まいにち風太、まいにち田舎 (nya.456)
〈風太のごあいさつ〉このブログは、ラブリーなわしの写真と、季節の田舎の写真です。(写真見て「ホッ」としてくれたら、わし、嬉しいぞ♡)「にゅうがん」のことなら、最初は『“にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活” ブログについて』から読んでください。ほんなら、またお会いしましょう。
いや、風太。
猫なんだから、もう少し木登りを楽しんだ方かいいと思うよ。 by相方(嘆息)
そして、今日の田舎は、
朝日と夕陽、どちらが「赤い」のでしょう。
次は
です。
神様というのはとても人間の頭では
理解できないほどスケールの大きいものです
因果応報のような人間が理解できるような
お粗末なやり方を神様は採択しません
ふるゆらさんの言われるように
全ては愛のうちに愛をもって執り行わます
多くの日本人の陥りやすい
因果応報説、働かざるもの食うべからずの発想は
あまりに拙く、時代遅れ過ぎます
目に見えるものを超えて、より素晴らしく
光り輝くものに心を沿わさなければなりません
ゆうこさん、本当ですね、神さまははかり知れない広さと容量を持ったスーパーコンピュータのようだと、私も思います。
「南無阿弥陀仏」という言葉は、サンスクリット語を感じに転写したもので、「南無(ナム)」がNot、「阿弥陀(アミダ)」がa meter、「仏(ブツ)」がBuddhaだと昔教わりました。
人知で大きさを計ることのできない仏さま
浜の真砂のようにひしめく人間たちの、一粒一粒に合わせて、それぞれの力量を少しずつ引き上げて光を見出せるように加減し、それを組み合わせて破綻がない、本当に、ものすごいことを現実に行っておられます。
私の妄想の中では、神さまは「スイミングスクールの初級コースの先生」です。
水に入り、顔を付けて水に身体を浮かせることができるよう、宥めすかして導かれます。
バタ足を覚え、息継ぎのやり方を教えたら、先生が手を引いて泳ぐように促します。
ある時、パッと手を離し、自力で泳ぐようにされますが、すぐ近くにいてうまく泳げていないと分かると抱きとめ、少し落ち着いたらまた泳ぐように指導されます。
少し泳げるようになると、先生も少し離れて、自分のやり方で泳いで身体の使い方を覚えなさいと手を離して見守ってくれるのです。
この星に生まれた人間は、みんな「初心者コース」の生徒たち。
おっかなびっくり水の中で泳ぎ方を教わっています。
「水が怖い」と言い、「息が出来ない」と言い、「何も見えない」と言い、「前に進まない」と言い、・・・。(笑)
よほど大きな愛と献身と忍耐がなければ、やってられない「職業」です。(笑)
下手なりに、少し泳げるところまで教えてくださった先生に、とても感謝しています。
ふるゆらさんがよく理解されていて
よかったです
ヨハネ福音書第9章にこのことが
書いてあります
イエスが道を通っておられる時
生まれつきの盲人を見られた。
弟子達はイエスに尋ねて言った。
「先生、この人が生まれつき盲人なのは
誰が罪を犯したためですか。
本人ですか、それともその両親ですか。」
イエスは答えられた。
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その
両親が犯したものでもない。ただ
神のみわざが彼の上に現れるためである」
はあ~い、せんせい、ありがとうございま~す。(笑)
そのうえ神さまは、私が幸せでいることを喜ばれますので、毎日楽しく暮らそうと思います。