ふるゆらの好きな本たち『空色勾玉 』 荻原規子著 (nya.1076)
読後「ああそうか、、、そういうことか」と思ったことが忘れられません。 (2019年10月11日)
この小説はファンタジーですので、言うなれば徹頭徹尾「絵空事」なのですが、読み終わった時に、もう読む前の自分には戻れないなぁと感じた作品です。
児童文学ですので、何の予備知識を持たなくても「お話」そのものが面白くてぐんぐん読めるのですが、下敷きになっている『日本書紀』や『古事記』が何となく記憶にあると、更に楽しめる大人向けの作品でもあります。
『空色勾玉』(そらいろまがたま)は、荻原規子さんのデビュー作で、第22回日本児童文学者協会新人賞受賞作(1989年)を受賞されています。
日本神話をモチーフにしたファンタジー小説で、他に『白鳥異伝』『薄紅天女』と合わせて勾玉三部作がと呼ばれています。
作品の内容としては、どの部分を採り上げても「ネタばれ」になってしまい、これから読む方の「喜び」を奪ってしまうことになるので、ここは用心して徳間書店からリリースされている「内容紹介」をお読みいただきます。
村娘狭也の平和な日々は祭りの晩に破られた。「鬼」が来て手渡した「水の乙女の勾玉」…憧れの「輝」の宮で待っていた絶望…そして神殿で縛められて夢を見ていた輝の末子稚羽矢との出会いが、狭也を不思議な運命へと導く…。神々が地上を歩いていた古代日本、光と闇がせめぎあう戦乱の世を舞台に織りあげられた、話題のファンタジー。
http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784198605391
むむむ、これではよく分かりませんね、、、。(嘆息)
楽天ブックスの「商品説明」では以下の通りです。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
輝の大御神の双子の御子と闇の氏族とが烈しく争う戦乱の世に、闇の巫女姫と生まれながら、光を愛する少女狭也。輝の宮の神殿に縛められ、地底の女神の夢を見ていた、“大蛇の剣”の主、稚羽矢との出会いが、狭也を不思議な運命へと導く…。神々が地上を歩いていた古代の日本“豊葦原”を舞台に絢爛豪華に織り上げられた、日本のファンタジー最大の話題作。
https://books.rakuten.co.jp/rb/6502711/
ははは、やっぱりよく分かりませんね。(笑)
下敷きとなる神話は、有名なアレです。
日本の神話で、日本という国を作ったのは、伊邪那岐命(イザナミノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)という二柱の夫婦の神さまです。
この二柱の神さまは、「国生み」の後もいろいろな神さまを生んで、この国を形作っていくのですが、「火の神さま」を生む時に、伊邪那美命はやけどを負って死んでしまいます。
愛する妻の死を受け入れられず、取り戻そうと「黄泉(よみ)の国」を訪ねた伊邪那岐命は、禁を破って死によって腐敗した妻を見てしまい、変わり果てた己の醜い姿を見られて逆上した伊邪那美命に追われて這う這うの体で逃げ出します。
黄泉比良坂(よもつひらさか=生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂)まで逃げおおせた伊邪那岐命は、大きな岩でそこを塞ぎ、岩を挟んで伊邪那美命と最後の会話をします。
黄泉の国の者となった伊邪那美命は、言います。
「毎日人を1000人殺してやる」
それを聞いた伊邪那岐命は、
「それなら毎日1500人の子供が生まれるようにしよう」
と言い返して、黄泉比良坂を後にします。
その後、伊邪那岐命は死の穢れを落とすために禊(みそぎ)をし、禊の最中にもたくさんの神さまを生むのですが、最後に右目を洗うと天照大御神(日の神、高天原を支配)、左目を洗うと月読命(月の神、夜を支配)、そして最後に鼻を洗うと須佐之男命(海を支配)という三貴神が生まれ、伊邪那岐命はこの三柱の神さまに世界の支配を命じられました。
さて『空色勾玉』は、この三柱の神さまが支配する世界では、結果的に、三柱の神さまが生まれる前に日本の土地に根付いていた土着の神さまが封じられており、『輝の大御神の双子の御子と闇の氏族とが烈しく争う戦乱の世』を舞台として、光とは、闇とは、不死とは、死とは何なのかとせめぎ合いながら、紡がれていく物語です。
主人公の一人である村娘の狭也(さや)は、「水の乙女の勾玉」を持ち、水が天と地を循環する性質であるように、光と闇の間を行き来しつつ、両者を媒介します。
人は「光と闇」ならば光を「不死と死」ならば不死を好み、それらを礼讃し他方を忌み嫌いがちですが、本当にそうなのか?
