秋に桜「見事に咲き見事に散る」ブレイブブロッサムズ (nya.1090)
満足満足、ありがとうありがとう、夢のような1ヵ月でした。 (2019年10月25日)
私が休職中の立場を賢く利用して、自国開催の「ラグビーワールドカップ2019」を満喫していることは、以前お伝えしました。
これまでの私流のワールドカップラグビーの楽しみ方は、強豪国同士のマッチアップをピックアップして観戦し、その技と迫力とプライドのぶつかり合いを楽しむというものでしたが、今年に限っては、1週間間隔で行われる日本代表の試合をライブでテレビ観戦、日本代表の試合の行われない日は、直近の日本代表の試合を何度も再生して楽しむという具合で、他国の強豪チームは「アイルランドとスコットランド」しか見ていない有様です。(笑)
もちろん、ラグビーというスポーツそのものが楽しいのですが、そこに「強い自国代表」が加わると、これほど楽しいのかと、感謝感激です。
そして先日、、、夢は醒めるもの、お祭りは終わるもの、ラグビー日本代表の大躍進はベスト4を進出を前にして、南アフリカに「コテンパン」にやられて終わりました。
潔いくらいの「完敗」でした。
日本中の溜息が聞こえるようでした。
「終わったなぁ」と寂しさと同時に「いい夢を見させてもらったなぁ」と思いました。
この感謝の気持ちを誰にどう届けたらいいのかと考え、今回のワールドカップラグビーに限らず、いい時も悪い時も、ラグビーの試合が中継される時には必ず最大スポンサーになっている「大塚製薬のリポビタンD」をケース買いして、これまでのスポンサードに敬意を表しようと思いました。(笑)
日本代表の1次リーグの4連勝がどれほど素晴らしいプレイの連続だったかを語るとエンドレス地獄になりますし、南アフリカ戦で、2ゴール差をつけられて「負けたな」と分かった後も、最後の1分1秒まで立ち向かい続けた日本代表への賛辞もエンドレス地獄になるので割愛します。
私が、今回の日本で行われたラグビーワールドカップ2019で感動したことが、もう一つあります。
ラグビーというスポーツは「自己犠牲」や「献身」を求め讃えられる点において「戦争」によく似ていて、その国の「お国柄」がそのままプレイスタイルになりやすいため、ワールドカップのような国別の対抗戦になると、自然に「ナショナリズム」が高揚します。
ラグビーは「国歌」ではなく「アンセム」の場合もありますが、他国の人も試合前の斉唱の時は気持ちが高揚し、選手だけではなく、応援に駆け付けたファンも涙ぐんでいます。
ホスト国の日本人が、出場国への敬意を表して一緒に他国の国歌を斉唱すれば、驚くほど感謝されます。
アイルランド戦で、日本が二度目のジャイアントキリングを果たした時、スタジアムにいた5万人を超える日本人の喜びの雄叫びは「万歳三唱」、他のスポーツの勝利の時に、聞いたこともありません。
「終戦」と呼び習わされた大東亜戦争の「敗戦」から70年余の時を経て、日本人がようやく「戦後」の呪縛から抜け出そうとしていることが感じられたことが、本当に嬉しかったのです。
終戦後、日本を弱体化したまま統治しようとしたアメリカのGHQが、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)」によって、日本の子供たちへ「とにかく日本という国は悪い国で、他国に残虐に振舞ったから、アメリカが成敗したのだ」と教育し、徹底的な自虐史観を植え付けたのが70年前。
柔らかく従順な子供の心に刷り込まれた「罪悪感」を持って成人した団塊の世代が、この国の「スタンダード」を形作って久しく、日本という祖国への「健全な愛国心」であっても否定される風潮が蔓延し、今なお大学を含む教育界、SNSの台頭で「オールドメディア」となった新聞、テレビのマスメディアでは、「自虐史観」が主流です。
それが、、、「君が代」もダメ、「日の丸」もダメ、全ての『愛国心を高揚させる』ものは、過ちを犯した戦前の日本に戻るからダメ、という呪いが、自国開催のラグビーの試合一つで吹き飛んだのです。
試合前の国歌斉唱では何万人もの日本人が、「君が代」を誇らしく大きな声で歌いました。
勝利した試合の後の選手が掲げる「日の丸」ほど、喜ばしいものはありません。
素直な「国を愛する心」が、罪悪感とは無縁の、これほど当たり前の感情だったのかという確信が、ラグビーワールドカップの日本代表を観戦し、応援した何千万という日本人の心に芽生えたように思います。
そして、この光景が私にとってのラグビーワールドカップ2019の、快哉を叫ぶもう一つの喜びでした。
そしてそして、ラグビー日本代表は「ブレイブブロッサムズ(勇敢な桜たち)」という名の通り、桜のように咲き誇り、桜の花の終わる時の名残惜しさを残して、潔く散りました。
