時は妙薬(nya.523)
「中二病」を発症した(笑)3月さようなら、新しい4月こんにちは! (2018年4月6日)
『中二病』という言葉をご存知でしょうか。
いろんなことに使えるまことに便利な言葉です(笑)
言葉の意味は・・・、(ご存知の方は読み飛ばしてください)
1999年のラジオ番組内でパーソナリティの伊集院光が「自分が未だ中二病に罹患している」と発言し、リスナーから募った「症例」を体系化させていった。「中学2年生くらいの年代でありがちなこと」といった意味のもと、投稿ネタの一枠として展開していたものである。
リスナーの間だけの名称であったが、認知されて以降は自虐の意味合いというよりは、思春期の若者が行いがちな努力無きアイデンティティーの獲得行為への蔑称の一つとして定着するに至っている。
それに伴って、中ニ病を過剰に嫌悪することを揶揄した”高二病”を始め、”小二病”、”大二病”などの類似する派生語が自然発生し、同じくネットスラングとして用いられている。女の子が中二病の前兆としてかかる、”小六病”という単語もある。
具体例として
- 洋楽を聞き始める
- うまくもないコーヒーを飲み始める
- やさぐれる
- 眠れない午前2時
- 苛立ちがドアを叩く
- 「サラリーマンにだけはなりたくねーよなぁ」
- 売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
- 「因数分解が何の役に立つんだよ」
- 「大人は汚い」
- 母親が何か言おうとしよう物なら、その声にかぶるように「わかったよ!!」と言って聞かない。
- 本当の親友探しを始めたりする。
- やればできると思っている。
- お母さんに対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」と。
ははははははは。
「思春期」の類義語のようなものですが、「中二病」の方がリアルな感じです。(笑)
自分が正に中学二年生だった頃、大人になればいろんなことが分かって、今のように不安定ではなくなるのだと無邪気に夢想していたものです。(笑)
ところがどっこい(・・・死語?笑)、あれから茫々40年弱の時間が過ぎ、大人になっても、いくつになっても、人の心というものは安定などしないのだという現実を知り、「これはもう、この世を卒業するまで続くね」と観念して、大人の顔をして生きているわけです。(嘆息)
さすがにリアルに「中二病」で、常に大波に揺られて航海していたようなあの頃に比べれば、遥かに穏やかな波の日々ではありますが、それでも忘れた頃に大波に襲われて「あわわ、あわわ」と慌てふためくことがなくなることはないのです。
「なんで、急に中二病の話?」と思われるかもしれませんが、3月の私はまさに「中二病」だったなぁと、4月に入り憑き物が落ちたように落ち着いた私が、先月を振り返ってそう思ったからです。(笑)
先々週のブログで、ふたたび休職を延長するにあたって結構な葛藤があったことを書きました。
以前にも、私は気持ちを言葉に代え、文章を書くことで「無料」のセルフメンテナンスをすることがよくあるとお伝えしましたが、先々週のブログもまさにそれでした。(笑)
自分の感じていることを「ああでもない」「こうでもない」とこねくり回しているうちに、「ああ、そうか、結局私は逃げたいと思っているんだ」と気付きタイトルにしました。(参照:休み続ける(=逃げる)という選択 (nya.509))
不思議なもので、自分の気持ちに一旦気付くと、「逃げたい?上等!!見事な逃げっぷりを見せてやろうじゃないか。」と、それまで悶々ウジウジと考えていた憑き物が落ち、心が落ち着くのですから、人の心の化学変化は面白いものです。(嘆息)
しかし、今回の「中二病」発症(笑)と一応の結論に至るまでの道のりは久々に、本当に、ハードでした。
友人へのメールの返信で失敗してとことん落ち込み、見事に深い自己嫌悪の溝に嵌まりました。
心象風景でいえば、枯れ井戸にストンと落ちてしまい、遠くに小さく丸く切り取られた空を見上げている感じでしょうか。(笑)
見上げる度に、小さな空にお日様が見えたり、青空と白い雲が見えたり、お星さまが見えたりしましたが、「遠いなぁ」と、絶対に手が届かない無力感と、突き抜けた諦めが心に居座って何日も過ごしました。
そんな「中二病」はさておき、まずは喫緊の課題として、友人の怒りを解かなくてはなりません。
「中二病」が収まるまで待っていたのでは「どれだけふてるかな」と、さらに友人を怒らせてしまいます。(涙)
長々と言い訳するには「手紙」だろうと、書き始めたのですが、さすが「中二病」、支離滅裂な言い訳です。(嘆息)(笑)
こんなものでは友人も納得できないだろうと、その後数日おきに手紙を書き直しました。
何しろ「枯れ井戸」にいるのですから、他にすることがないのです。(笑)