伊邪那美命が放った「毎日人を1000人殺してやる」という言葉は、額面通りに生者に対する呪詛なのか?
母なる神さまが「死を与える」ことによって、人は救われ癒されているのではないか?
なぜなら伊邪那岐命は、伊邪那美命の言葉を受けて「殺させない」とは言わず、それを上回る「生を生む」と返しているのであって、この国を生んだ二柱の神さまは、死を受け入れることについては合意しているとも考えられるからです。
また漢語の「黄泉(地下の泉という意味)」という字を当てた「よみ」という音は、日本語では「よみがえる」に通じるものだと感じるからです。
以前にも触れたと思うのですが、私は、日本人女性の紡ぐファンタジー小説がとても好きなのです。
どんなに面白い物語でも、一神教の文化の中で描かれた世界は、善悪の捉え方であったり、死生観であったり、わずかに、どこかしら、ざらっとして肌触りの悪い部分あって、「せっかくお気に入りのマフラーなのに、ちょっとチクチクする」的な感じがするのです。(笑)
その点、日本人女性の紡ぐファンタジー小説は、同じ文化的背景の中で育った者同士、どこにも違和感を感じることなく安心して読み進められる「どこもチクチクしないマフラー」であり、さらにこの作品ともなると「色もデザインもお気に入りのカシミアマフラー」のようなうっとり感があります。
「面白い、面白い」と物語を読み進めながらも、自分の中にある固定概念が薄っぺらなものではないかと、うすら寒くなってきます。
そしてもう一つ、自分がいかに「教科書的知識」に閉じ込められた迂闊な人間であるかを思い知らされます。
古今東西、歴史は事実の羅列ではなく、その時々の「勝者」によって改変されるものだということを「常識」として知っていながら、現在の天皇家に通じる「天照大神」が正に「勝者」であることに思い至らなかった自分がいます。
ですから読後「ああそうか、、、そういうことか」と思いました。
今まで自分が見ていた風景がスクリーン上に映されたものでしかなく、そのスクリーンを取り外せば、そこにはそれまで見てきたものとよく似ているけれど、もっと「奥行き」のある本物の風景があった、そんな感じでした。
『空色勾玉』というタイトルも、読後に眺めると意味深長です。
勾玉の独特な形は、「目に見え触れることのできる勾玉」と対になる「目に見えず触れることのできない勾玉」を合わせて「円」になるよう、あのような形をしているのだそうです。
現実世界でも、もうすぐ天皇の即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)が賑々しく執り行われることを思うと、私自身、日本に生まれた者として、嬉しさと誇らしさを感じています。
古代より天皇は、治める国民のことを「大御宝(おおみたから)」と呼び、日本国民は、天皇のことを「大御心(おおみごころ/天皇の意思)」と呼んで仰ぎ見る、政治が乱れて国が荒廃することはあっても、有史以来、天皇の圧政によって苦しむことがない、そんな美しい国に生まれ落ちた幸運に感謝します。
この国の形を壊すことなくいつまでも守りたいと、堅く思っていますが、恐らく「天皇礼賛一辺倒」になるであろう世論を思う時、ふと、『空色勾玉』を思い出しました。
願わくば、高揚する心のどこかに「奥行きのある風景」を持ちたいものだと思うのです。
(おしまい)
次は
です。
そうですね
余裕 ゆとり スペース 奥行き 隙間 余剰
こういうものは大事ですね
二元性の一元性
二元性の世にあって善悪 光闇 陰陽 などの相反するものを
飛び超えなければいけませんね
両方を内包して統合 融合して更に全き次元 三元性に。
縦 横 奥行き で物質を認識するその上に。
すなわち線が放物線を描いて面が ぐにゃ〜っと曲がって
絶えず動きながら変化していく領域ですね
どのようにもいつでも自由自在に変化できる。
変容し続けていながら常に愛の旋律が基盤としてある領域。
固定観念が一切通用しない世界
どの角度からも物事を見ることができる明瞭さに満ちた世界。
理解 共感 協力 感謝 親和 歓喜 情熱 陶酔.....
