風太のゴロゴロ音はとても小さいのです (nya.3000)
人生で、自分の意志で、これほど長く続けられたのはこのブログだけです(笑) (2025年1月16日)
さてさて、、、今日でこのブログ『にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活』は、(nya.3000)となりました。
まずは、天地人、私を護ってくださったすべての物事に感謝いたします。
何一つ欠けても「今、ここ」に私はいなかったことでしょう。
それは、11年前の2014年3月に「浸潤性小葉癌の乳がんステージ4で、PET/CT画像が真っ黒になるくらい全身にがんが転移している多発骨転移だ」とがん告知を受けて、「あ?こりゃ死ぬな」と思った時からのことではなく、はるか半世紀以上前、私がこの世に生を受けた時から現在に至るまでの、時代、気候、土地、偶然、必然、運不運、幸不幸の全ての物事が私という人間を構成して、なぜか不思議に「今、ここ」に生きているという意味です。
さらに遡るならば、私へと命を繋いでくださった数千、数万のご先祖さまたちが、困難な時代、厳しい時代を生き抜いて、私に「ダイハードな遺伝子」を与えてくださったからこそ、今の私があります。
そして、8年前の2016年の10月、かなり深刻ながん告知を受けたにもかかわらず、なぜか事態が好転し「あ?こりゃ、もうちょっと生きそうな」と思って呟き始めたブログを「毎日」更新して、なんと、3000回です。
さして深くも考えずに付けたブログ名でしたが、8年後の今も小康を保ち、今もって【にゅうがん4な私と風太(日本猫)】が、ポテポテ元気に散歩して【ららら田舎生活】を楽しみながら、一度も中断することなく続けているという奇跡。(あ?中断しましたね、ブログがバグって真っ白になった時、、、不可抗力です、合掌。)
今の率直な感想は?と問われれば、「豆腐のような根性しか持たないと思っていた飽き性の私が3000回て、そりゃすごい、半端ないな、やるやん、私。」と思っています。(笑)
さらに何よりすごいのは「3000回」に到達したことよりも、「3000回」が通過点となって「今」があることです。
「人生の折り返し地点」などと人は気軽に口にしますが、「え?私の折り返し地点て、え?どこ?」と、目が泳いでいるのが今の私です。(笑)
なにはともあれ、まずは目出度い、皆さま本当にありがとうございます。
3000回、のどかな自然以外に何もない平凡な田舎に住む平凡な人間が、全身転移の乳癌ステージ4になり、ちょっと平凡ではない闘病生活を送ることになって、病歴だけではなくその時々に心に浮かんだことを目の前に広がる「空と雲と山と田んぼ」に向かって呟きました。
「乳癌ステージ4で骨転移無数、リンパ節転移無数、全身転移の人間が、ちょっと珍しいことになってますよ」と、多くの人に知ってもらったら、少しでも参考になるのではないかという動機があったためにブログを始めた訳ですが、私は昔から、混沌として捉えどころのない心の中のもやもやを言葉や文章に置き換えて整理するタイプの人間なので、ブログという形を採らなくても、自分自身に向けて何かしらの文章を書いていただろうと思います。
ただし、もとより私は平凡かつ怠惰な小市民ですから、「ブログ書かなきゃ」ブースターがあったお陰で、より深く細かく心のひだに分け入ったことは間違いありません。
その時々に、心の湖面の水底から浮かび上がる小さな泡沫(うたかた)をすくいあげて、このブログで文章を綴ることが、私の心のメンテナンスでもあったのです。
そして到達した(nya.3000)。
小市民であるが故に、(nya.3000)というビッグでアニバーサリーなイベントにビビり、一か月前くらいから今日の「(nya.3000)に何を書こうかなぁ」と折に触れて考えました。(笑)
私は文章を書くことが苦痛ではない人間なので、たいていすぐに「こんな感じ?」と漠然としたものが閃いて、起承転結も考えずに書き始めると、「ああ、私ってこんなことを感じていたのか」と驚いたり発見したりして書き進めるうちに「ふむふむ、なるほどなるほど」と思いながら、たいてい長文であっても半日くらいで書き終えるのです。
しかし今回は「ある意味」難産でした。(笑)
何しろ、振り払っても振り払っても、尾崎豊の『15の夜』のメロディーが脳内で流れるのです。(笑)
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
・・・・・。
いやいやいやいやいや、尾崎豊はないだろう?