まるで数日後に控えた即位礼の前に、日本人の日本という国を愛する心を掃き清める、そのためにあったと儀式のようだとも思ってしまうラグビー日本代表の大躍進であり、散り際でした。
ラグビーワールドカップ2019で「桜」が咲き誇り、長い日本の歴史で初めて漢籍に依らず万葉集から選ばれた元号令和は「梅」を愛でる宴の序文を典拠とし、加えて神話の時代から続く天皇家の紋章は言わずもがなの「菊」。
桜、梅、菊と、日本を代表する花が咲き乱れ、何と華やかな秋を迎えたことかと、感動も一塩です。
葉隠れに 散りとどまれる花のみぞ 忍びし人に 逢ふ心地する 西行
西行は素直に「忍ぶ恋」を歌ったのですが、後に宮本武蔵の「葉隠」に転化されたことから、武士の秘する想いこそ本物という意味も加わった歌です。
ラグビー日本代表「ブレイブブロッサムズ」の戦いが終わった今、「葉隠れに 散りとどまれる花」は、日本を誇らしく思う気持ちではないかと、しきりにこの歌がよぎります。
私もまた、ステージ4のがん告知を受けて5年と半年、「散りとどまれる」ことが出来たお陰で、本来なら、見ることが叶わなかっただろう華やかな秋を堪能できました。
10月は私の誕生月。
こうして病を得ていなければ、特に「めでたさ」を感じることはないだろう52才の誕生日を無事に迎えただけでも有難いのに、今年は幾重にも重なった「夢のような時間」をご褒美に頂戴し、果報者と感無量です。
生きてサバイブを続ければ、またこのような時に巡り合うこともあるのだから、「生きることを諦めるな」と、秋津洲に住まう八百万の神々にポンと肩を叩かれたような、、、そんな10月でした。
次は
です。
ワールドカップと掛けた桜!!見事な美しさですね!!
確かに日本、ワンチームと頑張りました!!
皆、年も若いのに いい顔 いい表情していました
頑張れる何かを持つことは 人を変えます
ふるゆらさんも いいお誕生日を迎えられました。心からおめでとうございます♡
戦争の事など、イデオロギーに関しては 関わっていない時代の人間としては
安易に語れませんが、そうなのかもしれません。
但、言えることは、世界の事を見るにつけ、政治によって、人民は翻弄される事です
戦争によって、その家族は、おそらく3㈹ 影響を受けると思います。
国も人も 健やかに と 綺麗事を言うのは簡単ですが、多少とも他国を知り、自国を見れば
良いところ、改善した方が良い所、少子化と言われる今、私も感じるところ有り帰りました。
日本人が桜を愛するのは、時を同じくして花を咲かせる見事さと同時に、花の時期を終えると、枯れ残ることなく潔く散る姿が美しいからです。
ラグビー日本代表のワールドカップは惚れ惚れするほど美しかった、、、大満足です♪
日本のラグビーの試合を見るといつも「ああ、こうして日本人は己の非力を知恵で補いながら、正々堂々、死力を尽くして戦うんだ」と、「戦争で散華された若い日本人たちも、みんなこんな目をしていたのではないか」と妄想するのです。
日本という国を愛する自然な心が、日本の国のために亡くなられた方々に感謝することが、戦争を賛美することに通じるという呪いをこの国から払拭したい、そう思います。
ふるゆらさん
たくさんの思いを呼び覚ましてもらい、願っても得られ難い、世代や国境を越えた一体感を体験した1ヶ月でしたね。私も、準決勝の始まる国家斉唱の時、桜ジャージの外国人選手が、真剣に君が代を歌う姿にはっとし、一緒に歌いました。たまたま異国に生まれたけれど、魂はワンチーム!!と感動を覚えました。
地球規模で、大変な時代、、、この一体感を知って、嬉しかったです✨
ところで、ミニダックスのハナは、ラグビー中継の夜は、あちこち隠れては、ワン!と呼ぶので私忙しく、一緒に興奮しているんだと思っていたら、どうやら、歓声や落胆のどよめきが怖いらしく、、、今夜の準決勝も、洗面所に避難し、一人寂しく眠っていました。あと3夜、ごめん、、、です 風太さんは、声援をおくるふるゆらさんに、どんな視線をなげかけているのでしょう 笑
風太は、うるさいテレビ、うるさい私を一瞥し、冷たい後ろ姿を見せ、静かな環境へ悠々と逃げます。(笑)
無駄に広い百姓家屋ですので、いくらでも避難先があるのです。
私の幼い頃は、田舎ではまだ、祝日には家々で日の丸を門に立ててお祝いしていたのです。
それを見ると日本という国家の一員であると、自然に刷り込まれたように思います。
私が感動したのは、ラグビーの試合会場で5万人の日本人が君が代を声の限りに歌っていたあの歌声、試合会場以外のパブリックビューイングに詰めかけた日本人もまた君が代を選手と共に歌うことを躊躇していなかったこと。
自虐史観を植え付けようとする日教組が君が代を忌み嫌い、子供たちに植え付けようとしても、もうその呪いは破られたのだと、、、本当に良かったと思いました。