噛み合う歯車と歯車の間には少し隙間があって
文字と文字の間にも少しの空間があるからそれを認識出来て
心臓の鼓動は収縮 弛緩 収縮 弛緩と一瞬止まっているのであって
コップでも机でも物質は拡大して見ると元素と元素の間は
空間があるんですよね
そういう余白、何も無いところに実は何でもあるのでしょうね
試し読みで少し読みましたが私にはこのお話は非常に難しいです
難解すぎる。
聖書や哲学書の方が全然簡単です
明日図書館で借りてきます☆彡家が吹っ飛ばなければ。
電車が運行してないので仕事が休みです(^-^)
ゆうこさん、ご無事ですか?
日本という島国に住む以上、天災は免れないことだと思い、そして、それを受け入れてなお余りある恵みを頂戴しているのだと思ってはいるのですが、いざ、自然の脅威に直面すると身がすくんでしまいます。
私の住む田舎は、風が強く吹いた程度で、収穫前の稲穂も倒れなかった程度なのですが、被災した方々のことを思うとほんとうにお気の毒で言葉もありません。
ワールドカップラグビーの試合が中止になったりして、大きな混乱を巻き起こしている今回の台風ですが、あと10日と迫った令和の御代の天皇様の御即位に直撃を免れたことで「やっぱり、日本は護られたんだ」と思ったり、『空色勾玉』を再読した後だけに、大きな力の働きを感じてしまいます。
「空色勾玉」面白そうな本ですね
早速、図書館でチェックしてみますね
ところで、、、
大変 差し出がましいのですが、、、
私、なんちゃって神主してるんですが
普段はこの手の間違いに関して見て見ぬふりをしていますが
大好きなふるゆらさんの記事なので
ちょいと指摘をさせていただきます
「令和天皇」
きっと、今上陛下のことだと思いますが
今現在、存在しない言葉です
そのお名前は、のちの世の方々がお決めになること
今の御代では不適切かとおもいます
蛇足ですが
「平成天皇」
こちらも、のちの世の方々がお決めになること
おつむの弱い神主なので間違っているかもしれませんが、、、
高御座に登られ、私たち国民(おほみたから)にお言葉をいただける
令和の御代の天皇様の御即位
一世一代の慶事です
ともにお祝いしたいですね
遅くなりましたが、、、
いつも素敵な風景、かわいい風太くん
とっても楽しみにしています
暑くても体に堪えますが、寒いのも堪えますね
どうぞ、健康(みすこやか)にお過ごしくださいね
オーちゃんさん、ご指摘ありがとうございます。
仰る通りだと思いますので、訂正いたしました。
実は私自身、書いている時にも「これ、問題表現なんだけど、マスメディアとかで汎用されてるし、、、」と自覚していたという確信犯なのです。(嘆息)
令和の御代が終わり、お隠れになった後の諡号(しごう)「おくりな」として、○○天皇となるものですものね。
はい、やっぱり、ズルはいかんと、反省しました。
今週は行事が立て込んだのと「ネタ詰まり」のせいで、すっかり気分は「締め切りに追われる編集者」のような感じになり(笑)、最後の最後で「まぁ、いいか」と易きに流されてしまいました。
オーちゃんさんは神主さんでいらっしゃるのですね。
神さまと繋がり、その場を整えて浄める、、、ぐだぐだの私からすれば殿上人、、、「選ばれし人」という感じがして憧れます。
『空色勾玉』を楽しんでいただけたら幸いです。