ゆく年くる年、ありがとう、ありがとう (nya.1523)
今日、31年間の社会人生活を「卒業」しました。 (2020年12月31日)
時折り、ほんとうに時折り、予期せぬ時、予期せぬ場所で、心の奥深くを振るわせ、心に長く留まる風景に出会います。
それは、世間から賞賛を受けている「絶景」である必要はなく、一瞬も立ち止まることなく流れる時間の中で、移ろう自然が与え続けてくれている美しさと、ごくまれに、その美しさを素直に心の奥深くまで受け入れる準備が出来ている自分が出会う時に起こる奇跡です。
出会った瞬間に「ああ、これは、、、」と思う時もありますが、その時はそうと気付かず、時が10年単位で流れた後に不思議に何度も思い出す風景があり「ああ、あれがそうだったのか」と腑に落ちる時もあります。
学生の時訪れた奈良の公園で、銀杏の大木が葉を落とし、なだらかな起伏の地面を黄色で覆い、穏やかな日差しの中でたくさんの子供連れの家族が戯れ、子供の笑い声が絶えまなく響いている風景。
耐え難い悲しみを抱えて見上げた空の、ごくごくありきたりな青い空と白い雲の無邪気な明るさに涙がこぼれた時。
真夏に一人旅をして、神社へ続く長い長い石段を大汗を流しながら登って、登り切って振り返った時に、石段を駆け上がってきた一陣の風を受け、目にした青もみじの鮮やかな緑と海の輝き。
そんな風景に出会ったからと言って、抱えた人生の難問が解消する訳ではなく、歪で不完全な自分の心が成長する訳ではなく、その風景に出会う前と出会った後の自分は何も変わっていないのに、その度に私は思うのです。
「許せる」「待てる」「歩き続けられる」
何を「許す」のか分かりません。
そんな上から目線で「許す」なんて不遜じゃないかとも思います。
でも、確かに、それまで自分が抱えて歩かざるを得なかった「不条理」や「理不尽」や「自分に対する絶望」、それらから傷を負うたびに感じた「痛み」や「憤り」や「失望」を通じて選んだその時々の選択が、この風景に出会うための道のりであったことに、妙に納得するのです。
それまで緊張や不安が心に渦巻き、呼吸が浅くなっていたことに急に気付いて、「ふぅぅぅぅぅ」と大きく深呼吸をさせてくれる風景。
「ま、いいか、今は休憩して、また歩いてみよう」何を目指しているのかも知らないこの道を。
またいつか出会えるだろう、心を深呼吸させてくれる風景に出会うまで。
「だいたい、不器用な私はこれまでの体験から知っている。」「もうダメだと弱音を吐いてからが、自分で思うよりずっと長く持つことを ははははは」
この度、2020年12月31日をもって、31年間勤務した会社を退職することになりました。
この「決心」自体は、3年前に長期の病気休職を選んだ時から心の中にあったものですが、「それでも」「やっぱり」復職する方が「正しい」のではないかと心が揺れ続けました。
物心がつく頃には「保育園」に通い、その後は「学生」という身分に帰属して成長し、大学を卒業と同時に今の会社に就職し「社会人」に帰属してこれまで過ごしてきました。
何かに「帰属」しているということは、不自由を対価に「安心」を得ます。
私は、家族以外「何にも帰属していない自分」を経験することなく半世紀を生きてきましたので、乳がんステージ4の体を抱えて帰属先を手離すことへの葛藤が大きかったのです。
でも、今の私にはもう「葛藤」はありません。
私のように「THE・昭和のど根性」で、世間を渡ってきた人間が、そう言い切るのには、「病気休職3年間」という膨大な時間が必要だったのだと今なら分かります。
「人生、上手くできているなぁ」「私、よく護られて導かれているなぁ」と思います。
この選択へ導くため、浸潤性小葉癌、乳がんステージ4の病を得たことから始まる、壮大な計画だったのではないかと、「スパルタな守護天使さまたち」を疑うほどです。(笑)
