やってしまいました、腰トホホ(嘆息)事件 (nya.558)
ほんとに何事もない日々って難しいことですね(嘆息) (2018年5月11日)
5月に入り、ふと「しんどくない」自分がいることに気付きました。
身体も心もです。
懸案の「背中が痛い」についても、疼くようなことが格段に減りました。
この状態は私にとって「画期的」というべきもので、最後に「しんどくない」自分であったのは大学生の時だと思われます。
就職した会社がハードワークを求められる職種でしたので、社会人になって数年は、「労働者仕様」の身体に改変することに追われました。
そしてようやく身体が仕事に馴染んで、業務自体にも馴染んだ頃には、私の身体は「原因不明」の体調不良を常に抱える状態になっていました。(嘆息)
最初は29才、原因不明の微熱で会社を休職し、病院へ検査入院、今思えば、その時から「背中が痛い」が始まっていました。
よもや15年後に、PET/CTの画像が真っ黒になるまで乳がんが転移した身体となることは露知らず、現在も続く「背中の肩甲骨の間が痛い」症状は、「強度の肩こり」だと信じていたわけです。(嘆息)
微熱が続いても、普通の生活が送れないということは何一つなく、「めし、酒、たばこ」のどれも美味しくいただけましたし(笑)、仕事にも支障があった訳ではありませんが、微熱の身体で働くと「体力の消耗が早い」のです。
重い身体で出社、仕事中は「昭和のど根性」で乗り切り、終業後は「燃え尽き」ていましたので、その頃から、私の休日は文字通り「身体を休める日」となり果てました。(嘆息)
その後も体調不良の歴史は長く続き(嘆息)、35才頃に重度のクーラー病、44才で原因不明のめまいを発症、めまいの後に居座った気象病頭痛・・・、それでも・・・、その間に私を最も悩ませたのは、やっぱり「強度の肩こり」だと信じていた「背中が痛い」でした。(涙)
ウルトラマンが地球滞在を許された3分間の終了前に胸のボタンが点滅するように、私のなけなしの体力が尽き果ててくると背中がこわばり疼き始めるのです。
そんなこんなで、仕事のハードワークと体調不良のてんやわんや(嘆息)、長年にわたって私が「しんどいな」と感じない時はなく、常に気力を奮い立たせて仕事をし、体力温存を考えながら生活することが当たり前でした。
そんな「しんどい慣れ」した私は、衝撃の癌告知を受けた46才、自分が【乳癌ステージ4】だと知って以降も、「手遅れ」故に抗がん剤治療や手術という特に体力を奪われる治療から免れたため、仕事を続けてきたのですが、今度は、日中の「眠気」と闘う日々が始まりました。
「壊れた」自律神経も長らく原因不明の「不定愁訴」状態だったのですが、乳がんの転移を調べるために受けたPET/CTの画像が、がんの転移で背骨の上から下まで真っ黒になっており、その上無数に「骨に穴が空いている」ことを知り、謎が「氷解」→「そりゃそーでしょ、これじゃ」と得心はできました。
しかし、会社の拘束時間をフルに働いていない自責の念と、自分を自分でどうしてもコントロールできない歯がゆさと恐怖、そして何より、「寝落ち」しないように常に心の中で大声で「ダメダメー」と叫び続けることに疲れ果てることになりました。
こうして50才となり、今年の1月から休職が4ヶ月が経過した今の時点で振り返ってみても、20代の微熱、30代のクーラー病、40代のめまいよりも、この「寝落ちと闘う日々」が最も精神的に消耗したように思います。(嘆息)
そうして「追い詰められた」気持ち一杯で休職した私ですが、最初は3ヶ月の休職を会社に願い出ました。
しかし「昭和の貧乏性」の私は、その3ヶ月を悶々として過ごすのです。
まぁ、こーゆーのを典型的な「空回り」というのでしょう。(嘆息)
あまりにも恵まれた職場から「逃走」する自分が我がままに思えてならず、自分が許されないことをしているようで、休職をした自分を自己否定して過ごしました。
しかし、ここで「天の配剤」です。(笑)
友人から何気に「復職の提案」をされただけでパニクった私は、盛大に「空回り」をし、鬱々、悶々を経て、自分の心のバランスがおかしくなっていたことに気付くのです。
「誰かに認められたい」という気持ちが異常に強い時は、「自分を見失っている」のだと知りました。
社会人となって28年、「仕事人間」として生きてきた私は、呼吸するように当たり前のこととして「他者から認められる人間でありたい」と思い続けてきたのであり、休職後もその意識で、自分を「評価」し、その評価が芳しくないことに落胆していたのです。
揺らがない「自分がしたいこと」があればいいと気付いた時、憑き物が落ちたように心が楽になりました。
やはり、持つべきものは友ですね。合掌。
さてさて、そして「今」です。
3月で終わる休職を更に6ヶ月延長しました。
春の訪れと足並みを合わせて、私の心もどんどん軽くなりました。
