休み続ける(=逃げる)という選択 (nya.509)
休職を延長します。 (2018年3月23日)
1月1日に始まった休職は、3ヶ月の約束でした。
背中の痛みと日中の眠気が耐え難くなって、診断書を会社に提出し受理されました。
有難いことに私の勤務する会社は、ある程度会社の規模が大きく、多くの従業員を抱えていることと、組合が死守してくれている福利厚生制度のお陰で、退職勧奨がありません。
働きたいという意志がある限り、病気やけがの体調に合った仕事に配属して貰えますし、制度上認められている「病気休職30ヶ月」を取得することも実際に可能です。
骨折以来ほとんど働いていない私ですので、大変恐縮な次第ではありますが、先日、1月から休職することになった症状が改善されていないという診断書を改めて人事に提出し、休職の延長を申し出ました。
しかも、今度の診断書は【6ヶ月】の療養です。
人事部長にアポを取り、現状と今後を説明して「お願いします」と診断書を手渡すと、人事部長はすんなり休職延長を受理してくださり、「がんばれよ」と言いながら退室する私を見送ってくれました。
人事部長は、10年近く同じ職場で働いたことがあり、仕事終わりに何度も焼肉を食べに行ったことがある「同期」です。(笑)
私が「鬼のように」働く人間であり、少々のことでは弱音を吐かない「ど根性がえる」であり、且つ楽観的な人間であることを分かってくれている上で、私が休職を選択するのなら「待つよ」と言ってくれたのだと思います。
安い給料で馬車馬のように働いてきた30年近い歳月が、私の信用となり、会社への「保証」となっているんだなぁ、と思うと、『人間万事塞翁が馬』『禍福は糾える縄の如し』『 Every cloud has a silver lining. (すべての雲 には銀の裏地がついている)』という言葉を噛みしめました。
背中の痛みは、リラックスして筋肉を弛めることと、筋力の増強の両方が必要であろうと考え、風太との散歩に加え、自室のPCチェアーを「バランスボール」に代えてみました。
インナーマッスルを鍛えれば、背筋がコルセット代わりになって、痛みがなくなるのではないかと目論んだのですが、今のところ1時間もすれば背中が痛み始め、ベッドで休憩することを繰り返しています。
復職すれば7時間程度PCに向かってデスクワークをするのですから、「ダメだこりゃ(嘆息)」という結論に至りました。
日中の眠気は、腓骨骨折の休職の時に実感したように、睡眠時間が十分に確保され体力を消耗しない生活を送れば「現れない」もののようです。
フルタイムで勤務している時は、朝5時に起きてお風呂に入り、「にんじん、りんご、レモンジュース」を飲んで、出勤、通勤の運転は往復で2時間、帰宅後は欠かさず「枇杷の葉こんにゃく温湿布」を1時間ほどして、その後晩酌(笑)、となるとなかなか「7時間」の睡眠時間を確保することが出来ませんでした。
特に体調が悪いと感じていない時も、週一で通っているはりの先生が「脈診」をするたびに「過労の脈」だと言われていますが、普通の生活であっても、私にとってはハードなものだったのだと思います。
子育ても主婦業もない「自分の面倒を見ているだけ」の私ですので、本当にわがままなだと罪悪感を覚えるのですが、今の私の体力では、睡眠時間が7時間を切るとエネルギーの消耗が体力を上回ってしまい、エネルギーが枯渇すると眠気に襲われるという図式のようです。
試しに睡眠時間を5時間にして生活してみましたが、背中の痛みと日中の眠気があっさりカンバックしました。(嘆息)
かてて加えて、今の私は「休みたい」という気持ちが強く、4月からの復職を思うと真っ暗な気持ちになります。
