“Go To ”高野山その2 雑記 (nya.1447)
高野山参拝のアレコレをもう少しだけ、、、 (2020年10月16日)
このご時世にもかかわらず、己の体力のなさを顧みることもなく、去る10月2日、3日に高野山へお参りしたことは、先週のブログでご報告しましたが、「あらまし」を書くだけで力尽きてしまいましたので、もう少し道中のアレコレを思いつくままに書こうと思います。
まず、私が「よし、高野山へお参りしよう」と心に決めたのは、YouTube動画『実は、お守りにはスゴイ開運効果がある!!【ぶっさんねる】知られていないけどパワーがスゴイ「レアなお守りベスト3」】を8月末に見たことがきっかけでした。
お守りの名前は「千枚通し」、縁あって真言宗の家に生まれて52年、「南無大師遍照金剛」と書かれたお札を水に浮かべて飲んだら「難病が治る」なんて、現世利益を求める浅はかな私の心にスマッシュヒットです。(笑)
折しもその数日前、乳がんステージ4の私は、きれいさっぱり消えていたはずのがん転移が9カ所も「再燃」していることが判明し、安直な私の心は「こーゆー時は神頼みっしょ♡」と思っていた矢先のコレ、そりゃもう煩悩以外の何物でもない「GETの欲望」がごうごうと燃え上がり、野火のように燃え広がりました。
高野山の奥の院で手に入るお守りと聞き、俗世の垢にまみれた私は、すぐに「通販」で手に入らないものかとググって見ましたが無理、、、んがしかし、「ふっふっふっ、何のための休職生活(=プータロー)、私が高野山へお参りするのを阻むものなど何もないゼ、はっはっはっ」と、すぐさま楽天トラベルに飛びました。
こうして私は、高野山へ「呼ばれた」訳ですが、今にして思えば「予兆」がありました。
神社仏閣が好きで仏像大好きの私ですが、ここ数年は、ググっと日本の神さまに傾倒し、異国の神さま?である仏教とご縁が薄くなっていたのですが、今年の8月の始め頃、卒然と「声明(しょうみょう)が聴きたい」という衝動が湧き、田舎に住む変人だけに許される特典として、大音声で繰り返し聴いて、「倍音」の響きを音楽として楽しんでいたのです。(笑)
声明とは、
声明(しょうみょう)とは、仏典に節をつけた仏教音楽のひとつで、儀礼に用いられる。仏教が起こったインドで生まれたあと中国に伝わり、中国から仏教伝来と共に日本に伝わり、定着した。キリスト教に賛美歌があり、聖歌隊があるように、仏教にも仏教を賛美してお経に節をつけて歌う専門の僧侶がいた。754年(天平勝宝4年)に東大寺大仏開眼法要のときに声明を用いた記録があり、奈良時代には声明が盛んにおこなわれていたと考えられる。平安時代初期に最澄・空海がそれぞれ声明を伝えて、天台声明・真言声明の基となった。天台宗・真言宗以外の仏教宗派にも、各宗独自の声明があり、現在も継承されている。源氏物語の中に度々出てくる法要の場でも、比叡山の僧たちによって天台声明が演奏されていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E6%98%8E
というもので、私的には「平安時代のグレゴリオ聖歌」のようなものだと感じます。
※ちなみに、私がハマって繰り返して聴いていたのはこれです。
※私と同様「変人気質」の方にはおススメです。(笑)。合掌。
そーです、コレが例の「貴船神社パターン(命名私)」です。
貴船神社へお参りした時も、貴船神社へ行こうと思う1ヵ月前くらいから、しきりに「川のせせらぎ音」が聴きたくなって繰り返し聴き、貴船神社へ着いて川のせせらぎに包まれた時「これって、あの時から呼ばれてたのか」と得心したのですが、今回はそれが声明だった訳です。
無駄に暇な身の上、高野山へお参りするなら「暑さ寒さを越えたお彼岸以降」と決めたものの、いつお参りしても良かったのですが、ふと、高野山の年中行事の10月を見てみると、弘法大師さまの御廟の前の燈籠堂で、10月1日から3日間、『奥の院萬灯会』が開かれ、
