まいにち風太、まいにち田舎 (nya.1260)
〈風太のごあいさつ〉このブログは、ラブリーなわしの写真と、季節の田舎の写真です。(写真見て「ホッ」としてくれたら、わし、嬉しいぞ♡)「にゅうがん」のことなら、最初は『“にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活” ブログについて』から読んでください。ほんなら、またお会いしましょう。
・・・そして、冒険が見つかるのです。(嘆息)
そして、今日の田舎は、
分かってるんです、これが桃源郷に及ばないことは、、、でも、麦の穂と桃の花と新緑の山、、、私の桃源郷です。(笑)
桃の花、緑の中に 桃色が 可愛いです
しかも、皆同じ 高さ!
同じ時期に植樹されたのでしょうが、綺麗に揃ってます。
桃源郷は追っても求められないものだそうですが、まさに 桃色桃源郷!!
田んぼの真ん中にあるこの桃の木は、畑の持ち主の方が、こまめに手入れをされて、桃の実もちゃんと袋をかけて収穫されておられます。
これくらいの本数では「出荷」は出来ませんから、夏にご家族が食べることを楽しまれているのでしょう。
春前にはきちんと枝打ちもされています。
このように見知らぬ方が汗を流されて、穏やかな田舎の風景は保たれ、私を喜ばせてくれるのです。合掌。
これが桃源郷でなくて何でしょうか
こんな美しい平和に満ちた風景の中に住める人は多くありませんよ。
目にするものと心は等しいのです
あんず林のどろぼう という話をご存知ですか?
四方八方あんずの木だらけの林の中、木の根元にカゴに入った
赤ちゃんが捨てられています
封筒が置いてあって
「通りかかったかた、読んでください」と書いてあります
手紙には
「どうしてもこの子がいると困るので置いていきます。
こんな花の中に来る方は、きっと心のやさしい、いい人でしょう。
どうか私の代わりにこの子を育ててください。お願いします」
と書かれていました
そのお母さんの気持ち、凄くよく分かります
この景色はふるゆらさんの原風景ですか?
私の精神の根幹を成す原風景は やはりここ、このなにも無い
茨城の田んぼだらけのだだっ広い平野です
それでいて民家もスーパーも病院も近くに沢山あるこの
中途半端な田舎さ加減が便利で好きです✨✨✨✨✨
「住めば都」は、ちょっと違いますね、「誰か故郷を思わざる」でしょうか?(笑)
私は生まれ育った土地から1mmも動かずに暮らしていますから、私の体は、この田舎の土地や水や風や光や雨で育つ野菜や花と同じようなものだと強く感じます。
その土地その土地で、作られるお酒やお醤油の風味が異なるように。
裕子さんの住まいされる土地もまた、裕子さんと強く結ばれているように。
この一体感は、自然の息遣いを身近に感じて暮らしてこそでしょうか、街に住む人にはピンとこないかもしれませんね。
そうですね
ふるゆらさんの住んでらっしゃるところは
どれだけ居ても飽きなくて住めば住むほど
もっと居たくなるようなとこですね
でも人の沢山いる街に行くのが苦痛になるかも
知れません
私の住んでるところは筑波おろしが吹くと寒くて
夜はバイクの爆音がうるさくて またそれを追う
パトカーも「はい!そこのバイク!止まりなさい!」
とスピーカーがうるさいですけど
女の人達はしっかりしていてやさしいですし
男はバカっぽいけど面白いですし いい所です 笑
住む所で人の気性が違うような気がしますね
豊岡・城崎は閉鎖的だけど長く住むとやさしくして
くれる人達でした
埼玉はなぜか意地悪な人が多かったです
↑
すみません、主観です
東京→無関心
京都→やさしげだけど実はそうではない 笑
大阪→親切。面白い
イギリス→干渉しないけど親切。
イラン→めちゃ親切だけど泥棒多い
フランス→冷淡
マヨーカ島→明るく親しみやすい
ハワイ→明るい優しい親切
個人的にざっと思ったことです
ははは、よくお分かりですね。
田舎者の私は、人混みが苦手です。(笑)
都会に行くと、緑が足りないに加えて、酸素が足りないと思ってしまいます。
比喩的な意味ではなく「スナフキン体質」なんだと思います。(笑)
スナフキンてムーミンに出てくる
あのギターを弾いてる人ですか?
私はムーミンをよう見とらんので
よく分からないのですが孤独癖があると
いうことですか?
私は ミーという女の子だかおばちゃんだか
分からない人を勝ち気だな〜この人と
思いながら子どもの時見てました
そうです、ムーミンの親友スナフキンです。
人間好きの人嫌い、人恋しくて人里に立ち寄るけれど、そこに居つく程は好きじゃないという、、、距離感が自分とよく似ているなぁと思うのです。(笑)
人と過ごす時間に幸せを感じるけれど、自分だけで過ごす時間がなければ満足できない、そんな人間は「放浪の旅人=常識的な変人」というポジションが実利的にお気に入りです。
人と触れ合う温もりとそれに伴う煩雑と、孤独の寒さと引き換えに得る風通しのいい自由と、そのバランスの「いい塩梅」を常に人は探し彷徨うものですから。