すると2週間もすると、友人を怒らせたパニックの中で初めに書いた手紙とは、まったく異なる心情に変化していきました。
おもちゃのスノードームは、球体の中に雪に見立てた小さな紙片があり、逆さまにすると雪に覆われてホワイトアウトしたものが、ゆっくりと下に落ちて澄んでいく様を楽しむものですが、私の心も「そんな感じ」でした。
最初は、自己否定と自己欺瞞と自己防衛でホワイトアウトしていたものが、時がたつにつれて、「なぜ」そのように心が働くのかが見えてきました。
そこで思ったのです。
「おおお、これはまさに「中二病」のようだ」と。(笑)
だいたいこうして休職していなければ、仕事や日常の忙しさに紛れてしまい、こんなに考え続ける時間もないのであって、『内向きの時間がたっぷりある』という感覚がまさに「中二病」を発症した理由だと今では分かるのです。(笑)
先々週「逃げたい」とブログに書いた後も時は滔々と流れ、心の中の化学変化は継続され、今では「何から逃げたい」と思っていたのかも分かるようになりました。(万歳)
先々週のブログにコメントをいただいた「ゆうこさん」の言葉で気付いたのですが、私は『承認欲求』のバランスを欠いていたのです。
人間の三大欲求は、食欲、性欲、睡眠欲ですが、その上にまた、5段階の欲求があるとされています。
人間が生きていくために必要な順番で、1生理的欲求.2安全の欲求.3所属と愛の欲求.4承認の欲求.5自己実現の欲求です。
4承認の欲求の中に、「他人から認められたい=他者承認」「自分自身が自分を認めているか、今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断する=自己承認」があります。
承認を求める気持ちは誰にでもある健全なものですが、極端に低すぎても高すぎても問題を生じてしまうわけです。(嘆息)
「ああ、ほんとうに」と思いました。
そしてそれは仕事を続けた28年間、常に私の中に自然にあった感情で、モチベーションを保ち仕事に満足するためには必要な感情でもありました。
あまりに自分の中に溶け込んだ感情なので、指摘を受けるまで、切り離して考えることもありませんでした。
自分が末期がんだと知った時、自分が末期がんでありながら穏やかに生きることが赦されると知った時、『仕事中心だったこれまでの自分』とは決別し、自分の心が喜ぶ時間の過ごし方を優先して暮らそうと、思ったはずですが、まだまだ脱皮が足りなかったということです。
仕事をしていれば「他者からの評価」が大切ですが、仕事を休み、自分の心と体を優先したいと思っている私にとっては、他者から評価されたいというプライドを手離さないでいることが、心のバランスを崩す要因にしかならないのです。
ああ、すっきりしました。
憑き物が落ちました。
この先、私がどんな道を選ぶことになるのかは「神さまにお任せ」ですが(笑)、再度この「穴ぼこ」に躓くことはないでしょう。
まだまだ脱皮が足りない私ですから、この先も「中二病」を発症して、別の「穴ぼこ」に躓くことは大いにあるでしょう。
その時もやっぱり、自然と風太、友人知人、ブログの読者の方々と「時の妙薬」に助けられることでしょう。
先日遠方の友人が我が家に泊まりに来たので、少し離れた「山の上」にある神社に行きました。
山頂に大きな磐座がある「パワースポット」なんですが、手を合わせていざ『お願い』をしようと思うと、「・・・・・」もう、心のわだかまりがなくなっていました。
清々しいお山の空気を深呼吸して、帰り道、「おおお、私は半年前に右足首を骨折したというのに、参道を苦にせず歩けているではないか」と『感謝申し上げること』があることに気が付きました。
「至らない人間のすることはこれ」と神さまが深い深いため息をついていらっしゃいました。合掌。(笑)
次は
です。
脱中二病、おめでとうございます。
人生色々ありますね。。
ふるゆらさんの心が、すっきりと晴れ渡ったのが嬉しいです。
はい、かえでさん、ありがとうございます。
今回のつまづきからは、無事脱出しました。(笑)
でも「まだらボケ」と同じで、思春期以降のすべての人間は「まだら中二病」です。(笑)
しばらくして忘れた頃に、今度は違う穴ぼこにつまづくことでしょう。(笑)
どんどん心の成長を続けるふるゆらさん。
本当のことを言えば例のお友達に宛てたふるゆらさんのメールは
なんということもない、ただの現状報告です。
私ならば「そっかあ〜。じゃ、delayだね、」
だけのことです
お友達が激怒したのはドンピシャのことを言われて自尊心が
傷付いたからでしょう
そう、これは怒りを持ってしまったお友達の課題であり問題です
実は。
ふるゆらさんのメールを読んでどう思うか、感じるか。
これは100%お友達の課題であり問題です
で、どのようなお返事が返って来ようがそれも100%お友達の自由です
