原因は「癌の転移」でした。毎度「背中が痛い夏」が来た (nya.62)

ねこ、風太夏バテ

わし、「生まれて初めての夏」なんじゃ。夏嫌い

長年「原因不明の肩こり」→今「原因乳がん骨転移」 (2014年7月)

暑い夏になりました。

自分が【乳癌ステージ4】だと知り、田舎の山を眺めながら「今は芽吹きの気配もないこの山が、新緑の季節を迎える頃、私はどうしているのだろう」と不安いっぱいに思った時、まさかこんなに「まったり」夏を過ごすことになろうとは、想像も出来ませんでした。

3月31日に放射線治療の10回目を終えて以来、「3週間に1度の通院と毎朝1錠のタモキシフェンの服用」という治療のみで過ごしているので、「これなら、近所の婆さんの方が、私より余程病院に通っている回数が多い」とも思いました。

ねこ、風太ミニ2しかも、放射線治療の副作用はあれこれありますが(参照:放射線治療後に現れたあれこれ (nya.37))、はあるものの、会社にフルタイムで勤務できるほど軽微なダメージがあるだけで、日々を過ごしています。

風太が日に日に成長していくのが楽しく、本当に穏やかで「私が望んだ通り」の普通の暮らしが赦されていることに、どれだけ感謝しても足らないほど、感謝する毎日です。

そんな日常の中で、ただ1点、私を悩ませているのが「毎年恒例、夏の背中の痛み」です。

20代後半から「重度の肩こり」持ちで、体調が悪いと決まって肩甲骨の間と、ちょうどブラの高さの背中が、重だるくなっていました。

29才の時に「原因不明の微熱」で、検査入院3週間、会社を半年休職した時も、背中が痛み、血流が滞っているような「重だるさ」がありました。

その時の退院から後、現在に至るまで、ほぼ毎週「整体」や「指圧」、「鍼」へ通い、身体のメンテナンスをして「普通」の生活を送れる身体を保っています。

30代後半には、「クーラー病」の症状が加わり、その後は、年々歳々夏を過ごすことが苦痛になっていきました。

背中の痛みが、体調が悪い時は「重だるさ」を越えて、時に疼くようになったのはこの頃でした。

ねこ、風太ミニ540代前半は、もう「重度の肩こり」は私の一部であり、背中の疼きは「体調のバロメーター」です。

冬でも、仕事が立て込み「背中が疼く」と「そろそろ体力の限界」に近付きつつあると思い、セーブして仕事をするようになりました。

週一の「整体」では追い付かず、仕事を終えた足で指圧の店に寄るようになったのもこの頃です。

夜まで待てず、職場の休憩室で「力の強い同僚」に背中の指圧をして貰うこともありました。

毎回、同僚の「好意」では申し訳ないので、「5分、缶コーヒー1本」契約を結んだほどです。(笑)

私は「全身肩こり」状態で、整体や指圧の先生が「挑戦と感じて闘志を燃やす」身体になっていて(笑)、自ら「常にプロを唸らす身体」と呼んでいました。

「背中が疼く」と申告して指圧をして貰うと、「腰の張りがすごいけど、これは何ともないんですか?」と心配されるような状態です。

背骨の両脇の筋肉は、筋状に何本もカチカチになっていて、背中を指圧してもらうと弦楽器をつま弾くように「ボロロン♪」とは鳴らず「ゴリゴリゴリ♪」と連続して鳴るのです。

43才の夏、目眩を発症し、再び会社を病気休職しましたが、その夏は、歯医者の治療を受けるのも不安になるほど背中が痛く、「じっとしているため」と「クーラー除け」に、歯医者の治療前には「痛み止め成分入りの温湿布」を貼って歯医者に通いました。

この夏の歯医者は本当に手こずりました。

背中の痛みの他に「目眩」もあり、常に頭が揺れているような感覚に陥っていて、歯科助手の人に「私の頭、揺れていますか?」と尋ね、「いえ、揺れてませんよ」と確かめて、治療を進めました。(笑)

目眩は「嚙み合わせ」も影響を受けると聞いていたので、歯医者の治療が終わったら、目眩が治まるかもしれないと思い、必死でした。

その後、44才、45才の夏も悲惨でした。

この頃になると「夏は常に背中が痛い」状態で、背中に低温のアイロンが当てられていて、それが強く押し当てられたり弱くなったりを繰り返しているような感覚です。

夏の間、会社勤務を続けることが「もう、無理かも」と何度も思いました。

「背中の痛みに耐えられない」というよりは、「痛みがありながら仕事を続ける」ことが10年以上になり、心が折れそうでした。

それでも夏よりは冬の方が、数段身体が楽になるので、冬を心待ちにして耐えることができました。

そして46才3月、今までの不調の「あれこれ」の原因が、すべて一つの病気に集約されました。

【乳癌ステージ4】の私の身体の、「転移」が酷い場所が私の体調不良の症状の箇所と「ピタリ」と一致しました。

肩甲骨の間の背中の痛みは、私の乳癌のある場所のちょうど真裏です。

PET/CT画像で、乳癌転移のあった【左腋窩リンパ節、両鎖骨上リンパ節、肺門や縦隔リンパ節、骨転移は、椎体、肋骨、鎖骨、腸骨、左大腿骨】のうち、「肺門や縦隔リンパ節」と「骨転移の特に酷かった胸椎」は、ちょうどブラの高さで重なり合い、ひときわ「真っ黒」になっていました。

ねこ、風太ミニ7ここまで符合すれば間違いありません。(涙)

「ひええぇ、あれって癌の痛みだったんだ」

「そーとは知らず、指圧に行ってぐいぐい押してもらってたんだ」

「骨転移で大穴の空いた背骨を力いっぱい指圧してもらっていたけど、骨折しなくて本当に良かった。」

・・・と心底驚きました。

背中の痛みは、背骨の上から下まで「真っ黒」に骨転移して、弱った背骨を支えるために、背骨の両脇の筋肉が常に緊張していたためのものだったのです。

そして今、自分が【乳癌ステージ4】と知ってから、初めての「夏本番」がやってきました。

これまでと同様、「恒例の背中の痛み」の季節の到来です。

憂鬱なことに変わりはありませんが、今年の夏の私は「ひと味違い」ます。

なぜなら、今年の夏の「背中の痛み」は、肩こりやクーラー病ではなく、【乳癌ステージ4】の「背中の痛み」です。

なぜ去年まで、「温湿布」を貼りながら「このこと」に思い至らなかったのか、今となっては不思議でなりません。

そうです、今年から痛くなったら「痛み止め」を飲めばいいのです。

「肩こり=温湿布」止まりの発想しか持てなかった自分が悲しくなるほど、「痛み止め」は、「背中の痛み」を軽くしてくれました。(涙)

結局この年は、夏が終わるまで「毎日痛み止めを飲む」ことになりました。

それでも夏はしんどくて、足がむくんだり、目眩が出たりしましたが、これまでに比べれば「数倍楽」な夏でした。

次は

お盆のお墓参りに行って気付きました (nya.63)

です。

 

しだ

しだは原始の力を感じます。

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