しかも『15の夜』って、私はもう「アラ還」・・・。
確かに「尾崎世代」だし、同級生に「おざぎぃぃ」と野太い声で叫んでいる男子はいたけれど、私は特にファンではないし、ヒット曲を知ってる程度だし、『15の夜』だってサビの部分しか覚えてないし。
と、思ったのですが何しろしつこい、振り払っても振り払っても、、、です。(笑)
これはもうアレです、遠くの神社に呼ばれて、あれよあれよと予定が整って、気が付いたら参拝をしている時と同じくらいの引力です。
仕方ありません、諦めました。(笑)
最初に感じた「いやいやいやいやいや、尾崎豊はないだろう?」という思いを乗り越え、よくよく考えてみると、長く続けたこのブログの(nya.3000)という「通過点」に、よく合っているような気もしてきました。
この曲がリリースされたのは1983年、私は16才、2コ上の尾崎豊は18才、まさに「アオハル」の真っ只中でした。
その頃の私は、ハードモードでムリゲーな家庭環境と思春期の暴風雨を同時に乗り越えなければならず、やたらと「不良」がもてはやされる時代の風潮を横目に「不良になってる余裕なんかねーよ」とやさぐれていました。
時代は「荒ぶる若者」でしたが、わが家では『積み木崩し』をしているのは「親」でしたからね。(笑)
物心ついて以来、心は常に戦闘モードでサバイバル一択、周囲からは「いつもニコニコして悩みなんか無いんだね」と言われながら、それこそが私の「モビルスーツ」、自己イメージは「なかなか倒れない、打たれ強いボクサー」、自己防衛本能の感度をMAXにしてがむしゃらに戦い続ける私は、映画『イージーライダー」の主題曲『born to be wild』のサビのこのフレーズを気に入り、よく口遊んでしました。
何しろ思春期、親御さんに大切に育てられた同級生と、生まれついての戦士の私とでは、悩みの質量ともに違い過ぎて、自分の「野生」を感じずにはいられませんでした、(笑)
また、中学の国語の授業で万葉集の山上憶良の歌を知った時には、授業中にもかかわらず胸に迫って思わず涙ぐみました。
世間を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
(世の中をつらい、身も細くなるほど耐え難いと思うけれども、飛び立つことはできない、鳥ではないのだから)
この年頃に決まって聞かれる「将来の夢は?」という問いに「トクニアリマセン」と笑って誤魔化しながら、心の中では「感情の起伏のない平穏な日々が将来の夢ですっ」と叫んでしまうほど、人間に、家族に、戦いを強いる日々に疲れ果てていました。
これまた、中学の音楽の副読本で習った『翼をください』を歌って、登下校に自転車をこぎながらよく泣いていました。
私が泣いていることを親に気付かれたら「ややこしいこと」になりますからね、登下校の時間が貴重でした。(笑)
そんな時にラジオの深夜放送で聴いた尾崎豊の『15の夜』。
16才の私が思ったことは「青いな」です。(笑)
若者特有の大人への反抗心や自分探し、何も力を持たない自分への自己憐憫など「余裕がある奴が出来ること」だと思ってました。
本当にギリギリの戦いを強いられている人間なら、「どうして自分だけがこんな目に」などど考え始めてもキリがないので、急いで思考をシャットダウンして漫画でも読んで、別次元に退避します。
何しろ、自己憐憫は、時間ロス、精神体力ロスを招く蜜の味、滂沱の涙を流して自己陶酔はできますが、明日も何事もなかったように笑顔を張り付けて学校へ行く気力が、根こそぎ奪われてしまうではありませんか。
そんな私は、毎日心に受け続けている「一生もののダメージ」は仕方ないとして、環境を言い訳にして勉強もせずに不良になれば、将来の職業選択の自由の幅まで奪われて「二重損じゃないか、そんな負け方はしない」と心に決め、腹をくくって「普通の学生でいる」ことを選択したのです。
※あ?割と地頭が良かったので「がり勉」なんかしてませんよ。中学の頃には長期の休みともなると、私の自室に友だちを呼んで酒盛りをしてました(笑)。友達も不良じゃありません、文武両道な猛者ばかりです。※
