しです。うっとうしい日が続きますが、御自愛くださいね。

    1. ふるゆら より:

      takakoさん、いつも私の拙い文章を褒めてくださってありがとうございます。

      「褒められると伸びる子」なんで、お言葉をいただくと風太があごの下をかいてもらっている時のような「にんまり顔」になりますよ。(笑)

      そして「時々書かれているふるゆらさんのちょっと長いブログを楽しみにしています。」に励まされます。

      私がこのブログを書くのに肝に銘じていることはただ一つ「等身大であれ」ですので、思いつくままに書き進めると、私の頭の中が「こんがらがっている」通りにとっ散らかってしまうんですよね。(笑)

      それを「楽しんで」くださるtakakoさんの心の広さに感謝感謝です。合掌。

      takakoさんもなにとぞご自愛ください。

      梅雨と梅雨明けの酷暑をサバイブしましょう♪

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