伊藤若冲の石峯寺から東寺の弘法市へ (nya.180)

石峯寺(せきほうじ)八重桜満開

石峯寺(せきほうじ)八重桜満開

念願の石峯寺(せきほうじ)、伊藤若冲さんの五百羅漢さまにお会いできました。 (2017年4月)

伏見稲荷大社は稲荷山全体がご神体、すべてを網羅してお参りする体力を持ち合わせない私たち「珍道中トリオ」は、早々に退散し、参道の食堂で「稲荷セット」をいただいて満足かつ満腹しました。(笑)

大体、今回の石上神宮のお礼参りに、友人が参加したのは「このため」です。

石上神宮のあと伏見稲荷大社に立ち寄ることを決めた私は、ふと閃いたのです。

件の友人は、料理上手な「すみればあば」へ『お稲荷さん』をリクエストするくらいお稲荷さん(⇇食べる方)が大好きなのです。

かなり強引な話『お稲荷さん』繋がりで、伏見稲荷大社に行くけど来る?と声をかけると「行く」というので、ご一緒したのです。(笑)

ですから友人の「目的」は、『お稲荷さんでお稲荷さんを食べる』ことであり(笑)、見事、本懐を遂げられたわけです。

稲荷セット

稲荷セット(笑)

まだ、この時点で午前11時頃でしたが、旅の昼食にビールは欠かせませんよね?(笑)

私的には昨日から「ずいぶん」歩いたので、アルコール燃料は必須です。

燃料補給を済ませた足でタクシーを拾い、車で10分ほどの石峯寺に向かいました。

今度の石峯寺は私が伊藤若冲が大好きで、しかも八重桜がちょうど満開だと知り「何が何でも行く」と選びました。

世間的にあまりメジャーなお寺ではないので、ご紹介すると

正徳3年(1713年)、黄檗山大本山萬福寺の第6世千呆性侒(せんがいしょうあん)が開創した。石峯寺は平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた沙羅連山石峰寺に発するという。兵火に遭い、寺は焼亡したが、本尊の薬師如来像は土中から慶長元年(1596年)に発見されたとされ、京都五条橋東あたりの祠に祀られていた。この薬師如来を尊崇する千呆和尚が、正徳3年、いまの深草の地に移したという。その後2度の本堂焼失により現在は釈迦如来になっている。なお寺号の表記は、石峯寺、石峰寺ともに用いる。

寺の境内裏山にある五百羅漢の石像群は、絵師の伊藤若冲が下絵を描き、当寺の住職と協力して制作したもので、「若冲五百羅漢」としていまも親しまれている。

若冲は寛政12年(1800年)9月10日、85歳の生涯を石峰寺門前の自宅で閉じ、同寺に葬られた。 当寺には若冲の墓があり、平成12年(2000年)から毎年9月10日に若冲忌を営んでいる。

2007年5月、石像の地蔵菩薩約30体が倒され、うち5体が損壊していた事件が起こる。

2012年、写真家を名乗る人が連れたグループが撮影会と称し、石像に帽子をかぶせたりロウソクを点けたりして柵内に入ったりしたため、石像保存の観点より現在はスケッチ・写真撮影が全面的に禁止されている。

ウィキペディアから引用https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B3%AF%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

伊藤若冲さんは、ここ数年で「ブーム」となっているのでご存知の方も多いと思いますが、江戸時代の絵師で、動植物をとても緻密な細密画で描いたかと思えば、「脱力系」の作品もあり、私は大好きなのです。

石峯寺に着いてみると、なるほど見事な八重桜です。

石峯寺八重桜

石峯寺八重桜

境内の奥にある「若冲五百羅漢」は、山と竹藪の中間のような場所にあり、ここは撮影NG。

しかし、受付で「注意」を受けた他は、監視する人なし、撮影禁止の看板なしで、「お天道様が見ている」式の良心が試される空間となっていました。

もちろん、私の良心は「丈夫」なので(笑)、デジカメはポケットの奥にしまい、帰りに絵葉書を買うことで折り合いをつけました。

伊藤若冲さんの下絵をもとにした仏さまは、もともと「脱力系」な上に、江戸時代からの風雪でさらに脱力しておられ(笑)、ほんとうに「いい味」を出しておられました。

・・・・・と、言葉を尽くしても伝わらないと思われますので、購入した絵葉書を撮影してみました。(笑)

若冲さんの羅漢さん

若冲さんの羅漢さん

ね?すてきでしょ?

