風太「いてて」栗林散歩 (nya.859)
「肉球vs栗のいが、、、わしの完敗じゃ(嘆息)」by風太 (2019年3月8日)
私の家の裏には低い低い山があります。
昔は台所も薪、お風呂も薪でしたから、薪が手に入りやすく、大雨が降っても浸水しない山沿いの少し高い土地に住むことは、至極必然かつ当然だったのです。
家の近くにある山は、ご近所の一族間で「分かりにくい」境界線により区分され、「山分け」にされています。
正真正銘「山野を駆け巡って」成長した私ですので、山は「遊び場」であり、それは自分の家の山だけに限定されるものではありませんでした。
そんな山の中にあるご近所さんの急斜面の畑は、幼い頃、何度も何度も駆け上がり駆け下りた思い出深い場所であり、今となっては、五十路を越えた私の「徘徊」散歩のコースに組み込まれています。
私が幼い頃は、ここは「栗林」ではなく「梅林」でした。
と言っても、びっしり梅の木が植えられているのではなく、最初の何本かは人の手によって植えられたのでしょうが、その後は実生の梅の木が育ったという風情で、いい感じにまばらでした。
遅咲きの梅は旧暦のおひな祭りの頃、桜や桃より少しだけ先に咲き、その頃には斜面はふかふかのクローバーで覆われて、そこここにタンポポが咲いて、「まさに春」でした。
幼い頃の兄と私は、おにぎりとお茶を用意した母に連れられてこの場所に来て、茣蓙を引いて「お花見」を毎年したのです。
野生児の私に「花を愛でる」感性の持ち合わせはありませんでしたが、あの時のおにぎりの味と青い空、急斜面のクローバーの上で前転してみたり、クローバーの花とタンポポを編みこんで花冠を作った記憶は、私の幼少期の思い出の中でも、燦然と輝く「牧歌的」な風景です。
小学校に入学する頃まで続いていた「お花見」もいつしか途絶え、成人し、社会人になり、病を得て、ブログを書き始め、デジカメを持って近所を「徘徊」するようになり、茫々40年の歳月の果てに再会したこの場所は、梅林から栗林へと変身を遂げていました。
それでもやっぱりこの場所を訪れると、クローバーの上を前転した時の感触と草いきれが蘇り、「ああ、楽しかったなぁ」と思うのです。
悲しいことばっかりだったと思う私の幼少期に、暖かく、柔らかく、キラキラした時が確かにあったのだと思えることは幸せです。
幼い頃だけでなく、悲しいことも楽しいこともあったはずなのに、人は楽しいことを忘れ、悲しいことを反芻します。
この場所に「再会」することがなかったら、「お花見」のことを思い出さなかったかもしれないと思うと、「心して、楽しいことを記憶しよう」と、心に誓うのです。(笑)
さてさて、そんな「栗林」に風太と出掛けました。
ここは家から少し離れているので、風太の「テリトリー外」です。
オス猫の行動範囲は去勢していない場合は半径約500m、去勢した場合は半径約200~500m、メス猫の場合はその10分の1程度と言われていますが、思うにそれは、危険を察知した時に全速力で「ホーム」に逃げ帰れる距離なのではないかと推測します。
風太と散歩していると、ある時、ある場所でピタッと止まります。
その先へ私が歩いていくと、「アンタが行くならわしも行くけど、わしから離れるなよ」と視線で念を押されます。(笑)
「栗林」もそんな場所です。
以前にも一緒に来たことがあり、その時も栗のいががゴロゴロしているのに、風太がちっとも嫌がらないので「肉球って、万能なんだ」と感心したのですが、、、。
今回、よくよく風太を観察すると、「やっぱ、痛いんじゃん(笑)」と判明した次第です。
ただし、「どーして痛い」のかが腑に落ちないらしく、何度も出撃と撤収を繰り返していました。(笑)
「お花見」から40年、、、兄と母とのどかな春を楽しんだ同じ場所で、今度は愛猫風太と笑いながら散歩しているのですから、人の一生は分からないものです。
今の私がこの後40年生きることはあり得ないのですが(笑)、生きている限りこの場所は私にとって、「梅林」も「栗林」も、幸せな記憶に結びついた場所として刻まれました。
これほど自由に山野を散策し、「巡回業務」をこなしている風太が、夜寝る時には必ず私のベッドに上がって気が済むまでフミフミをして、私に蹴られても押しつぶされても(笑)、丸くなって寝ていることもまた、奇跡のように思えて幸せです。
おしまい。
次は
です。