さてさて、2020年も『しいたけ占い』に聞いてみよう♪ (nya.1167)
「占い」って無責任だから、何故かちょっと気が楽になるんですよね。(笑) (2020年1月10日)
新年のご挨拶で、私が「なるようになる」と思い定めて、いよいよますます、ある意味確信犯的に、ぼーーーーーっと日々を送っていることをお伝えしました。(笑)
昔々の偉い先生である孔子さまは、晩年に振り返って、
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)
と仰られたそうですが、そんなことは凡人である私に当てはまるはずもありませんよね。
40代を五里霧中で頭をぶつけまくって過ごし、50代になっても「てんめい、何それ、美味しいの?」という有様、とてもとても、何かを残してこの世を去るなんてことは出来ないのだと、とっくの昔に腹をくくっています。(笑)
ただ、孔子さまとは天と地ほども離れた意味ではあるものの、耳順う(人のことばに素直に耳を傾ける)ことができるようになりました。
この年になるまで生きてケーススタディを重ねると、ささやかな日常の取捨選択から、人生の大きな分岐点での苦渋の決断まで、すべて自分の意志で「選び、勝ち取った」とは言い切れないことを、薄々承知の上で生きていると自覚するようになるからです。
それまで長いこと、灰を被って熾火になって、心の奥の奥の方で眠っていたのに、誰かが熾火に息を吹きかけたように小さな炎となって目覚め、当の本人が「なぜ?今?」と戸惑っているというのに、ぐんぐんその方向へ進んでいる自分がいる、なんてことが複数回あれば、「縁」とか「タイミング」とかの妙に気付かざるを得ないというものです。
神さまは「時を裁量」することで、万人に力を及ぼされるのだそうですが、私はというと「なぜ、こんな田舎道で今日に限って全ての信号に引っ掛かるかな」という時は、「はははぁ~ん、神さま、やってるな♪」と思います。(笑)
「あと数秒遅かったら、事故るところだった」と、九死に一生を得たことを神さまに感謝したことでしょう。
神さまが、いろんなタイミングの微調整をこまめにしてくださるお陰で、「今」の私が形作られています。
これはまぁ、私のようにコツコツと努力することなく、「野生の勘」という非科学的なひらめきと、それに対する根拠のない自信だけで、世間の荒波を乗り越えようとする人間が、辿り着く「居直り」の境地であり、つまるところ「なるようになる」と思う地点で思考停止となります。(笑)
・・・という訳で、先のことを考えても何一つ良案が思い浮かばない時は、、、「神頼み」ですね。(笑)
「何とぞ何とぞ、良き方へお導きください」
そして、これじゃあ、漠然とし過ぎて神さまもお困りになるだろうと思うほどのことしかお祈りできない時は、、、「占い」です。
その年の「上半期」と「下半期」の『しいたけ占い』がアップされる度に、有難く拝読して、分かったような気分になります。(笑)
全くその通りになるという保証もないのですが、6ヶ月分の占いを読んで、その道のりのアップダウンやカーブの角度を想像し、アクセルを踏んだりブレーキをかけたりしてシュミレートするのが楽しいんですよね。
自分のことなのに「おお、そんな風になるのか、私」と、無責任に妄想するのです。(笑)
『しいたけ占い』、、、当たるも八卦当たらぬも八卦と言うにはちょっと思い当たることの多い優れものです。
さてさて、「2020年上半期しいたけ占い」https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake2020-h1/のてんびん座をチェックです。
2020年上半期、天秤座は「生きていきたい場所が変わる。2019年から続けてきた努力が実っていく」です。
むむむ、のっけから痛いです。
「2019年から続けてきた努力」、、、身に覚えがありません。(笑)
もしかして、2019年に何の努力もしていない者は「生きていきたい場所が変わる。」ことも起きないのではないかと心配になります。(笑)
まぁ、そんな今さら取り返しのつかないことを思い煩っても仕方ありませんので、先を読み進めました。
てんびん座に限らず、
2019年という年は、多くの人にとって「自分のルールを見直す」という難題にチャレンジした1年になったと思います。幸せを築いていくって、時に辛いのです。いらないものを捨てなければいけないし、他人の期待には応えなければいけない。さらに、2019年は多くの人が「このままの形ではちょっと頑張れないかもな」と、弱気や燃え尽きすらも感じた。