馬車馬のように働くことに疑問を持たない私を定年前に方向転換させようと思えば、「死の渕を覗き込む」ような大病でガツンと頭を殴り、3年間病気休職して繭の中で休眠させるほどの「荒療治」でなければ叶わなかったことでしょう。(笑)
そして今、私に「葛藤」を強い、不安や恐れの枝葉を茂らせていた木の根っこは、自己否定する「習い癖」であり、自分が護られていることを知っていながら信じ切れていない自分の覚悟の浅はかさであり、それらを養分として育っていたのだと知って「脱皮」しました。
自分の年齢と体重以外は何も変化しない3年間の休眠の時が、これまで自分が身に纏っていたことも知らずにいた、最大にして最後の重い衣、生涯これをまとって生きていくほかないのだと思っていた衣を脱ぎ捨てさせるのですから、「天の配剤」、改めて感服します。
憑き物が落ちた自分の心を改めて検証すると、私は今の、夜明けの空を眺めながら朝を迎え、夜空の月の満ち欠けに時の流れを思う暮らしが、大いに気に入っていることを素直に認められました。
穏やかに生きていくのには、経済的な安心が不可欠であることを知らない年齢でもありませんし、守護天使さまたちが経済力以外のことで私を十分に護ってくれているように、「お金のエネルギー」でも護ってくれないかなと思わない訳ではありません。(笑)
ただ、これから私にこの世で過ごすどれほどの時間が赦されているのかは「神さまの領分」としてお任せするとして、自分が選べる領域においては、今の暮らしの明け暮れで穏やかに流れる時間を確保することを大前提として生きていくのだと、すっきりくっきり思うのです。
心が決まってしまえば、31年間、私を護り育んでくれた会社に感謝しかありません。
31年間の社会人生活で、「不条理」も「理不尽」も「自分への失望」もひりひりするくらい味わいましたが、「働く自分への満足」、「課題を克服する喜び」、「同じ船に乗り合わせた仲間との信頼」に恵まれた歳月でした。
私の会社は「商売」する会社でしたので、会社の敷地内に「お稲荷さん」がおられます。
お狐さまの足元で、あやされながら長い長い時を遊ばせてもらったものだと、お狐さまの懐の広さ深さに感謝感謝です。
会社に退社を告げたその足で、お稲荷さんに手を合わせ、最敬礼をしてきました。(笑)
そんなこんなの2020年12月、明け方の空と夕刻の空に、三日月と明るく輝く星を見つけました。
どちらも「狙って」見た訳ではなく、ふと見上げた空に、それはありました。
明けの明星の金星と三日月の大接近、次に見えるのは来年の1月12日だそうです。
木星と土星は397年ぶりの大接近らしく、三日月と一緒に見えるのは12月17日、私がふと見上げた夜空が、ドンピシャだったようです。
どちらも、月の満ち欠けと昇降、星々の運行、その季節の日の出日の入りの時刻と空の明るさという条件が、ピンポイントで重なり合った一瞬に私は出会ったようです。
この二つの三日月と明るく輝く星も、私の心に長く留まることでしょう。
いろいろあった2020年の中でも、素敵な12月を過ごせました。
皆様も良いお年を。
2021年もよろしくお願いいたします。合掌。
久しぶりにコメントを残します。
ふゆるらさん、長いお勤めお疲れ様でした。
同世代のわたしですが、まったく生き方がちがっていて、40代まで仕事らしい仕事をせず生きてきたわたしが、今頃あくせくと働いています^^;
人生、何があるか分からないものですね。これはこれで、楽しい人生です。
わたしは、ただ、わたしであればよいと思っています。
よっちゃんさん、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
ほんとうに「わたしは、ただ、わたしであればよい」と言うことに尽きますよね。