自分で認識していた以上に、仕事中に居眠りを繰り返す生活が私を精神的に追いつめていたらしく、優しい職場の同僚がそのような私を黙認してくれることが分かっていても、再度あの「ダメダメぇ~、寝ちゃダメぇ~」と心の中で絶叫し続ける生活に戻ることに恐怖を覚えることが、私が復職を拒否したい最大の要因だと思います。
背中の痛みも日中の眠気も、いついつまでに改善するという目途の立たないものであり、休職を延長したら解決するものでもないことは承知しているのですが、そんなこんなで、ここは一発「逃げる」ことにしました。(笑)
もうしばらく、結論を求めずに時間を過ごそうと思います。
そして、それが赦される私の幸運に感謝感謝です。
先日、友人から「乳がんの数値が悪くなっているわけではないのに、これまで務めてきた仕事を辞めるのはもったいない。体力が戻ったら、フルタイムではない形で復職した方がいいよ。」とメールを貰ったのですが、復職を恐れていた私はパニクってしまい、全力で友人の提案を否定し、その中の言葉で友人を傷付けてしまいました。
「職場環境に恵まれているにもかかわらず、それを手離そうとしている不安」「歯を食いしばって無理をすれば働けないこともない身体で休職をしている罪悪感」「日中の眠気に敗北し続ける生活への激しい嫌悪感と、その程度で弱音を吐く自分の弱さ」
私はメールの返信で「私の選択は、怠け者の愚かな選択で、守り養う者を持たない気楽な人間の我がままであり、本当にがんの闘病で苦しみ、骨転移の痛みに耐えている方からすれば、お花畑のような暮らしをしているにもかかわらず、休職を選ぶ私は根性なしだということは知っていますが、今はただ(休みたい)としか考えられないのです」と伝えました。
友人は「そんなことは言ってないし、考えたこともない。そんな風に思っていると思われていたのだと知って本当に落胆した。ふざけるな!」と叱られました。
本当に、私は愚か者ですね。(嘆息)
自分への言い訳で心がはちきれそうになって、友人にそれをぶつけ、八つ当たりをしてしまいました。(涙)
今回のメール事件で私は、「自分の愚かさ」にほとほと落ち込み、穴を掘って自分を放り込みたいくらい自己嫌悪で見悶えました。(嘆息)
こんな愚かな私ですが、春の日差しを浴び、マフラーを外した首筋に新しい風を感じ、風太と散歩に出れば春の花の甘やかな空気を深呼吸して、神社に行ったり、河川敷を歩いたり、空を見上げたり、野辺に咲く花を眺めたり、ゆっくりとぽてぽて歩いているうちに、時という妙薬が、私の心を、今では想像もつかない場所に運んでくれることを期待して、休むことにしました。
「なんで、あの時はあんなに苦しかったんだろう」と、思い出しても不思議になる日がくる。
そんな日が来ることを祈って、今はただ「逃げる」ことを選択しました。
そんなことを考えながら散歩していると「5つ葉のクローバー」をみつけました。
幸運なのかそうでないのか、微妙なところが今の私らしいなぁ、と笑いました。
次は
です。
ふるゆらさん
30年間勤続されてこられて本当にお疲れ様です。長い間、会社に貢献されてこられたのですね。
福利厚生制度の充実した会社で、休職が制度として認められているのですから、制度を活用することに罪悪感を抱かなくても良いと思いますよ。
ストレスを前にすると、闘うか逃げるかの選択を迫られますが、どちらの選択も自分の生き残りを賭けているのです。
ふるゆらさんは逃げることで生き残ることを選んだのだと思いますよ。
今、安全地帯にいるのなら、そこから回りを見渡して自分の進むべき道を冷静に探せばよいと思います。