今はもう、休むことを選択した自分に何の葛藤もありません。
今の私がやりたいことは、「休みたい」これに尽きます。
そして5月、久々に「しんどくない」自分に再会していることに気付きました。
背中の痛みも、今のような生活が送れるなら「遠雷」のようなもので、微かな増減を感じて対処できます。
もちろん、少し疲れたら横になって休むことが可能な今の生活だからこそ訪れた「限定的しんどくない生活」ですが、実に22才から50才になって「28年ぶり」に訪れた感覚であり、最初は「なんだろう、これ」と違和感だけがあり、「・・・ああそうか、しんどくないんだ」と気付くまでに1週間くらいかかりました。(笑)
体幹を鍛えるためのバランスボールに座り続けたことで、少しは体幹の筋力がついたのでしょうか。
背中の筋肉を柔らかくするために4月から重点的に肩甲骨周りのストレッチをしたことが良かったのでしょうか。
「にんじん、りんご、レモンジュース」「枇杷の葉こんにゃく温湿布」も絶賛継続中です。
睡眠負債がなくなり、日中の眠気もなくなりました。
それでも日中に眠気に襲われた場合は、・・・寝ています。(笑)
「休んでいる」自分に違和感がなくなりました。
母と叔母の老姉妹を楽しませることができました。
風太と散歩していても時間が気にならなくなりました。
ようやく、心と身体の両方が「リラックス」できるようになったことで、心と身体の両方が柔らかくなった気がします。
このように、これまでどうしても手が届かなかった「穏やかな時間」を手に入れた私は思いました。
「やるなら今だ!!」
背中の疼きがしぶとく残っている時は諦めていた「アレ」です。(笑)
そーです、私の部屋の窓のすぐ前にある、花桃の枯れた枝を伐採することです。(笑)
毎年4月になると見事な花を咲かせてくれていた大きな花桃の木。
根元に天敵「白アリ」がとりついて大きな「洞」ができ、年々弱ってきていたのですが、今年はついに花を咲かせる力もなくなり、大きく茂った枝の半分ほどは枯れてしまっています。
屋根に届くほどに大きな花桃の、枝を落とすには脚立に登る必要があり、背中の痛みに悩まされている私としては、毎日窓から見えるそれを溜息と共に、これまでは諦めていたのです。
折しも絶好の薄曇り、気温も低めのゴールデンウイーク中のある日、私は天からの啓示を受けたのです。
「今日、やるべし!!」と。(笑)
そして私はやりました。
しかし、脚立の上という不安定な足場で手を伸ばし、のこぎりで大きな枝を落とすという「荒業」は、健康であろうとなかろうと、【乳癌ステージ4】であろうとなかろうと、50才の女には腰痛を引き起こしかねない危険性があり、結果として私は、左わき腹に激痛を抱えることになったのです。(爆笑)
左わき腹の痛みが左太ももにまで繋がり、2日間寝込みました。(号泣)
手厚い手すりのあるトイレで本当に良かったと感謝したのは、去年の秋に右足首を腓骨骨折以来、実に半年ぶりでした。(笑)
花桃の枝を落とした当初、大して痛みを感じなかった私は、調子に乗って、夏に向けてグリーンカーテンを作るべく、ちょっとした土木工事を行い、西洋朝顔を植えました。
さらに、これまた以前から設置しようと考えてアレコレお道具を買い揃えていたものの、やはり体力が及ばずに諦めていた畑の「自動水やり装置」のセッティングも「ついでに」やり遂げてしまいました。
これは、母が夏場に10mもあるホースを引きずって菊に水やりをする体力がなくなったための装置です。
去年、無残に立ち枯れてしまった「菊畑」を悲しそうに眺める母と、代わりに水やりをする気のさらさらない娘の無難な解決策として、「お金で解決しよう」と思い立ったもののです。(笑)
これから気温がうなぎ上りになれば、夏が苦手な私の手に負えないと思い「固めて」やってしまいました。(嘆息)
そして、すべてをやり遂げた「達成感」と左わき腹の「激痛」をGETしたのでした。(嘆息)
・・・ほんとうに、人間、何事もない穏やかな日々を過ごすというのは「至難の業」なのだと、思い知った次第です。合掌。
次は
です。
ふるゆらさん、2日間大変な思いしましたね。
回復したとのことで安心しましたよ~
風太さんが一番心配してたのでは。
鎌倉良かったですよー
時間がなかったのでレンタル自転車でまわりましたよ。長谷寺も良かったです。
リフレッシュしてきました。
関東に行くって言われてたのは、鎌倉だったんですね♪
新緑がさぞ美しかったことでしょう。
私は、長い年月を経たものを「神さびる」として美しさを見出す日本人の感性がとても好きなのです。
仏像も創られた当初も美しかったとは思うのですが、いろいろなものが剥がれ落ち、そぎ落とされた今のお姿こそ美しいと思うのです。
ふるゆらさん、左脇腹痛とのこと、大変でしたね。
その後はいかがですか?
