まいにち風太、まいにち田舎 (nya.1316)
〈風太のごあいさつ〉このブログは、ラブリーなわしの写真と、季節の田舎の写真です。(写真見て「ホッ」としてくれたら、わし、嬉しいぞ♡)「にゅうがん」のことなら、最初は『“にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活” ブログについて』から読んでください。ほんなら、またお会いしましょう。
朝日の日光浴、賢人の知恵ですな。
そして、今日の田舎は、
先日、家の前の川で蛍を見かけました。はい、もう、この花が咲き揃ったら「初夏」に間違いありません。
こんばんは。
本日1枚目の風太くん、いいわ~。バックのお花とのバランスもナイス!
それにしても、ふるゆらさんは植物の名前をよくご存じですね。ガーデニングもお好きかしら?
ところで、先日メンタルブロックのことを書かれていましたが、「そうか、あれってブロックだったんだ」と、かつての私の持て余していた感情を思い出しました。
私の場合、異常なほどに真面目で潔癖な母の「波風を立てないようにすることが1番。自分の意見は表に出してはいけない」という姿勢に違和感を感じていたのだと思います。でも、世間知らずの私はそれに気づけず、ただモヤモヤとした気持ちを持て余していて、そのせいか本当に長いこと何かに追われる夢を見続けていました。
ところが、婚家と実家のあまりにも違いすぎるあれこれに圧倒され、打ちのめされていくうちに、ある日ふと気づいたんです。自己主張って大事なことなんじゃない?頑張りすぎは自己満足?って。
気づくまでには、なかなか厳しい修行もありましたけどね。今となってはそれも必要な経験だったのだと思えます。なにしろ荒行をこなしたおかげで、「現実離れした理想形」を求めなくなり、何事も「まあ、こんなものかな」と思えるようになり、いつの間にかあの夢を見なくなったのですから。
流れに抗うのではなく、飲み込まれないよう舵を取りながら波に乗れたなら、あとは何とかなるものですよね。
たおさんも「脱皮」の経験がおありなのですね。
私は「これまでにもう十分脱いだ、もう脱ぐものはない」くらいに思っていたのに、「え?こんなに重い肌着をまだ着てましたか?びっくり」という感じの「脱皮」でした。(笑)
脱皮してしまえば心が自由になって「不合理」が見えるのに、身に着けている時は全然不合理に感じなくて、むしろ自分の「性分」であり個性なのかと思っているので、天の配剤で「脱皮」しない限り気が付かないんですよねぇ。(嘆息)
なので、今では「まだまだ脱皮すべきものはあるのだろう」と思っているのですが、気付かないままこの世を卒業するものもあるだろうし、それはそれでいいじゃないかと開き直っています。(笑)
生きるって面白いですよねぇ、止められません。合掌。