のだそうですが、これは「大いに思い当たる」私です。
特に「このままの形ではちょっと頑張れないかもな」にグッときます。(笑)
2014年にがん告知を受けて「新しい自分」になって生きるつもりになっていたのに、そうはならなかった自分がいました。
「こういうのが自分」と自分で自分を縛って、「新しくなれない」のです。
休職しなければ今でも縛られていただろうと思います。
「暑くなったら脱げばいいんだから」と思い、用心のために重ね着をしていたコートを一枚、また一枚と脱ぎ捨てて「今までありがとう、バイバイ」と言えた2019年でした。
そして、しいたけさんは、2019年のてんびん座を
「今までのイメージの自分」ではいられなくなってきたのです。
「自分はこんな人間だったんだ」と気づいたり、自分がやってみたかったこと、そして、伝えたかったこと、表現したかったことが結構激しくて自分でもビックリしていきました。「自分の素ってこうなんだ」と、普段は社会性や常識など、大人という形で抑えてきたものの大きさや強さに自分で驚いていく。「私ってこんな奴だったんだ」と、隠されてきた自分のイメージや感性、そして衝動に気づいていったのです。
と総括されておられます。
誠にもって、所詮凡人の私、しいたけさんの手のひらの上で踊りまくっていますね。(笑)
そして、2020年上半期の私は、
2020年上半期は「この選択は、私にとっては革命的だ」とか、そういう感覚を多く持っていくことになります。革新や改良、進展などではなくて、今までの自分をいったんすべて壊すかのような革命。
あなたにとって2020年の上半期は、いい意味で「あっという間に時間が過ぎて、驚くような結果を手に入れていく」ような、嵐のような流れになっていくはずです。
「革命」って、、、、。(爆笑)
どんなに妄想を逞しくしても、今の自分の中に「革命」なるものを見出すことは出来ませんが、今年は長い長い「長期病気休職」が終了するのですから、新しい風が吹くのかもしれません。
でも、、、「嵐のような流れ」って、、、。
怖い、怖すぎます。
確かに、アスリートの方々とは違う意味で目指して生きてきた「東京オリンピック」をテレビで見放題のポジションをゲットしたのですから、その間は、「嵐のように流れ」「嵐のように応援する」ことになるとは思うのですが、、、。(笑)
妄想はともあれ、
目に見えないストレスが結構溜まりやすい状態なので、「強く言わなければ誰もわかってくれないんだ」とか「あー、この人は全然わかっていなかった。今まで伝えてきたことはなんだったんだろう」という怒りや失望を感じたら、それは単に根詰め過ぎて自分が疲れているだけだと思ってください。リフレッシュがすごく大事になります。
だから、「他人のせいにし出したら疲れているんだ」という感覚だけは覚えておいてくださいね。そしたら、ファンタジーを求めて場所や空気を変えていきましょう。
このしいたけさんの金言を胸に刻んで2020年上半期を歩こうと思います。合掌。
次は
です。
わあ〜〜
では意識の改革ですね
私は先日御ブログを拝見していて何かの拍子に
指がNo.361だったかNo.316だったかその辺に
触ったのか ふるゆらさんが足を骨折されたという内容の
ページを初めて拝見しました
それは私の知らない、まだふるゆらさんの存在を知らない
時の記事でした
そしてふるゆらさんも私を知らない
でも今は知っている
知っている今の私が知らない時の、私を知らないふるゆらさんを
見ている というのが妙に不思議に感じられました
そして確かに過去 現在 未来は たった今 同時に起こっている
と思いました
神様は時を裁量することで万人に力を及ぼされるというのは
本当にそうだと思います
時 という概念がないと私達は神様を理解できないからですね
でも本当は 時 は存在しないのでしょう
これは朗報ですね
それは未来をどのようにも今の心持ち次第で変えられると
いうことを示していると思います
2020年6月、「こんなふうになるとは1月には知らなかったな、
でもなんでかきっと未来は明るいとは思っていた」と
思える為に...多分「時間」の想念があるように思えるのです
はい、ゆうこさん、何しろ「革命」です。(笑)
私のスパルタな守護天使さまたち、神さま仏さま、きっと後から考えたら「こりゃ一本取られましたね」と苦笑いする他ない剛腕ぶりを発揮してくださるのだろうと思います。
これまでもそうだったように、変化のタイミングでは、鈍感な私にも分かりやすいように、これでもかとあちこちにサインを散りばめてくださるでしょう。(笑)
楽しみです♪