自己嫌悪は厄介な感情で、ご自分の生命力を傷つけます。自分を許すには時間がかかるかもしれないけれど、何か人の役に立つことをすることで回復に向かいます。
ブログを発信することもふるゆらさんに出来るお役立ちと思いますよ。
おはようございます。ののはなさん。
久しぶりに自分の内面の奥深くを覗き込んで疲れました。(嘆息)
でも、春と風太に助けられて、笑わない日はありませんでしたよ。(笑)
他の方からのコメントで「プライド、自信、アイデンティティー、承認欲求」がキーワードだとご指摘をいただいて、「なるほど!!」と腑に落ちました。
最後の「承認欲求」がミソですね。
会社という組織で働くと「認められたい、評価されたい」という気持ちが自然に働くもので、私の場合その年月が長い分、自分に同化して不可分になっていたのだと思います。
乳がんになって、自分が末期がんだと知って、「新しい自分」として生きよう決めましたが、決めただけではすぐに「新しく」なれるはずもなく、こうして時間をかけて一枚一枚、脱皮していくんですね。
脱皮できる時間を与えられた幸運に感謝する春です。
今は逃げるが一番、まだまだゆっくり体調を戻して下さい。
お友達がもったいないと仰ったのもよくわかります。メールだと伝わりにくい事ってありますよね。無事誤解が解けますように。
はい、かえでさん、ご心配ありがとうございます。
友人には、長々とした言い訳のメールを送り、怒りを解いてもらいました。
久々に自分の心の奥深くを覗き込み、鬱々とした日を送りましたが、春が助けてくれました。
風太が笑わせてくれました。
私という人間は、こうしていつだって護られているんだと思う3月です。
初めてコメントいたします。うーん(^_^;)いつも楽しく読ませて戴いていますが、ご友人のお言葉がかなり正論だと思います…。ちょっとがっかりしました。
初めまして蜜柑さん、コメントありがとうございます。
そーなんですよね~。友人をがっかりさせたばかりではなく、自分自身もそんな自分にほんとうにがっかりして(嘆息)、自己嫌悪の海に沈みました。(涙)
一か月がかりでようやく浮上でき、友人にも謝りました。
愚かな私という友人を持つ私の友人は、心広くなければやっていけませんが、ラッキーなことに心広いです。合掌
ご返事くださりこちらこそありがとうございます。きつく聞こえてしまいましたら申し訳ありません。私もふるゆらさんと同じ独身女性です。大分若輩者ですが、結婚の予定もなく自分を自分で養っていかなくてはならない身です。幸い、全くの健康体ですがいつ命に関わる病気になるともしれません。
ふるゆらさんは乳がんになられてからもご自身で病気について良く勉強され、自力で寛解に持っていかれるなど本当に尊敬しますしここまで来られたのも努力の賜物だと存じます。楽しみにしておられる東京オリンピックもきっと御覧になれると思います。
もし今後、がんと上手く共存でき、もっと生きたいとの感情が沸き上がった時、もしくは老後を考えた時、ストック(貯蓄)も勿論大事なのですが、フロー(収入)もかなり大事なんです。生きていくためには細々でも良いので→ご友人の仰るフルタイムではないパートタイムでも フローが得られるようにすることが大事だと思います。
知的で聡明だと推測されるふるゆらさんならできると見込んでご友人も激励するつもりで仰ったのだと思います。本当にもったいない。
何も事情を存じ上げない私が申すのも何ですが、私は客観的に見て休職を延ばすことが長いスパンで見て良いことだとは思えません。
私もふるゆらさんのように自分の人生に責任を持つ力強い女性でありたいと思います。お身体御大事になさってください。先輩、応援しております!