庭木の手入れや高いところの片付けは、ちょっと無理な体勢でも、「やっちゃおう」と思うと、その時はやれてしまうんですよね。道具を手にしていればなおさら・・・・。
きっと最後までやり遂げたところで、左脇腹の筋肉が悲鳴をあげたのだと推察します。
どうぞお大事になさって下さいね。
一足早い雨まじりの天気、どうぞゆっくりお過ごし下さい。
たぬさん、ありがとうございます。
発症後2日間は寝込みましたが、その後めきめき回復しました。
左脇腹痛が拡大して左の太腿にまで拡大した時には、ベッドから起き上がるのにも難儀しましたが、回復の糸口は「温めること」でした。
「枇杷の葉こんにゃく温湿布」が救世主となり、今ではほとんど痛みがなくなりましたよ。
喉元過ぎれば、、、次にやりたいことが出来てしまう「昭和」な私です。
調子に乗らないよう、自戒して過ごしています。(笑)
お花のおうちと言われているお母様としては
菊のお花が枯れていくのを見るのはお辛かったでしょうね
いい事をしてあげました
花桃の剪定などは超元気なお父様はしてくださらないのでしょうか
調子がいいとあれこれやってしまうものですよね
しかしやっとここまで来ました
いろいろ手放してきたのでどこもしんどくないという最高峰の
賜物を得ましたね。どこもしんどくないって多分最高の贅沢です
よかった。嬉しいです
人間は浮き沈みですね。私も調子がよかったのにまた鬱がぶり返して
難儀してます。頭では理解し、整理がついていて、これでよしと
思っているのに心がえらい沈みまくっています
日にち薬なので放っておくより仕方ありません
この前も「ああ…もうすぐ誕生日かあ…私もいよいよ還暦か…
60…随分生きたな………(‥ )ン?60?…いや、まだ50にも
なってないでしょ。今度50よ、そう今度で50なのよ!」
と若年性アルツハイマーの初期のようなことを思っていました
怖いです |゚Д゚)))
はい、ゆうこさん、ほんとに最高の贅沢です。
子どもの頃は「疲れる」前に眠くなって、大人になったら「疲れていない」時がなくなって(笑)
人生の岐路に立つ度に、何かを選択して、何かを捨てて。
何かを意識して選びとることは僅かで、無意識に日常の中で取捨選択したことの方が圧倒的に多くて、それで今の自分に辿り着いているのですから、生きるって不思議なことですね。
「しんどいなぁ」と思い続けた時間が長かったから、今の「何もない」ことの穏やかさが身に沁みて有難いのですから、本当に『人間万事塞翁が馬』です。
自分の年齢は、、、50才前後から「分からなくなる」ものです。(笑)
ゆうこさんだけじゃありませんよ。(笑)
風太からの伝言です。
「うつ、うつ、飛んでいけぇ♪」
ありがとう風太ちゃん(T-T)
風太ちゃんに言われたら頑張るしかないね!
「うつ、うつ、飛んでいけ〜」を思い出して
自分を鼓舞して奮い立たせます!
まぁまぁ、ゆうこさんはまだ「卒業式」の最中なんですから、そんなに焦らずゆるゆるしてくださいね。
20年の歳月で作り上げたものを再構築するのですから。
でも、心の中で目に見えないものを形にして取り扱うというのは、案外有効です。
私はお風呂で体を洗いながら、胸にいるはずの「乳がん」が小さな粒子になって宇宙の彼方に飛んでいくイメージをしています。
けっこうコレで、好転したのではないかと思っているんですよ。(笑)