あと何度の桜かな (nya.33)
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (2014年4月6日)
友人に誘われ、花見に出掛けました。
3月31日午前、めでたく10回目の放射線治療を終了し、同日午後、消費税5%→8%の「大残業」を乗り越え、翌日4月1日の休みに爆睡して、なんとか「人心地」を取り戻しました。
ふうううううぅぅぅぅ。
未だ放射線食道炎の痛みは続き、「サンドイッチ、クリームパン、ヨーグルトドリンク」の三種の神器で食欲を満たす日々ですが、『お花見』という音の響きに負けました。
毎年、お花見に行く度に「不思議の念」が湧きます。
一般的には「伝統的な風習」を守るのに、四苦八苦している話をよく聞きますが、『お花見』にそんな努力は必要ありません。
「伝統的な風習」アレルギーを持つ、中高生ですら「当たり前」の顔をして『お花見』をします。
大袈裟だと思いますが、やはり「日本人DNA」に組み込まれているのでしょう。
そして、私も日本人として、『お花見』は、「這ってでも行く」ものなのでした。(笑)
『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』
古今和歌集 在原業平(ありわらのなりひら)・・・まったくです。
私の体力の落ち込みと、当日の天気予報から、「短時間お花見」とすることにしました。
友人2人と桜の花の下で落ち合い、午前中2時間だけ花見をして、解散です。
「お花見」の醍醐味は、春が巡ってきたことを喜び、桜の花の下で「ゆったり時間を過ごす」ことだと思うので、「もったいない」限りです。
お花見のメンバーは、私と2人の友人です。
2人の友人には、私が医者から「癌の可能性が非常に高い」と言われた時(参照:乳癌の検査 針生検(細胞診)であやしい細胞を調べる (nya.4))と、私が乳癌だと判明した時(参照:「正式に」癌告知を受ける① (nya.9))に、すぐに伝えています。
自分が癌と知り、これからどのようなことが待ち受けているのか、皆目見当がつかない時、「応援」とか「フォロー」とかを頼める友人です。
私が、突然、「乳癌です。」「大学病院で左乳房全摘&乳房再建の手術です。」「転移がありました。末期がんでした。」「手術はなくなりました。」「放射線療法とホルモン療法です。」「放射線食道炎で、食べられなくなりました」と、メール報告するたびに、気を揉んでくれていたのです。
その間、一度も会うことなく、今日に至っています。
『お花見』も、友人から「顔を見たら安心するから」と言われ、どうせなら、この季節、桜の下で会いましょう、ということになりました。
そうです。季節は春になりました。
私が最初に×病院に乳癌の検査を受けに行ったのは、2月10日でした。
立春は過ぎているものの、病院に向かう途中に見える山々は、木の芽の芽吹く気配もなく、寂しい「冬の山」の色彩をまとっていました。
先の見えない私の不安が、そのまま映されているような早春の景色でした。
通院も通勤も、約1時間。
運転しながら、四季折々の自然の美しさを愛でるのが、田舎に住む私の楽しみです。
でも、この時ばかりは、目に映る景色を見て、「この山が一斉に芽吹く頃、私は何をしているんだろう。」「新緑の頃は?」「紅葉の頃は?」と、思わずにはいられませんでした。
早春から始まった、私の「激変」する人生も、ここに来てやっと一段落しました。
気が付けば、普段は限りなく平凡な田舎の山のあちこちに、山桜の淡いピンクが見えて、華やいでいます。
そして、山の桜が終わる頃、里に「田んぼの神様」の桜が降りてきて、もう後戻りしない「春」が来たことを教えてくれます。
乳癌のステージ4の、10年後の生存率は25%です。
乱暴な計算をするなら、2年半後には4人に1人、5年後には半分の人が死んでいます。
私が「平均的な5年で死ぬ」と仮定すると、最後の2年は「終末期」で身動きが取れない状態でしょう。
あと3年。あと3回、桜を見たら、私は死に向かうのです。
私の大好きな四季の移ろいも、あと3回。
丁寧に丁寧に生きなければ、と思いました。
花見当日の天気は大荒れで、散りかけの桜が突風に煽られて、それはそれは「見事な桜吹雪」でした。
桜吹雪の中、空を見上げていると、
「このまま逝ってしまいそうで怖い。洒落にならんシチュエーション」
と、友人は半笑いしていました。
次は
腫瘍マーカー登場 主役は遅れてやって来る① (nya.34)
です。