はい、蜜柑さん、ありがとうございます。
蜜柑さんのご意見「もし今後、がんと上手く共存でき、もっと生きたいとの感情が沸き上がった時、もしくは老後を考えた時、ストック(貯蓄)も勿論大事なのですが、フロー(収入)もかなり大事なんです。生きていくためには細々でも良いので→ご友人の仰るフルタイムではないパートタイムでも フローが得られるようにすることが大事だと思います。」私も本当にそう思うんです。
本当にその通りだと思う分、迷いました。
一方で、46才の時に末期がんと知り、自分の死を直近のこととして受け入れた時に、もうこれからは、自分の望む時間の過ごし方を選んだらいいんだと、ある種の解放感も持ちました。
あれから5回目の春を迎え、そのこと自体が奇跡なんだと感謝しながらも、この調子でいくと「お金大丈夫かな?」と贅沢な悩みを抱えることになったわけです。(笑)
本当に人の心はままならないもので、「生きていること自体が有難い」と純粋に感謝して生きていこうと思いながら、「でも貧乏は嫌だし」と思うのです。
ただ、せっかくこの世を卒業する「予鈴」を聞いたのですから、「予鈴」を聞かなければ「当たり前」と思って生活していたことの延長ではない、生き方をしたいという思いが強くあります。
仕事に忙殺されることのない生活が、今の私には「幸せ」です。
蜜柑さんがおっしゃることも、私の望む幸せも、今の私には「ちょうどいい折り合い」が見いだせないでいます。
休職を延長して、一旦「保留」です。
いろんなことを受け入れて「これが私の幸せ」だと、自分の心が決まったら、それが私の生きる道です。
損得ではなく、幸せを感じられる道を探したいと思っています。
蜜柑さん、心配してくださってありがとうございます。
本当の自分を知っているのは自分自身。人目には幾分能天気でおおらかで、行動はダイナミックで、さほど繊細にも見えず・・・別に私のことを言ってないけど(・.・;) そしてすべて否定しないけど。
ふるゆらさんも、いくら恵まれた職場とはいえ体調ゆえにどれほど悩まれたことか。
それまでの働きが評価されているのですから、遠慮なくお休みして自分を大切にしてください。
「自分の体は自分が一番よくわかる」ですわ。(自分を守れ)
はい、華子さん、ありがとうございます。
ほんとうに、人から「繊細」という評価を受けたことはありません。(笑)
一旦心を決めてしまえば「迷う」ということをしない性分だけに、「決められない」場面自体が珍しくうろたえてしまいます。(笑)
そこで「断捨離」のテクニックを応用しました。
「捨てるもの」BOX、「いるもの」BOX、そして「判断保留」BOXです。
今の気持ちを「判断保留」BOXに放り込むことを思いついて、ほんとうに楽になりました。
時の妙薬の働きを期待して、「果報は寝て待」ちます。(笑)
ご心配ありがとうございました。合掌。
はちきれそうな気持ち、愚かだなと思う気持ち
私も同じようなことが最近ありましたよ
メールではなく、会話の中ででしたが。
親友にですよ。
呆れてなにも言えなかったと思います。
ダメだなぁ~言葉に気をつけよう。
あっ 私の反省になっちゃいました(笑)
今度ちゃんと謝るつもりです!
今は身体と心の声に素直にしたがってお休みするんですから
逃げてないですよー
そんな風に思えませんよ。
そういう環境にあるのも、ふるゆらさんが長年培ってきたものだから
風太さんに伝えました?喜ぶだろうなぁ。
5つ葉のクローバー珍しいですね!
幸せのお裾分けありがとうございます!
罪悪感というものを徹底的に手放さなければなりませんね
この学びは簡単ではないです
ふるゆらさんのプライド、自信、アイデンティティー、承認欲求を
完膚なきまでに捨て去らなければならないからです
自尊心を取り去られることはなんびとも耐えられるものでは
ありません
だから大抵の人々は朝起きて出勤し、健康に仕事をこなし
あ〜疲れた〜とビールを飲んで寝て、また朝が来て、を
延々と繰り返すことを許されているのです
それはeasy courseです。自分も充実して嬉しく、
他人からも賞賛され国民としても何も後ろめたいことも
ないのですから。
しかし、この人は、と見込まれた人には
この安全で嬉しい命綱はいとも簡単にあっさり取り上げられます
さあどうするか。
なにもかも神様に委ねて完全に栄光を神に帰すのか。
それとも脆弱な肉体で守りきれもしない自尊心、すなわちエゴに
まだ固執するのか。
ほんとですね、ゆうこさん。
今回もゆうこさんのおっしゃる通り、私がくよくよしている根源は「プライド、自信、アイデンティティー、承認欲求」と深く結びついているのだと、今ならよく分かります。
自分でも持て余す程のプライドがあったから、乗り越えらないと思えることも乗り越えられた、そんな成功事例に引きずられています。
そのプライドが維持できない心身となった時にどうするのかが問われているんですよね。
プライドや根性が私のパーソナリティーの中で大きな要素であり、それらを活用してサバイブしてきましたが、プライドや根性イコール私ではないのですから、それらを手離しても不安に怯えず、満足して生きる道もあるはずです。
末期がんでありながら、思いがけず多くの時間を生きることを赦されているのは、まだこの世での宿題が残されているからなのでしょう。
逆説的には、この宿題が解決できない限りこの世に留まることが出来るのかもしれません。(笑)
むむむ、そう思うとすぐに解決しない方がいいのかも・・・悩ましいですね。(笑)
そうですね
しかし解決しようったってそんなに早急に解決しませんからね
解決しても更に難問がやってきますし。
傲慢の鎧をどんどん脱いでいかないとならないわけです
自分か?神か?