もし、行って見たいと思われる方がおられるなら、一つだけアドバイスがあります。

それは・・・・・「蚊のいない時期を選んでいくことをオススメします。」(笑)

私たち珍道中トリオは、「そのこと」を計算して4月に行ったわけではありませんが、竹藪の多さからいって、「夏がすごいこと」になるのは間違いありません。

けっこうなアップダウンの中に若冲さんの羅漢さんたちはおられるので、汗をかかずにはいられませんから、「1+1=2」です。

賢明な私たちは「八重桜満開、曇天、蚊がいない」という絶妙な時期に行ったのだと、後になって分かりました。(笑)

石峯寺まん丸八重桜

石峯寺まん丸八重桜

さて、残すは東寺の弘法市です。

これは他日「すみればあば」が、お気に入りの食器「片口」を割ってしまい、同じようなものを探しても見つからず、弘法市の「骨董品」ならあるかもしれないと思い立ち寄ることにしました。

東寺の弘法市を説明すると

元々”縁日”とは神仏がこの世と”縁”を持つ日とされており、この日に参詣すると大きな功得があるということです。東寺では祖師空海入寂の3月21日を期して毎月21日に御影堂で行われる御影供のことを指しています。
 当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は毎月行われるようになったそうです。
一方、人々が盛んに参詣に訪れるようになったので、当時『一服一銭』と言われるごく簡素な屋台で茶を商う商人(茶店の前身のようなもの)が出てくるようになり、江戸時代には茶店だけではなく、植木屋や薬屋なども出てくるようになりました。これが現在の「弘法さん」の起源だと言われています。現在では多数の露店が立ち並ぶ縁日となっていて、縁日を目的とする人も少なくなくなっています。
境内のすぐ横まで広がる露店は常時およそ1200~1300店ほどで、毎月約20万人ほどの人が訪れています。
その内容も様々で、骨董・古着・がらくたなどが売られていますが、フリーマーケットなどと違う点は「みんな一般の人」ではなく「業者さん」が出店しているところでしょう。ほとんどの方が別の場所でお店を構えていて、弘法さんの日には露店を出している、といった感じです。

http://www.touji-ennichi.com/ichi/kobichi.htm

石上神宮にお礼参りをするのは4月と決めていますが、「4月のいつにしようか」と思った時、「弘法市(=弘法さんに寄るなら【21日】でしょう」とすんなり決まりました。

東寺五重塔

東寺五重塔

石峯寺から再びタクシーで東寺へ。

それはそれはものすごい人出でした。(嘆息)

午前中に別れを告げた伏見稲荷大社の参拝客がそのまま東寺に移動したのではないかと思うくらいの「外国人観光客」比率でした。(笑)

でも、いつだって「縁日をひやかす」のは心躍ります。

無事「すみればあば」のお眼鏡にかなった「片口」も見つかり、曇天から晴れ間が覗いて暑くなったので「かき氷」をいただきました。

そしてフィナーレは、「すみればあば」が御朱印をいただくために食堂に向かい、ご本尊の十一面観音菩薩に合掌しました。

旅の最後に、それはそれは美しい仏様のお姿を拝見できて、心満たされました。

神道の抱えるご神域の清涼な空気も大好きですが、仏教もまた血肉として分かち難く心の深いところに根差していて、私という人間は「神道と仏教」が心の両輪としてあって、どちらかを選ぶことは出来ないんだと、つくづく「日本的な」自分を再発見しました。

神さま、仏さま、【乳癌ステージ4】の身でありながら、このような旅ができる時間を与えていただき本当にありがとうございます。

私は今、こうして生きることを本当に楽しんでいます。

「ビバ、日本」と思いながら、風太の待つ家路に着きました。(おしまい)

ねこ、風太 笑う

遅せえのお、どこまで行っとるんかな、アイツラ。

次は

です。

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