夏の夕景「金色のすずめ」散歩 (nya.1013)

夏の夕景 すずめ

夏の夕景 すずめ

雑草はお百姓の敵なんですが、、、「金色のすずめ」はきれいです。 (2019年8月9日)

私の住む田舎は、大きな川の河口が作ったいわゆる扇状地(せんじょうち= 山地を流れる河川が運搬した砂礫が、扇状に堆積した地形)です。

「平野」と呼ぶのはおこがましいものの、平らな地面が、南北3km、東西5kmくらい続いています。

さらにその「平野」が、低い山に囲まれているお陰で空がとても広く、どこまでも穏やかで優しい風景です。

夏の夕景 すずめ

夏の夕景 すずめ

夏の夕景 すずめ

近現代の「開拓」とは無縁の、生まれつきの「扇状地」という土地柄ですから、昔々の人も「ああ、ここはいい♪ここに住もう♪」と思われたようで、名もない田舎ながら巨大な磐座、前方後円墳、横穴式古墳群もあったりします。

8世紀頃に作られた「条里制水田(じょうりせいすいでん)」の遺構があり、それは、「大化改新に始まる班田収授法を円滑にする」ためのものだそうで、驚くことに、その遺構の近くに住む今現在の人たちの名字の多くが「水田(みずた)」です。(笑)

その事実を知った時、「どれだけ流動性のない土地なんだ」と思うと同時に、「水害に悩まされた土地であるにもかかわらず、穏やかで豊かで他の土地に移り住むことを思いつかないほど恵まれた土地なんだなぁ」と、しみじみこの土地に生まれた幸運に感謝しました。

夏の夕景

夏の夕景

夏の夕景

今、私の目の前に広がるのは、どこまでも続く平らな地面のほぼすべて水田と畑であり、「キングオブ THE・日本の田舎」の王道の風景ですが、古代の人たちの前に「ただただ平らな地面」が用意されていた訳もなく、高低差はないものの、自然のままに凹凸があり、あちこちに木が生え、岩がゴロゴロした未開の平野があったことでしょう。

名もない田舎で古代に行われた開墾は、明治以降に行われた北海道の開拓の歴史のように、記録に残されることはありませんが、「大木を切り倒し、根を掘り上げる、岩を動かし、水路を作る」という気の遠くなる作業を人力で行ったことに違いはありません。

平均寿命が30才だった当時に、これまた気の遠くなるほどの世代交代を繰り返しながら、倦まず弛まず「田んぼを作り続けた」ご先祖さまたちが注ぎ込んだ膨大なパワーが、この穏やかな田舎の風景に秘められていることを考えずにはいられません。

夏の夕景

夏の夕景

夏の夕景

そのようにして苦労して作り上げた田んぼに、雑草は大敵です。

今のような肥料のなかった時代、稲が育つための養分を奪う雑草は、徹底的に取り除くべきものでした。

私の家は戦国時代頃にこの土地に流れ着いた「新参者」と年寄りから聞いていますが(笑)、祖父母が健在で私が幼かった頃、水を張った田んぼの泥に膝まで浸かりながら、稲と雑草の見分け方を教えられた記憶があります。

そして今、、、限界集落となろうとする今、、、休耕田が増え、手入れをしなくなった田んぼでは、稗や粟、蓼、猫じゃらしなどの雑草が、圧倒的な生命力で繁茂しています。

夏の夕景

夏の夕景

夏の夕景

古代の方たちがこの土地を開墾してから、茫々と時が流れました。

彼らが今の田舎の風景を眺めたら、何を想うのでしょう。

これも人の世の常、仕方がないと思われるでしょうか。

それとも、これも長い歳月の中の一コマに過ぎず、次に時代の転換点を迎えた時、自分たちが開墾した労苦が報われて、再び一面の水田で稲が作られる日が来るかもしれないのだから、気にしないと思われるでしょうか。

夏の夕景

夏の夕景

夏の夕景

そんなことをぼやぼや考えながら、日に日に確実に早まっていく日没の中、でもまだ依然として衰えない力強い太陽から放たれる黄色味を帯びた光線を受けて、神々しい程に金色に輝く雀たちを眺めました。

これほど多くの雀が群れているのは、夏場に雀たちが飢えることなく過ごせるからであり、それは稲ではなく、多くの雑草が雀たちに豊富な食料を提供しているからでもあるのです。

ご先祖さまに申し訳ないような一抹の悲しさがありつつも、圧倒的に美しいなぁと思いました。

けれど、さらに長い歳月で俯瞰すると、今は化学肥料や農薬に頼った稲作をしたことで生じた歪みをゆっくり解毒するための時間なのかもしれず、大地が本来のバランスとパワーを蓄えつつあるのかもしれないとも思うのでした。

おしまい。

 

次は

です。

 

夏の夕景

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夏の夕景「金色のすずめ」散歩 (nya.1013)” に対して6件のコメントがあります。