これまでもそう思って生きてきたつもりですが、まだまだ流れに身を任せきるには覚悟が足りなかったんだと、やっと半世紀生きて分かりました。(笑)
まさに生きることは「終わりなき旅」ですね。
新しい風、新しい風景、楽しみです♪
…… そうでしたか
大きな決断されました
人生の先輩からの目線で言うと
大 小の決断の中で進んでいきます
その途中で 自分の周りからも色々??が入ってきます
それも又 自分の決断で 浮かんだり 消えたり していく苦しいことに
遭遇します。
今回の決断は、ふるゆらさんにとって苦しい事でも決断できたこと
きっと心が解放感で明るくなってくるでしょう
お疲れ様でした。
空の 月と星の 素敵な空‼を丁度見た なんて偶然奇跡が目に入った
のですね。 心が休まった事でしょう。
はい、ありがとうございます。
今回の決断は、99%心が決まっているのに、残り1%の「慣性の法則」が何度も頭をもたげる、そんな感じでした。(笑)
新しい風、新しい風景に出会い、自分の心が何を感じるのか、今から楽しみです♪
昨年12月14日に乳癌の告知、PET検査、MRI検査、抗がん治療、ホルモン治療、手術と医師・看護婦さんから説明をうけ、自分でゆっくりと考える時間もなく年末を迎えました。
そんな中でこのブログに出会い・・なんか似てる・・良かったって思いました(ごめんない)
私は初めての癌なのに、医師は癌のベテランこれで間違いなし!という説明をする。違和感です。
まだすべての検査結果がでたわけではありませんが、私はお正月あけから抗がん治療をする予定です。
でもそれが私が望むことなのかわかりません。何が正解なのかもわからないですよね。
私もひつじで、ばりばり昭和です。
このブログで救われました。
ありがとうございました。
ひろこさん、はじめまして&コメントありがとうございます&明けましておめでとうございます。
大変でしたねぇ、そして今も、さぞやインナーワールドがジェットコースターでトムとジェリーかと思います、お疲れ様です。
ひろこさんがおっしゃる通り、「疲れる」のは生活が激変することに加えて、「何が正しいのか分からない」のに、アドバイスが正しいこととして選択を迫られることですよね。(嘆息)
「ちょ、ちょ、ちょ、ま、ま、待って、待って、待てぇぇぇ」と心の中で絶叫しているのに、現実が淡々と進められていく「違和感」。
これまでの人生、もっと確信を持って「選択」してきたのに、人生の一大事にそれが許されない「違和感」。
日本の医療と医療制度は、素晴らしいものだと思いますが、「THE・昭和」の「ノーと言えない日本人」にとってハードルが高いです。(嘆息)
でもですね、ひろこさんの人生を背負っているのはひろこさん、医者にとってはある意味ルーティンワークの日常です。
「心の整理がつかないので、2週間ほど時間が欲しい」とか、言うのは「全然アリ」ですよ。
ひろこさんがひろこさんの親友になって、ひろこさんが楽になるアドバイスをしてくれるシーンを想像してみてください。
この病は、体のケアと同じだけ心のケアをしてあげることがミソですよ。
私のブログが、お役に立てて嬉しいです。
2021年がひろこさんの、厳しいけれど豊かな時の流れとなることをお祈りしています。
お疲れさまでした!
31年、よく勤め上げられました。尊敬します。
しばし、ごゆっくり。
たにぞうさん、ありがとうございます。
「無事、卒業できました」と言える自分が嬉しいです。
何気に選んだ会社、これほど長く「腰かけ」ることになるとは思いませんでしたが、31年間サバイブし、体調を配慮して貰って事務方に配属される直前に、「やっとこれが自分の天職になった」と思える時があり、今は「もう、十分に働いた」と思っての「卒業」です。(笑)
これまた、天地人の恵みをいただいた結果です。
たにぞうさんの2021年が、充実した時となることをお祈りしています。