「ともしび」にたくされた、様々な願いがかなえられますよう、山内の浄侶が多数集まって供養されます。高野山の数少ない夜の行事であり、僧侶達のきらびやかなお袈裟と共に輝く燈明たちが、何とも言えない幽玄な世界を創造してくれます。この行事のもう一つの特色は、共に供養する僧侶として、高野山専修学院の生徒たちが加わります。彼等の初めての表舞台でもあり、若々しく力みなぎる「祈り」の世界を体験することができます。http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/event.html
と書かれています。
大勢の僧侶の方々が声を合わせて読経される、、、声明とは少し異なりますが「ああ、これって、、、」と思わずにはいられず、迷わず10月2日の満月の夜、宿坊宿泊を「ポチッと」した次第です。(笑)
※ちなみに『奥の院萬灯会』は年に2回、4月21日と10月1、2、3日、19時からです。
そんなこんなで高野山へホイホイと引寄せられて出掛けたのですが、到着し、大門を見上げた時の感想は、交通インフラのない時代に命懸けで険しい山々を越え、登って辿り着いた先に、奈良や京都に勝るとも劣らない朱塗りの寺院が現れたら、そりゃぁ「ここが極楽か?」と思わずにいられなかっただろうと思いました。
宿坊に行く前に、大門、金堂、根本大塔、金剛峯寺の順に「名所」を巡りましたが、金堂内部の拝観を済まし大塔の鐘に面した外縁に出たその瞬間、毎日午前4時、午後1時、午後5時、午後9時、午後11時の5回に分けて時刻を高野山内に知らせている「大塔の鐘」が鳴らされたのには魂消ました。
5回鳴らされる鐘の1日の合計は108つだそうですので、20%ほど煩悩を払っていただいた計算です。合掌。
根本大塔の脇には「三鈷の松」があり、通常の二つに分かれた松葉ではなく、密教の仏具の三鈷杵と同じく、三つに分かれた三葉の松葉が中にはあるそうで、「三鈷の松」としてまつられています。
三葉の松葉が見つかれば、縁起物として落ち葉を持ち帰りお守りとするのですが、私は熱心に三葉の松葉を探しておられる方を尻目に境内を歩き、再度「三鈷の松」の脇に立った時「そう言えば縁起物だったような、、、あんなに熱心に探しても見つからないレア物なんだなぁ」と思って足元を見ると、、、「あり」ました。
長時間探しておられる方に申し訳なく、何気にしゃがんで拾い、そそくさとその場を歩き去りました。(笑)
高野山の壇上伽藍の根本大塔は、弘法大師さまが思い描いた真言密教の世界が、「ほんとうに、そこにある」と感じました。
正面の大日如来さまの前に座って合掌したのですが、左側におられる如来さまとばっちり目が合って、、、気を取り直して塔内を一周し、再度大日如来さまの前で合掌しても、やっぱり目が合ってしまうので、これは気のせいではなくご縁のある如来さまなのだと思い、家に帰って調べたところ、南方を司る宝生(ほうしょう)如来さまでした。
語源は「宝よりうまれたもの」を意味し、財宝を生み出し人々に福徳を授けるといわれています。一切の垣根を取り払い、あらゆる全ての現象・事物を平等に観るという意味で「平等性智(びょうどうしょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。
ご利益には、病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるとされているそうですので、ご縁があってラッキーでした。
宿坊は、奥の院「ナイトツアー」の集合場所である恵光院にお世話になりました。
宿坊に泊まると、翌朝の勤行(ごんぎょう)をお勤めさせていただくのが一般的ですが、こちらの宿坊は、勤行の後毎朝、毘沙門堂で護摩供養をしておられ、そのような宿坊は高野山でも僅からしく、有り難い体験でした。
