石上神宮にお礼参りできました (nya.80)
有難いことに1年無事に過ごせました。 (2015年4月)
去年の4月、奈良の石上神宮にお参りして、「起死回生」のお守りをいただき1年が経ちました。(参照:【乳癌ステージ4】の神頼み 石上神宮は「起死回生」の神社でした。 (nya.42))
昨年お参りした時、あまりにも安堵できたので「可能な限り、年に一度はお参りしてお守りをいただこう」と心に決めた通り、今年もお参りすることが叶いました。
本当に有難いことです。
去年いただいたお守りをお返しし、新しいお守りをいただいてご祈祷を受けました。
去年お参りした私は、【乳癌ステージ4】の衝撃の中にあり、1カ月先、2カ月先、半年先、1年先が全く見通せず、見通せない恐怖に怯えてもいましたし、その分、一瞬一瞬を感謝して過ごしていました。
それから1年、【乳癌ステージ4】であるにもかかわらず、痛みもなく、不快な症状に苦しむこともなく、思いがけず穏やかな日常を生きることを得ました。
そうなると凡人の私は、たちまち日常に流され、一つ一つ立ち止まって感謝することを忘れ、今の日常を「当たり前」のように過ごしています。
しかし、こうして石上神宮にお参りすると、謙虚な気持ちに立ち返ることが出来るのが有難く、もう一度「丁寧に丁寧に生きよう」と思った自分を取り戻すことが出来ます。
来年の4月、同じようにお参りすることが赦される自分でありたいと祈りました。
「天地人」あらゆるものから「恵み」をいただいて、「今」の私があることを忘れるな、と石上神宮の神さまに「喝」を入れていただきました。
私は神社仏閣を訪れることが好きなので、石上神宮に限らず、機会があれば逃さずお参りし、機会がなければ「作ってでも」お参りします。
何が楽しいというのではなく、ただただ「気持ちいい」のです。
私は、毎日車で通勤していますが、いくつかの神社の前を通る時は必ず「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」と心の中で挨拶します。
「無事に行って、無事に帰れますように」とお願いするのです。
私のような田舎に住んでいても、車で通勤していると、時折「交通事故」の現場に行き会います。
私は自分が【乳癌ステージ4】と知り、「癌で死ぬことを前提に」考え、そのための準備もしていますが、必ず「癌で死ねる」とは限らないのです。
突然死も、交通事故死も、普通の人と同じだけ「可能性」があります。
ですから、ありきたりの通勤ですが「無事に行って、無事に帰る」ことができれば、それだけで「勝ったも同然」だと思っています。(笑)
仕事で少々失敗をしようが、人間関係でつまずこうが、事故なく「無事に行って帰れたら」、後のことは「小さい、小さい」と思うのです。
運転は特にそうですが、人生には自分の努力では「どうにもならない」ことがあり、数秒の違いが「天国と地獄を分ける」と思うことが度々あります。
「あと数秒の違いで〇〇するところだった」と思う時の「数秒」は、神さまからいただいているのではないかと、私は思うのです。
「あの時なぜそうしたのか分からないけれど、振り向いていなかったら・・・危なかった」と何度思ったことでしょう。
だから私は、出来るだけ手を合わせ「祈り」「願い」ます。
そして、「数秒」の幸運の積み重ねで、今の自分の幸せがあることを感謝します。
自然の中に身を置くと、シャワーを浴びるように「清々しい」気持ちになりますが、神社仏閣は「清々しい」風が吹き抜けるように感じます。
こちらの体調や心境が少々乱れていても、強制的に「清々しく」してくれる装置のような力強さが神社仏閣にはあります。
いろいろな悩みや願いを抱え、「ご利益」をいただこうと訪れますが、持て余し気味な自分の感情の「淀み」を吹き払い「清々しい気持ちにさせてくれること」そのものが「ご利益」なのだと思います。
その上、私にとって石上神宮は、「勝手ながら」肌守りを通じて、長年苦楽を共にしてきた神さまがおられる所なので、気持ち良さも「ひとしお」です。
しかも、「親孝行」のおまけ付きです。(笑)
実は、去年と同じく、今年も母親を連れてお参りしました。
去年、私が突然「奈良の石上神宮という所へお参りしてきます。」と言った時、母親が「私もついて行って、神さまによくよくお願いします。」と言うので一緒にお参りしたのですが、この1年、実は母親こそ「起死回生」の「九死に一生」を2度も経験したのです。
くも膜下出血で半身不随の息子と【乳癌ステージ4】の娘へのご加護をいただきたい一心で、去年お参りした母親ですが、子供2人に加えて「ちゃっかり」自分自身のお守りもいただいていたのです。
そのお守りのお陰でしょうか、「緑内障の手術回避」と「心室細動を病院で起こす」という幸運な巡り合わせがあり、病気の息子と娘が「小康を得て」いるだけで有難いのに、自分自身にもご加護があったと感謝感激です。
もちろん、石上神宮の神さまのお陰ではなく、ご先祖さまが守ってくださったのかもしれません。
「何かを見通す」力を持たない凡人に分かるはずもないことです。
ただ、いろいろな偶然が重なって「今」を過ごすことを赦されているのですから、いろいろな神さまや仏さまやご先祖さまに感謝すればいいと、「日本人らしく」思っているのです。
石上神宮の神さま、本当にありがとうございました。
次は
です。