私ならばあのようなお返事をもらったら
「ああ〜怒らしちゃった」で終わりです
怒るのはお友達の自由であり完全にお友達の問題であり課題だからです
私は例のふるゆらさんがお友達に向けたメールを見て
「何がこんなにふるゆらさんを追い詰めたんだろう?」と
痛々しく思いました。怒りを買う要素ゼロの1文だと思いますけどね
でもふるゆらさんにとっては大切なお友達だから
心が痛くなったんですね
ゆうこさん、ありがとうございます。
ははは、見事に「中二病」(笑)。
生い立ちやらトラウマやらがこんがらがって、私の心の中が「わかって、わかって」と他者からの承認が欲しい気持ちで充満していたため、友人からのアドバイスに過剰反応してしまったんですね。
こういう「ひとり相撲」こそ、「中二病」の最たる例です。(笑)
今回もゆうこさんの言葉で、ずいぶんと助けられました。
そして、考えるきっかけとなった友人のメールも、ゆうこさんの私を励ましてくださるお言葉も、どちらも得難い「天の配剤」でした。合掌。
友人のメールと同じような「助言」はこれまでも数限りなく受けていましたし、自問自答する際も私自身が思っていたことなのに、今回に限って「穴ぼこ」に躓いてしまったのは、「よぉ~く、考えるべきこと」と、例によって腕力の強い私の守護天使さまが「そぉ~れ」と私を突き飛ばしたからだと思うのです。(嘆息)
しかも、ちゃんと別の角度からの助言をくださる方を配置する用意周到ぶりに、私の守護天使さまの懐の深さを感じます。(笑)
そんな私のグダグダした心の推移を臆面もなくブログに書いたのは、ひょっとして、もしかしたら、万が一、私と同じようにままならない身体とままならない心を持て余している方がこの世のどこかにおられて、見事に穴ぼこにつまづいた私のダメっぷりを読まれることがあったなら、『そっか、そーゆーことか』と、ちょっとだけ心が軽くなる方もいらっしゃるかもしれないと思うからです。
もし、そんな方がこの世に一人でもおられたなら、「見事につまづいた甲斐」もあったというものです。(笑)
そう、躓きの石です
ふるゆらさんが躓けば後ろの人が気づいて
転ばずに済むのですから
今回の要点は「もったいない」ですね
何がもったいないのか。
ふるゆらさんの体よりもったいないものなど
あるわけないのです
だからふるゆらさんは「そんな気になれない」と
自分の気持ちの方を選ぶ正しい選択をしたわけ
です。正しいと潜在意識で分かっているから
お友達は侍が刀でスパーっと斬られたような
気がして激おこプンプン丸になっちゃったんですね
私も2年ほど前、大大大親友がカルト教に去っていった
ことがあります。「ゆうこちゃんが本当に私を大切な
友達と思ってくれてるなら入信してくれるはず」と
いわれビデオ会や説法のセミナーやらに
行こうか本気で悩みました
しかし自分の心が裏切れず、彼女より自分を選択しました
もちろん彼女は激おこで「入ってくれると思ってた‼」
と去っていきました
私はパニック障害と涙が勝手に止まらない病になってしまい
出されたロフラゼブ錠、レクサプロ、デパス、睡眠薬を
大量服用して救急搬送されるなどしっちゃかめっちゃか
になりました。しかし良い勉強になりました
私は依存してたのです、友達に。
それを知る良い機会になりました
ほんとですね、ゆうこさん、何事もバランスが難しいです。
私が今回のことで学んだのは、他者の言葉に振り回される自分がいるのではなく、自分に確信が持てないから他者の言葉に引寄せて考えてしまうんだということです。
動物も人間も「快、不快」が行動原理の基本ですよね。
自分が好きでいられる範囲で、自分の「快、不快」を優先して、自分を信じることが第一歩、その次がいろんな現実やしがらみを秤にかけて考えれば良かったのです。
友人のメールも、「その意見も一理あるけど、私はこう思う」とすんなり言えたなら、深い井戸に落ちることもなかったのだと今は分かります。(嘆息)
自分でも精神的に自立している人間だと思ってましたので(笑)、まさかこうなるとは意外でした。(笑)
普通に生きているだけなのに、自分を見失ったり、自分を見つけたりするのですから、まったく、生きるって難しいものですね。(笑)
ほんとですね
私は前に実家に行った時、母とお茶をのみながら
よもやま話をしてたら、いきなり母の携帯が
鳴りました
母はその携帯が誰からかかってきたのかを確認すると
すかさず携帯をソファーのクッションの下に
ねじ込み、両手のひらで両耳を塞ぎ、目をつぶって
じっと座り込みました
「…な、……何してるの?」と聞いたら
「イヤなのよ、…あの人苦手なの…」
とうずくまっていました…
母は72歳…人間は多分一生中二病です
ああ、お母さま素晴らしいですね。(笑)
お見事な「快、不快」の法則発動です。
あやかりたい、あやかりたい。(笑)