ハウステンボス「九州一 花火大会」珍道中② 「電動車いす」兄参戦 (nya.112)
リアル『坂の上の雲』車いすの兄と博多で合流する (2016年9月)
2016年2月、花火大会が真正面に見えるホテルとして紹介されている『ウォーターマークホテル長崎・ハウステンボス』の予約ができて一安心。
これで、念願の西日本最大級!打上げ総数22000発!約2時間半におよぶハウステンボス「九州一 花火大会」に行く資格を手に入れました。パチパチパチ。
今回の旅行のメンバーは「後期高齢者の母、左半身不随、高次脳機能障害で車いす生活の兄、【乳癌ステージ4】の私、私の友人」という、「珍道中間違いなし」のメンバーとなりました。(笑)
兄に「ハウステンボスの花火大会行きたい?」と聞くと、最初は「遠いし、・・・ダリいな」と乗り気でなかったくせに、周囲から『西日本最大級!打上げ総数22000発!約2時間半におよぶハウステンボス「九州一 花火大会」に行くなんてスゴイ』と周囲にさんざん羨ましがられたらしく、再度尋ねた時には「当ったり前、行くに決まってる」と手のひらを返していました。(笑)
ここで、同行する私の友人が俄然「輝かしい存在」となります。
「本当に、本当に、世の中よく出来ている」と感謝を通り越して呆れてしまうのですが、友人の職業は「福祉関係」なのです。(笑)合掌。
私は「大船に乗ったつもり」で、旅行の計画を練りました。
兄が「普通の車いすは疲れる、電動車いすで行く」というので、まずは、ホテルに予約した部屋へ「電動車いす」が入るかどうか確認しました。
「電動車いす」の長所は、介助者が押す必要がなくて楽なことですが、短所は普通の車いすのように「折りたためない」のです。
兄は杖でも歩けますが、「電動車いす」は、普通の自走式車いす(約13kg)より一回り大きく、そしてはるかに重い(約28kg)のです。(涙)
ホテルの返答は「多分入る、念のため「貸出の車椅子をキープしておく」でした。
次に博多からハウステンボスの特急に、「電動車いす」が乗るかどうか確認です。
新幹線は問題ないのですが、地方の「観光」に特化した電車は、出入り口が狭く、フラットではなくステップになっているものも多いのです。
JR九州の返答は「ノープロブレム」でした。
次にハウステンボス内の移動について「問い合わせ」です。
ヨーロッパの街並みは「情緒たっぷり」の石畳ですが、車いす走行には「天敵」です。
予約した『ウォーターマークホテル長崎・ハウステンボス』行くには、ハウステンボス内を横断する必要があり、距離は1km強あります。
「電動車いす」は押す必要はないとはいえ、ハウステンボス内を循環するバスに乗れたらベストです。
あちらこちらに「大丈夫ですか?本当ですか?大丈夫なんですね。よろしくお願いします」と念を押しまくり、ようやく安心して「旅行行程」を組みました。
ここで、私の兄のことを少し紹介します。
3才年上の兄は彼が38才の時(私は35才)、くも膜下出血で左半身不随になりました。
一命は取り留めたものの、脳梗塞が前頭葉にも及んでいるため「高次脳機能障害」で障害者1級の認定を受けています。
これが人の身体の不思議なところで、前頭葉がダメージを受けていることで「前提条件がつく判断事例(もし〇〇が△△の場合、□□するが、だめなら××する)」が苦手な反面、会話の内容の論理が捻じれるようなことは、まったくないのです。
そのため短時間なら、周囲の人に「半身不随だけど脳に障害を受けなかった人」と思われることがよくあります。
そんな兄は、高次脳機能障害と、左半身不随による左視野の失認があるため、単純作業であっても「仕事」はできないものの、「ど田舎」の実家から離れた「福祉行政の進んだ」街で、ヘルパーさんの力を借りて「完全一人暮らし」をしています。
彼こそリアルに『坂の上の雲』を生きている人で、くも膜下出血で倒れた当初、2度の開頭手術を受け、医者から「左半身不随、車いすから立ち上がることは一生ない」と診断を受け、一時期、家族は彼が「寝たきり」になることを覚悟していたにもかかわらず、今では短時間であれば杖で歩けますし、スーパーの買い物はカゴを持つ必要があるため、右手でカゴを持ち、必然的に「杖なし」で歩くまでに回復しました。パチパチパチ。
兄は「医者の言うことを聞いてたら、治るものも治らんわ」と言い、乙武洋匡さんの『五体不満足』を読んで触発されたようで「自分は病気で倒れる前に散々遊んだから、後悔はない」と言います。(笑)
ダイビングの指導ライセンスを持っていた兄が倒れた時「良くなったら絶対ダイビングに行く」と言うので、車いすの兄を飛行機に乗せてプーケットに行き、特製のダイバースーツを着せて「海に浮かべた」こともありますが(あの時は本当に大変でした。情けは人の為ならず。人類皆兄弟。涙)、ここのところ「旅行」をしていませんので、「連れて行ってあげよう」と妹心で声を掛けたのでした。
まぁ、私は私でここ数年【乳癌ステージ4】なのですから、当たり前ですね。(笑)
さて、旅行の段取りとして、ハウステンボスに行くにはまず、離れて住む兄と「合流」しなくてはなりません。
家族に障碍者を持たれたことのない方は「驚く」と思いますが、この世には「ガイドヘルパーさん」なる有り難い方がおられますし、最寄りの駅まで辿り着けば、駅員さんが「乗車駅、乗り換え、降りる駅」を確認して、連絡を取り合い「バケツリレー式」に車いすの兄を運んでくださるのです。合掌。
このようにして、離れて住む【兄1人】が自力で、博多駅まで来ることは可能ですが、問題は、「兄が時間を守れない」ことです。
くも膜下出血で脳に受けたダメージは「まだら」で、ダメージを受けた箇所に由来する脳の機能が欠落するため、A>B>Cという難易度であっても、A、Bは出来てCは出来ないという場合がよくあります。
兄の場合、時計は読めますが「時系列を感じ取る」ことが苦手で、「〇〇時に△△へ着くためには、□□時には家を出なくては」という逆算が難しいのです。
ただし、「時系列を感じるのが苦手」には功罪があり、この「欠落のお蔭で」兄は、くも膜下出血で倒れて13年経過し、左半身不随の不自由な生活を送りながら、「過ぎていく歳月に絶望」を覚えず暮らしているのです。
私たち家族にとって誠に「有難い欠落」であり、兄の精神が穏やかに落ち着いていることに、どれほど助けられているか分かりません。合掌。
・・・と、いうことで、兄とは博多駅で「合流」しますが、時間が読めない以上、そのまま「電車を乗り換えてハウステンボス行きに乗る」ことは不可能です。
兄には「遅くても夕方には博多に着くようにしてね」とお願いし、私たちは別便で博多入りして「遊びながら」兄を待ち、合流して博多駅前に1泊、翌日ハウステンボスに向かうことにしました。
はい、そーです。またまた、博多の駅前ホテルに「電動車いす」は入りますか?と問い合わせまくって「バリアフリー」の部屋を確保です。(嘆息)
結局、博多の駅前のホテルに一泊した夜は、「おいしいもつ鍋」をいただくことができました。
結果オーライですね。(笑)
(つづく)
次は
ハウステンボス「九州一 花火大会」珍道中③ イルカショーともつ鍋 (nya.113)
です。