16才の私の「青いな」とういう感想は妥当と言えるでしょう。(笑)
でも、、、幼いなりに年齢を重ねて自分を客観視出来るようになる度に、次の「膝が崩れ落ちそうになるダメージ」を負うまでのわずかな日々、毎回私も「自由になれた気がする」と思うのです。
だから「誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜」と過去形で歌っているこのフレーズだけは、強く心に残りました。
「ほんと、気がするだけで、ぜんぜん自由にはなれないよね」と、オザキと一緒に溜息をつきました。
ひたすらに「笑え、笑え」「笑えなければ戦うことも出来ない」「強くなれ、私」と、念じ続けてサバイブした私の「アオハル」でした。(嘆息)
長々と私の「アオハル」の心象風景をご説明しましたが、要するに、人は幾つになろうとも、わずかな時間「自由になれた気がする」と思って嬉しさを噛みしめ、その後に「自由になれた気がした」だけだったと思い直すことを繰り返して、、、生きる他ないのだなと、最近しみじみと分かるようになったのです。
幼い頃は、還暦に近い年齢にもなれば成熟した精神を持ち合わせるものなのだろうと思っていましたが、どうやら人は、この世を卒業する時まで未熟な心を抱えて、あわわあわわと右往左往するのだと観念しました。
大学進学で物理的に家族から離れられた時、就職して経済的に自立した時、年齢を重ねて幼い頃の精神的な呪縛から逃れられたんじゃないかと思えた時、ステージ4の乳がんで間もなくこの世を卒業できると知った時、これほどの大病を得たからには、もう世間の物差しに合わせなくてもいいんだと思えた時、30年勤めた会社を退職して「自己肯定感の低い自分の宿痾の病、承認欲求」を振り払えたと思った時、当初の予定の「この世からの卒業」時期がどんどん伸びて、金銭的な余裕がなくなり焦ったものの「なるようになる、もう私は、自分を見下さない、裁かない、戦わない」と思えた時。
どの時も私は「自由になれた気がした」のです。
「ああこれで、楽に生きられるようになる」と喜びを噛みしめました。
けれども、未完成で未熟な人間が生きていくということは、求める自由にも終わりがないということです。
がん告知を受けた時、「5年後」にはこの世を卒業しているだろうと想定し、残された時間を丁寧に誠実に普通に暮らそうと思い、大きく人生の舵を切りました。
その通りならば、私はもうこの星から離れていることになるのですが、思いがけず今なお人生が続いています。
でも、この「想定外の時間」が、私にいくつもの「自由になれた気がした 15の夜」を与えてくれました。
そしてその度に、「ああ、今得られたこの心境、本来なら私は知ることなくこの世を去っていたんだな」と不思議な感覚に襲われます。
想定通りの時期にこの世を卒業したとしても「もう十分、この世を味わい尽くしました。よく頑張ったし、面白かった」と思えただろうと確信しているのですが、「想定外の時間」を生きることによって「果てはないのだな」と思い知りました。
何才になろうとも、人は皆いくつもの「自由になれた気がした 15の夜」を越えて生きていくのです。
そして深読みかもしれませんが、『15の夜』が「十五夜=満月」ならば、満ちては欠けることを繰り返すことこそが、人の本性なのでしょう。
私のブログも、3000回続けてきた中でいくつもの「満ち欠け」を繰り返してきましたし、これからも繰り返すことになるのだろうと思います。
若い心はその揺らぎに敏感で、それが思春期の不安定さをもたらしていたのだと、今ならば分かります。
そして、「想定外の時間」を生きるアラ還の私と言えば、「揺らがない自分を求め続ける心を止めることはできない」ことと、「揺らがない自分に到達することはない」という事実を知ることが出来るまで、、、生きました。
以上が私の(nya.3000)にあたって、尾崎豊の『15の夜』のメロディーとともに、心の湖面の水底から浮かび上がった泡沫(うたかた)です。