「顕教」と「密教」の違いが浅学な私にはよく分からないのですが、「顕教」が言葉にして表わされるものに対し、「密教」は、言葉にならないものが教義とされていると理解しています。
8畳ほどの毘沙門堂の中央に空間の半分を占める護摩壇が設けられ、脇に置かれた太鼓の音が体を震わせ、それに合わせて読経の声が響く中、天井まで立ち上る炎に、私がお願いした「当病平癒」のお札が炎を舐めるように振られます。
仏教なのですが、どこかシャーマニズムを感じる宗教体験で、「ああ、これが弘法大師さまが持ち帰られた密教なら、神道というアミニズムを内包する日本の精神と親和性が高いのも頷ける」と感じました。
高野山にある寺院の数は、現在117だそうですが、その昔は、この毘沙門堂のような小さなお堂が2万近くあったそうです。
※毘沙門堂の護摩供養のYouTube動画を見つけましたので、ご興味のある方はご覧ください。
そして2日目の朝、勤行と護摩供養と朝食の後、昨夜の「ナイトツアー」に続いて2度目の奥の院参拝(参道往復4km)をした私です。
誤解があるといけませんので断っておきますが、私は「それほど」信仰心が篤い訳ではありません。
ただ、、、「ナイトツアー」で奥の院へお参りした時間では、今回のお参りの目的「千枚通し」のお守りを買えないから、、、というだけのことです。(笑)
2度の参拝で、私の足はお亡くなりになってしまいましたが、夜も朝も、気持ちのいい散歩でした。
どこまでも高く伸びた杉の巨木に囲まれた空間ですが、威圧感はなく、巨木の杉は高野山という結界を穏やかに守る「近衛兵」のようでした。
巨木の足元に積まれた無数の石は、供養塔を建てることのできない庶民の供養塔で、巨木の大きさと対比した、人の願いの儚さが愛おしく、見飽きることがありませんでした。
高野山へお参りして帰宅後、せっせと「足三里」にお灸をし、ふくらはぎと足の裏にせっせと1週間湿布を貼り替え続けましたが、その甲斐はあったと思える旅でした。
これまでも数え切れないほど唱えた「南無大師遍照金剛」ですが、これからは唱える時は必ず、奥の院の御廟の前で手を合わせた時の風景を思い出しながら唱えますので、その分弘法大師さまに届くような気がします。
今年の春、時が至り、心の中で大きな変化が起こりました。
これまで52年間、それと気付かず身に纏っていた最後の重い重い「呪い」を脱皮したと思った時、どうしても振り払えなかった自分に対する不信、不安から自由になれたと思った時、「もう、戦わなくていいんだ」と得心し、ようやく身軽になれた自分を誇らしく思いました。
「流されるだけ流されてみよう」「自分の守護を信じ、これから起こるいいことも悪いことも、やがていいことに通じると信じ切って、全身全霊、身を委ねて生きてみよう」と心に誓ったのですが、どうやら「流された」先の一つには高野山があったようです。
ふっふっふっ、三鈷の松と宝生如来さま、もちろん弘法大師さまも、「ええようにしてください」これからもよろしくお願いいたします。(笑)。合掌。
(おしまい)
ふるゆら様
今日も沢山の荘厳な写真拝見しました
声明動画にも驚きましたよ。こんなのがあるのですね
声明って、何だか、聞いていると魂が落ち着きます。
三鈷の松、私は別の神社のを友達に頂きました。お財布に入れておくとお金がたまるそうよ⁈っと(笑)
珍しいそうですね それをまた、直ぐに見つけて、ちょっと探している人に申し訳ないと
場所を離れたのも、また、優しいふるゆらさん!!
思い出の額も丁度良く収まっていますね
おおおっ、声明を気に入っていただけましたか(笑)、そりゃまた、通ですな。(笑)
そーなんですよ、三鈷の松、あんまりあっさり見つかったので探し続けている方に譲ろうかとも思ったのですが、自分が拾った運を他の人にあげるもの違うような気がして、有り難く頂戴して持ち帰りました。
こんなこともまた「ご縁」には違いないですものね。