まいにち風太、まいにち田舎 (nya.1414)

ねこ、風太 寝ぼけ

〈風太のごあいさつ〉このブログは、ラブリーなわしの写真と、季節の田舎の写真です。(写真見て「ホッ」としてくれたら、わし、嬉しいぞ♡)「にゅうがん」のことなら、最初は“にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活” ブログについてから読んでください。ほんなら、またお会いしましょう。

ねこ、風太 ゴロゴロ
今日も雨じゃ。
ねこ、風太 ゴロゴロ
・・・・・・
ねこ、風太 ゴロゴロ
・・・退屈(嘆息)

・・・と言われてもね(笑)

 

そして、今日の田舎は、

雨と南天
雨と南天
雨とハナミズキ
雨とハナミズキ
雨とナツハゼ(夏黄櫨)
雨とナツハゼ(夏黄櫨)

紅葉というより水切れで葉を枯らしていた草木が、ほぉぉと溜め息をついているのが聞こえるようです。

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まいにち風太、まいにち田舎 (nya.1414)” に対して 2 件のコメントがあります

  1. 裕子 より:

    おはようございます
    私はこの2年半毎日毎日がん細胞について考えてきました
    でもこれは一体何の意味と意図があるのかさっぱり分かりませんでした
    先日森羅万象万物の聲、のリーディングをしていて分かりました
    がん細胞の要求しているもの、それは愛なんだと。
    がん細胞に
    「あなたに対して愛なんて感じたことなかった
     むしろ嫌だな 嫌いだな 死んでくれないかなと思っていた
     迷惑で 憎く思っていた
     全然好きになれなかった
     ごめんね
     あなたは本来そんな攻撃的なんじゃないよね
     優しくて愛たっぷりなんだよね
     もうこれからはあなたを毛嫌いしたりしないよ
     優しくするよ
     愛しているよ
     大切に思うよ
     あなたが私の体を攻撃してたとえ命を奪ってもそれでも私はあなたを愛することを
     止めないよ
     ただ無条件に全く他の細胞と同じように愛するよ」
    と思ってほしいのです
    それは自分を殺した殺人犯を愛するが如く困難を極めることです
    だから誰もしないし出来ないのでしょう
    でもふるゆらさんなら出来るはずです
    ご飯をおあずけにするホルモン療法や
    悪い子には罰を与えますがいい子には優しくします、という分子標的薬や
    全体責任で全員を懲らしめます、という抗がん剤
    焼き殺す放射線など、どれも一時はしゅんとなるけれど
    しばらくすると よくもこんな仕打ちをしたなとばかりに報復に出るようです
    万物に魂、心があるのならがん細胞にも必ず心 魂 意志があるはずで
    だとすると愛を求めているはずなのに違いありません
    愛するからおとなしくしててね、共存していこうね だと取り引きになってしまい
    がん細胞は本当に愛されているのではない、と見抜いてしまうでしょう
    あなたを徹底的に愛している たとえあなたが私の命を奪おうとも、と
    思うことが肝心なのでしょう
    とても難しいことを求められていますね
    でもやってみる価値があるように思います
    愛するとは飛び込む勇気です
    がん細胞の懐に飛び込む勇気です
    がん細胞を愛することにした!と決断することです
    そしたらその気持ちはすぐにがん細胞に伝わって暖かい気持ちになってしまい
    攻撃する理由を失いおとなしくなり増殖スピードが落ち 細胞分裂が緩慢になり
    アポトーシス(自滅行動)を始めるように思います
    よろしかったら参考になさってみて下さい

     

    1. ふるゆら より:

      裕子さん、リーディングとアドバイスありがとうございます。

      「アドバイスに従って愛と勇気を保ち、がんの完治を目指します」ときっぱり言える私なら良かったのですが、そうは出来ないだろう自分がいて、読後、少し悲しい気持ちになりました。

      がんという病気は、これほど多くの人が罹患する病でありながら、未だ正解の治療が確立されていない不思議な病気です。

      ですから自分ががんと知り、どのようにしたらいいのかを各人が暗中模索することが多い病気でもあります。

      ともあれ「がんに効く」とされているものを情報収集するのですが、多種多様な「正しさ」が並立するばかりで、結局のところその中のどの「正しさ」を選択するかは自分次第なのだと知り、途方に暮れます。

      裕子さんがアドバイスしてくださった内容に近いことを提唱されている方がおられ、その方法でがんを克服されているという報告を以前にも目にしたことがあります。

      その時も、やはり今と同じような悲しい気持ちになったことを覚えています。

      「これは、、、キツイなぁ、、、」と溜め息をつきました。

      「自分を深く愛し、がんを受け入れる勇気を持つことで解決するのに、なぜ、それが出来ないの?」と、自分という人間の小ささを責められているように感じたのです。

      裕子さんのアドバイスに、がん患者を責める気持ちが微塵もないことが分かっています。

      ただ、アドバイスに従って生きることができる人もいるし、できない自分を悲しく思う人もいるというだけのことです。

      望んでこの病気になった訳ではないと切なく思いながら、厳しい現実と向き合っている時、「つまるところ、自分の心の有り様が問われている」と、更に高いハードルを飛ぶことを求められているように感じるからです。

      裕子さんがくださったアドバイスを否定するものではなく、「正解」に近いのではないかと私は思っています。

      そのように出来たなら解決することも多いのだろうと感じています。

      100メートルを10秒で走れと、無理難題を言われているのではなく、毎日少しずつトレーニングをして、100メートルを15秒で走れるようになれば、いろんなことが好転しますよと、言われているのです。

      このハードルが難しいと感じず、「そうか、そうすればいいんだ」と鍛錬をしクリアする方も多くおられるでしょう。

      でも、世の中には、努力しても15秒に届かない人や、努力することが難しい状況にある人や、私のように毎日のトレーニングが嫌い、しない人や、そもそも走る気のない人もいて、多種多様、皆が皆「正しさ」を求める必要はないのです。

      各人が各人の道を歩み、その道程を楽しみ愛おしく思えるのなら、それを不正解と言うことは誰にもできません。

      私のブログは、がん患者の方も多く読まれていますので、裕子さんのアドバイスを読んで、ヒントを得られる方もおられるでしょう。

      ただ、私は、アドバイスに従わない、従う気のない人たちも含めて、生きるって素晴らしく懐が深いところが気に入っています。

      「ふるゆらさんならできます」と仰っていただいたことを光栄に思いますが、そのように出来ない私をお許しください。

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