さてさて、ここまで来ると、皆様の心に「(nya.3000)のタイトル『風太のゴロゴロ音はとても小さいのです』はどこへ行った?」という疑問が去来することでしょう。(笑)
私ががん告知を受けた時から一緒に暮らしている愛猫風太は、飼い主に似て「へそ曲がり」な性格で、正に出会うべくして出会った「運命の相方」です。
膝に乗って甘えたり、抱っこしてとせがんだりという猫のかわいい部分を持ち合わせず、私が近付くと捕まえられたくなくて逃げるし、無理やり抱っこをすると手足を目一杯突き出してこの世の終わりのように鳴き続けます。(嘆息)
でもどうやら相方のことは好きなようで、私が移動すると、掴まらないけれど私の気配を感じられる距離に必ずいます。
どちらが守って守られているのか、、、。(笑)
そんな風太ですが、冬の寒さを我慢してその距離を保つのは馬鹿馬鹿しいらしく、寒くなると私の布団に入ってきて寝ます。
その時の距離は、私の顔に後頭部を押し当てたり、脇腹を押し当てたりしてベッタリ密着するのです。
普段距離をおかれている私は、長らく風太はゴロゴロ言わない猫なんだと思っていました。
猫ならば必ず「喉を鳴らす」はずの、あごの下をかいてやった時は「ぐぐぐっぐぅ、ぐぐぐ」と意味不明の濁音をもらすのです。(笑)
が、驚くことに密着してみると、風太のお腹から小さな小さなゴロゴロ音が聞こえます。
炭酸の泡の弾ける音が、少し離れると聞こえなくなるのと同じくらいのゴロゴロ音です。
これが私の「幸せの音」です。
小さな小さな、耳を澄まさないと聞こえない、小さなちいさな、目を凝らさないと見つからない、小さな小さな、幸せの瞬間。
泡沫(うたかた)のように儚く消える喜びを重ねることが、何度も『15の夜』の喜びと失望をを繰り返す私を「、、、つまるところ、果報者だな」と思わせてくれます。
最後に、今の私の心境を吉田拓郎の歌『今日までそして明日から』の歌詞に託して、このブログを終えたいと思います。
私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて 時には誰かに しがみついて
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと
私は今日まで 生きてみました 時には誰かを あざ笑って 時には誰かに おびやかされて
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと
私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて 時には誰かと 手をとり合って
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと
これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
(おしまい)
風太くん、ふゆるらさん、3000回!おめでとうございます。
私は、いきなりの乳癌告知&フルコース治療のどん底のなか、このブログに出会いました。
「がんのステージは同じでも症状はひとそれぞれ」と理解するまでは、たくさんの情報に右往左往
の毎日。風太くんとふるゆらさんのブログで、「あわてなくていいんだ。ゆっくり自分のペースでがんとつきあおう」と心の指針が見つけられました。ありがとうございます。でもまだ、ときどき、迷ったり落ち込んだりしてしまいますが。これからもずっと、風太くんとぽてぽて歩むふゆるらさんの毎日と、自然の豊かな景色でエネルギーをわけてくださいね。
絵里さん、ありがとうございます。
本当にそうですね「人それぞれ」です。
例えば、同年代の女性で、がんの症状も薬の副作用も同じだとしても、人が違えば受け止め方は異なります。
でもこれは、がんの治療に限らず、人が生きるってそういうことです。