  1. 金太郎 より:

    我が家からの徒歩圏には貝塚があります。
    今日のブログは深いというか、色々と考えさせられますね。
    改めて私が旧人類に属していることを、ある種の喜びをもって自覚しました。

    『再び一面の水田で稲が作られる日が来るかもしれない』に一票です。
    ノスタルジーかもしれないし願いかもしれませんが。

    1. ふるゆら より:

      はい、金太郎さん、金色に光る群雀をうっとり見ながら、、、「それにしても、ちと多くないか」と思ったのです。

      私の幼少期の記憶を辿っても、夏場にこれほどの雀を見た覚えがないのです。

      原因は目の前に広がっていました。

      「そりゃぁ、、、ね」です。(笑)

      でも、現状が永遠に続き、再び縄文の原野に戻るのかと短絡するのも浅はかだろうと思ったのです。

      2000年かけて今の田舎が形作られ、ここ数十年耕作放棄地が増えたからと言って、悲観するのは近視眼に過ぎますよね。

      願わくば、私がもうこの世から卒業した後にでも、もう一度この田舎を見にきたいものだと思いました。

  2. ゆうこ より:

    この世のすべては全く春の夜の夢のごとし ですね
    多分 人は死んだ時 きれいな花の咲いた一本道を
    ずーっと歩いて門のようなところに辿り着くのじゃないかと
    思うのですけど そこではこの現し世より 色はより鮮明で
    より穏やかで静けさに満ちていてやすらぎを感じられるのかも
    知れません
    その道を歩きながら人はみんな
    「あの人生は現実だと思って深刻に人の目を気にして生きて
    きたけど あれは夢だったのか!実在はしてなくて
    全部自分の心象を写す風景だったんだな。
    なんだ……なら、もっと思いっきりしたいことをして
    好きなように天衣無縫に生きればよかった。
    この人生は夢なんだ、と見破れ無かったんだな。
    よし、次はもう失敗しないぞ!
    自分の心に忠実に思いっきり生きよう!」
    と思うかも知れませんね
    人間が何十年、何百年かけて築き上げたいかなる遺産も
    建築物も地震や天変地異であっという間に滅び去ります
    分かっているけどやらなければならない。
    食べて行くために。
    私達はこの世に居ながらにして何ひとつ得ることも
    触れることも所有することもできないのだと思います
    なぜなら夢だから。
    それに気づくために毎晩夢を見るのかも知れません
    今もあちこちで飛び交っている無数の隕石。
    いつ巨大な隕石が地球めがけてやってくるか知れません
    分かったところで逃げようがありませんね
    運命もろとも 皆一緒に滅ぶのでしょう、その時には。
    そしてまた氷河期がやってくる
    このことを考えると宗教など超越して一瞬一瞬を
    慈愛の眼でもって心を尽くして生きたいなと思うのです

    1. ふるゆら より:

      昔、歴史の授業で信長が好んで口にした「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり(人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ)」を知った時、「え?昔の人って50才で死んでいたんだ」と驚きましたし、「50年て、天の時間でいうと1日なんだ」と驚きました。

      それからしばらくして、大学で万葉集を先行することになり、奈良時代の平均寿命は30才、縄文時代は15才と知って、再度のけ反りました。

      もちろん乳幼児の生存率が低いためにこのような数値になるのでしょうが、それにしても、、、です。

      30年を一生として生きる人が感じる「時」や「生死」はどのようだったのだろうと思い、昔のことを学ぶ時、現在の感性で想像すると大きく誤ると思いました。

      まことにもって「夢幻」です。

  3. sizu より:

    ふるゆら様

     暑中お見舞い申し上げます
     お盆近くになると 本当に暑くなってきました
     思い切ってこの夏はクーラーを付けられたので、人様事ながら安心します。
     夜の睡眠は大切です。

     今日の雀も夕陽を浴びて金色に、本当に綺麗ですね~
     土地柄の説明も...
     私も・・運動家ではないですが、お米は日本人の主食!
     とても とても大切です。

    1. ふるゆら より:

      sizuさん、残暑お見舞い申し上げます。

      「立秋」という言霊のせいと思いたいところですが、たぶん、きっと、遠くの台風のお陰で、暑いながらも心地よい風が吹いています。

      私の精神衛生上では大いに効力を発揮してくれている「エアコンの冷気」を 私の体が「大嫌いーーー!!」と主張することは、本当に本当に残念無念です。(涙)

      ですから、心地よい風のお陰で、エアコンを使う時間を短縮できることは、無上の喜びです♪

      そろそろ、毎年夏恒例の「むくみ&めまい」コンビが頭上でステップを踏み始めました。(嘆息)

      「ほど良い」って難しいなと思う今日この頃です。

      sizuさんも、残暑厳しい折柄、なにとぞご自愛ください。

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