人間か?神か?
いつもこの二択です
神様を信じているつもりでもどこかで保身している自分に
気づきます
それでそれは結局自分を傷つけます
私は明石家さんまの「アホちゃいまんねん、パーでんねん」
が好きなのですが、アホと思われてなんぼかもしれません
相手に「ダメだこりゃ」と思われたもん勝ちです
私は一日5〜6時間のパートに週休2日でやってますが
「フルでやらないの?」とか
「もっと入ればいいのに〜。家に居たってヒマでしょう?」
とかよく職場の人や友達に言われます
でも私は今自分はこれ以上は無理なのを知っているので
「う〜ん、それが出来たらね〜。あとでバテんだワ〜」
とヘラヘラ対応します
私の給料の3倍バイトで稼ぐ娘が私の簿給をせせら笑い
私に「カス」と言いました。
「え?カス?お母さんが?あっ、そう〜、カスなんだ〜。
お母さんカスなのね〜。あなたはカスから産まれた
カスむすめなのね〜〜♪」
ご飯の支度中、息子が私にくそババアといいました
「え?くそばばあ?お母さんをクソババアって言うんだ〜。
へええ〜私はくそばばあなんだね〜。ハイ、クソババアの
作ったくそばばあカレー召し上がれ♪」
子供達はうちのお母さんアホちゃいまんねんパーでんねんと
思っているでしょう
「パーでんねん♪パアァァァ」・・・懐かしい。(笑)
結局、私はこの「お笑い好き」の性格にいつも助けられているのです。
人間生きていれば、幸不幸、運不運があり、喜怒哀楽の中で踊り続けるのですが、いつだって笑うことを選ぶ私のこの性格こそ、神さまが私をこの世に送り出す時に与えてくださった「最高のギフト」です。
いつだって自分を笑い飛ばせる胆力が、つまづいた自分を立ち上がらせる杖になります。
自分が「パー」であることに感謝ですね。(笑)
五つ葉のクローバー初めて見ました。
ラッキーですよ、間違いなく(笑)
今日もありがとうございます。
ふるゆらさんと同じ状況ではないですが、
自分も思ってました。
もっと大変な治療してる方もいるのに
働きながら治療してる方もいるのに、
子供育てて、家のことして頑張っていらっしゃるのに自分は甘えてるだけなんじゃないか?と。
落ち込んだり焦ったり。
その反面、
なんでこんな我慢しなきゃいけないんだ!
と逆切れ⁈しそうになったり(笑)
逃げるの賛成!
でも逃げてるんじゃなく
必要な休息ですよ。
無理は禁物です。
身体は正直です。
働けるように回復すれば
ふるゆらさんの性格なら
仕事行きたい、と考えるのではないかと
思うのですが。違うかなぁ?
許される限りお休みされて
風太くんとのお散歩楽しんでいただきたいです。
夜中に長々と失礼しました。
みんちゃさん、ありがとうございます。
今では私もみんちゃさんがおっしゃる通り、「必要な休息」だと思えるようになりました。
ジタバタしても足掻いても、悶々としてもくよくよしても、妙案が降りて来ない時は、「逃げる」のみです。(笑)
末期がんでありながら、神さまからくよくよ出来るくらいの時間を赦されたのです。
まだまだ修行を積んでからじゃないと「こっち」には来られないと思え、との思し召しでしょう。
有難く頂戴せねば罰が当たりますね(笑)