十分な知見を持ち合わせず、不確かな情報を頼りに、不安な気持ちを抱えたまま、「ああ、もう、これにする!!」と何かを選ぶのは、洋服を選んだり、髪形を変えたり、進路を決めたり、家を建てたり、小さなことから大きなものまで、がんの治療も含めて、、、生きていれば無数の「選ばなきゃいけない」時に出会います。
だから、未熟な私がその時点で「最善かな?」と思って選択したことが、間違うことも「あるある」だと思っています。
それなりに悩んで決めたのだから、後は楽しむのみです。
有難いことに、「楽しむ」と自分が決めたなら、それは叶うのです。
私にとっての風太との散歩のように、絵里さんにも絵里さんの楽しみがあって、これまた人それぞれです。(笑)
『何ももたぬという人でも、天地のめぐみをいただいている』
これからも、ポテポテ散歩をお楽しみいただき、あたかくお見守りいただけましたら幸いです。
ふるゆらさん
祝3000‼︎
昨年から、このお祝いを申し上げる時を待ちかねておりました。
私も乳がん4です。世間的にはなかなか厳しいと言われる状況です。でもこちらのブログは、厳しい病状を抱えていらっしゃるとは思えない程の「日常」に溢れており、初めは少々驚きましたw
ふるゆらさんの目を通して切り取る四季の移ろいは、美しく楽しく、どの写真からも添えられている言葉からも、「日常」を過ごす豊かさを感じます。時に今回のように胸に迫る文章からも、今この瞬間に命があって、様々な感情を揺さぶられていることへのありがたさをおぼえるのです。
治療はまだ続きますが、私もぼちぼちですが日常を取り戻しつつあります。こちらのブログ閲覧はその日常の一部です。ふるゆらさんの、柔らかく一本筋の通った文章を、とても嬉しく心強い思いで拝読しています。
どうぞこれからも、いい塩梅でお過ごし下さいますように。
新参者ですが、これからもついて参ります!
半夏さん、祝辞ありがとうございます。
『昨年から、このお祝いを申し上げる時を待ちかねておりました。』と言ってくださるなんて、半夏さんは仏さまのような方です。(笑)
『治療はまだ続きますが、私もぼちぼちですが日常を取り戻しつつあります。』という嬉しい知らせもありがとうございます。
よかったですねぇ♪
私が『まいにち風太、まいにち田舎』を始めようと思ったのは、まさに半夏さんのように闘病しておられる同病の方へ、「それでも四季は移ろっていますよ。それでも小さな命はキラキラと輝いていますよ。たまには深呼吸して空を見上げてくださいね」という想いが伝わったらと思ったからです。
「人生は有限なんだ」と身に沁みて思えた時から、この世界はそれまでと全く異なる美しさを現わします。
それを楽しまなきゃ損ですからね。(笑)
私は風太に導かれるままポテポテと歩き、半夏さんはそれを楽しんでくださる、、、素敵です。
これからもあたたかくお見守りいただけましたら幸いです。
祝3000回♡
ホント 私の話か? 私が書いたのか? ふるゆらさんて同じクラスで私を知ってた??
と思うほど似てます 怖いわ ってくらい 違うところは私は文章とお勉強が苦手w
青ハルの頃 周りを見渡してこの世で私だけがこんな思いをしていると思ってたけど 同じ時に 同じ日本で 同じ思いをしていた 同い年の 同性が 居たんだな ってことは私とふるゆらさん以外にもきっと居たんだろう 子供だったな私 ふふっ
すべては通過点 私もしょっちゅう思いますよ ほんと自分ってバス停みたいなものですよね~
風太56歳か~ 来年は追い越されてるのかぁ 風太先輩! 笑
ふるゆらさんにとってのブログ 私にとってのインスタ日記
これまた同じかも 私も11?10?年前の告知後 スリランカにアーユルヴェーダ療養に飛び立つ空港で 最期はベッドで寝る以外にすることないだろうからインスタ日記を付けて こんなことあったなぁ ここいったなぁ これ食べたなぁ この時あーだったこーだった とインスタ見ながら楽しい日々を振り返りながら時間を過ごそうと思い立ち 空港でインスタをインストールして始めた日記が2885ウォール! これ以上はもう死ぬ前のベッドではもう見切れないな そこまで時間あるのか? と、2025.元旦のポストを最後に一旦、休止しました 笑
