2015年お正月 「新しい私」は1才です。 (nya.72)
お正月を迎え、一つ歳をとりました。 (2015年1月)
田舎者の「元旦」は、街の人のように活動的ではありません。
福袋をゲットするために列に並び「闘争本能」を燃やすこともなければ、美味しいものを食べに出掛けることもありません。
百姓の我が家には「お屠蘇をいただく」習慣もなく、元旦の朝「お雑煮」を食べ、午前中に地元の集落(大字:おおあざ)にある「氏神様」の神社にお参りしたあとは、年賀状を見ながら「お節」をつついて終わります。
特に我が家は、小さい子供のいない「シルバーファミリー」ですので、いたって静かなお正月です。
にぎやかなお正月を知らないので、比べようもないのですが、私的には、何もない静かなお正月が「当たり前」なので、テレビで見る「お正月」は、別の惑星の出来事のようです。
私の住んでいる集落は、50軒くらいが山裾に固まっているのですが、同じような集落が6つ集まって「大字:おおあざ」となっていて、その中に2つある神社を「氏神様」として祀っています。
小さくて、ごくごく普通の神社ですが、歴史は古く、以前は山の中腹にあったものを1441年に現在の場所に移転した記録が残されていて、長い年月、この地に暮らした人たちが、同じ山の形を目にしながら、手を合わせて祈りを捧げてきた「仲間意識」が空気中に漂っている気がします。
農村の「氏神様」は、「初詣」と、秋の豊作を祈って行われる「春祭り」と、秋の収穫を感謝して行われる「秋祭り」が、年中行事です。
神社は小高い斜面に建ち、「氏神さま」が広々と広がる水田を満足そうに見下ろして、「ここは本当に豊かないい土地だから、村の衆、せいぜい励みなさい」と言われているようです。
田舎者にとって「初詣」は、元旦の午前中にお参りするのが常識とされていますので、数組の家族と行き会うのですが、小さな田舎の神社の境内で、お互い「急ぐ必要はさらさらなく」、しかも大抵顔見知りですから、新年のご挨拶やら、雑談を交わして順番にお参りします。
元旦に、決して混雑することのない「氏神様」にお参りして、急かされることなく「旧年の感謝と新年の願い」を神さまに申し上げることができる「田舎の初詣」が、私は大好きです。
元旦の午前中の境内は、冬の寒さでぴんと張りつめていて、深く息を吸うと、境内の内外にある松や杉の木の香りが、冷たい空気と一緒に身体の中を巡り、本当に心地よい空間です。
2015年の元旦は、私が【乳癌ステージ4】と知って初めての初詣です。
2014年の元旦は、1か月後に自分が乳癌だと知ることになると思いもせず、手を合わせました。
それから本当にいろいろあり、【乳癌ステージ4】の私は、それ以前の私と決別し、「新しい私」となって赦された時間を生きていこうと決めました。
【乳癌ステージ4】という外部からの強制的な力によって成されたことではありますが、「人生は有限なんだ」と知った時、「新しい私」が生まれたのだと思います。
そして、初めての「お正月」。私は1才になりました。
「新しい私」はよちよち歩きです。
以前の私のように全速力で走るようなことはせず、ゆっくりと周りの景色を楽しんで時を過ごしたいのなら「よちよち歩き」がちょうどいいのです。
私に赦された時間の長短は「神さまにお預け」して、そのことを思い煩うことはしない、とも決めましたが、その「神さま」の前に立ち、手を合わせると、「ええと、何をお願いしたらいいのかな?」と途方に暮れました。
まずは、様々なことを経て、それでも去年と同じように、元旦に穏やかな「初詣」をさせていただいていることに感謝して、・・・。
「今年も私なりに、精一杯努めますので、なにとぞお導きください。」
結局、去年とまったく同じことをお願いしてました。(笑)
「新しい私」となっても、進歩のない私の「お願い」を「あ~、はいはい、わかったわかった」と苦笑しながら、氏神様が受け止めてくださったような気がしました。(笑)
次は
「人事異動」はサラリーマンのお祭り「え?私っすか」 (nya.73)
です。