同年でも当時の私は尾崎を知りませんでした~ 確かに青い アオイ あおい
その青さがうらやましす ですな 私も恋バナに花を咲かしている同級生から
○(私)は秘密主義だね と言われ いやいや恋愛なんかで悩んでいられる余裕は無いのだよ・・ 秘密じゃなくて恋愛話のネタ自体が皆無なのよ・・ トホホのホ
歳を重ねれば自動的に精神も大人になってると思っていた私が青かった! w
自分で学ぶ姿勢が無ければそりゃそうですな~ だから周りを見てもそりゃそうか なんですよね
私はセーラー服を脱いだ2週間後 盗んでいないバイク(原付)を持って飛び立ちました
自由だーー!と叫びながら 笑
けど、あそこまでがあったから飛び立って 今、こうして幸せをかみしめられている
ホントに無駄な事は何もなかったんだな と心底思えます ふるゆらさんも同じだと思います
お互い 自分に 全てに 感謝できますね しますね
こんなに似てるなんて そんなふるゆらさんのブログにたどり着いた事
私たち 引き合ったのですね 卒業後 先に行った方がちゃんとお迎えして 沢山お話しましょう!!
ではでは 卒業までは、人間生活を謳歌していきましょう~♪
ちょびさん、ありがとうございます。
そーですか、アオハルまでシンクロしてますか。、、、こわっ。(笑)
盗んでない原付で飛び立ったなんて、イカシテますね。
私は親元を離れた大学時代、一時期あまりの解放感に脳内に多幸感物質があふれ出し、お薬なしでラリリました。(笑)
ハードーモードなムリゲーを経験したことで良かったことは、「そんなことある???」とパニクることは滅多になく、「生きているといろんなことがあるよねぇ、それがフツウ」と穏やかでいられることですね。
これからも互いにこの星の長期滞在型リゾートを満喫して、「その後」どれほどシンクロしているのか答え合わせをしましょう。
時間はたっぷりあるので。(笑)
それでは、これからも暖かくお見守りいただけましたら幸いです。
ふるゆらさま
3000回!!
おめでとうございます
驚きの長さです
こしかたの長い思い出に、つくずく解る気がする私です
恵まれた自然の風景と風太君も助けてくれていますね
勿論、ふるゆらさんの深い洞察力も力に。
ふるゆらさんの心の中の葛藤を少なからず出せている、
飛べている、ブログだと思います。
ネットの登場が昔の人と圧倒的に違いますね
[ 生まれきて 育てられしか 故郷に
飛ぶも飛ばぬも 心なりける ]
本当に おめでとうございます。
sizuさん、ありがとうございます。
親が先に叫んでいたので(笑)、叫ぶことの出来ない子供だった私は、文章を綴ることと、私の代わりに叫んでくれるハードロックに発露を見出したのかもしれないと思っています。(笑)
何よりも、千変万化する自然の美しさと大きさが、今も昔も何よりの慰めです。
ここ10年は、愛猫風太が笑わせてくれますしね。
これからも、暖かくお見守りいただけましたら幸いです。合掌。
3000回おめでとう♪
次は4000回、その次は5000回でおめでとうを言いたいです。
たにぞうさん、ありがとうございます。
「今のところ」続けられそうな気がしています。
ただ、これまでの小康を保ってきた歳月の方がイレギュラーでたまさかの僥倖を得ている身、「大丈夫、大丈夫」と高をくくるのは、神さまの領域に不敬なような気もします。
あまり遠くを見ず、足元で戯れる野の花と風太を愛でながら、ぽてぽて歩みたいと思っています。
人の心は移り気で、ある時ふと「飽きたな」と、私自身の本性が頭をもたげるかもしれませんしね。(笑)
気負わず、心配し過ぎず、まったりと、、、。
これからもお見守りいただけたなら幸いです。
ええと、たにぞうさん、返信ありがとうございます。
んがしかし、コメントが、、、見当たりません、、、。
また、時間がある時にでも、コメント再送してください。合掌。