初心に帰って、感謝して、7回目の立春です。(nya.1209)

早春の山

立春の景色が「新しい私」の原点回帰スイッチです。 (2020年2月21日)

2014年3月に乳がんの浸潤性小葉癌ステージ4と告知された私ですが、それは検査の結果であり、実際に自分ががんなんだと知って、頭の中がホワイトアウトしたのは、立春が過ぎて間もない2月中旬の頃でした。

自分がこの世から退場する日が迫っていると知って、辺りを見回した時、目に飛び込んで来たのは、「早春」とは名ばかりの、未だ芽吹きの気配もない冬の山でした。

全ての葉が落葉して、梢のモカベージュがもこもこと続いて山を覆い、所々、常緑樹のダークグリーンが点在している、暖かな地方の穏やかな冬を象徴する風景です。

早春の山

自分の人生が急変することについて、そりゃあもう、いろいろいろいろ考えましたが、一番大きく心を占めたのは「数か月先の自分がどうなっているのか予想が付かない」ことの頼りなさでした。

人というものは近未来を考える時、大抵、自分が生きていること前提、今が続くこと前提で、様々な物事を組み立てて考えるものです。

前提がなくなると、、、思考はフリーズするのだとその時知りました。

早春の山

そして、その時の心の中の独り言が、結局一番深く心に刻まれました。

「この木々が一斉に芽吹きの時を迎える頃、全ての山が新緑の緑に包まれる頃、麦秋を越え、田んぼに水が張られて鏡のように空を写す頃、私はどうなっているんだろう」

「私はあと何回、四季の移ろいを見ることが出来るのだろう」

早春の山

決して上出来だとは言えないけれど、今、足を置いている地面に次の足を踏み出すことを繰り返せば、遅々とした歩みではあるけれど、今日と明日が繋がって、そうして日々が過ぎていくのだと思っていたのに、突然、次に出す足が右足なのか左足なのか分からなくなる感覚。

一瞬前まで確かにあった、上下、前後、左右という物差しを突然奪われた恐怖は強烈です。

立ち竦む私の目に飛び込んで来た「早春の山」の風景、これが私の「原風景」になりました。

早春の山

しばらく呆然と立ち竦んだ私ですが、でも、すぐに気付きました。

結局、自分の手のひらにあるのは、「今」であり「今日」だけなんだ、と。

しかもそれは、自分が乳がんになったからそうなったのではなく、乳がんであろうとなかろうと、人が生きるということは「そういうもの」なんだということが腑に落ちた時、私のホワイトアウトの嵐は終わりました。

早春の山

そうして「今」を繋いで、なんとまぁ、2014年の立春から数えて7回目の「早春の山」を眺めている自分がいます。

感想は、、、「こんなに何回も見えるとは思わなかった」です。(笑)

2014年の早春の山を見ながら、心底「一回だけでは殺生です。あと何回かは見させてください」「美しく四季が巡る様を堪能して、この世を卒業したいです。」と願った私の祈りが、聞き届けられていることの奇跡に感謝感謝です。

早春の山

毎年立春が過ぎて早春の山を見るたびに、2014年の「原風景」と比べます。

今年の方が「冬」って感じだなぁとか、今年の早春の山は緑が多い気がするなぁとか思いながら、それを見る私の心はどうだ?と点検します。

いつの間にか、「生きることが当たり前」になって感謝を忘れていないか?

自分の手のひらの上には「今」しかないのに、先々のことを思い煩って「今」を疎かにしていないか?

早春の山

今の世の中は西暦の1月1日から新年が始まりますが、旧暦の正月で考えれば、年が明けたらすぐに節分があり立春となって、新年は立春と同時に始まるのです。

病を知った「新しい私」が、立春を迎えるたびに原点回帰をするのは、時宜にかなったとても良いことのように思えます。

早春の山を眺めながら、「新緑も紅葉も見られるだろう」と厚かましく考えている私ですが、「今」「今日」を疎かにしないことと、胸に刻みました。

(おしまい)

早春の山

次は

まいにち風太、まいにち田舎 (nya.1210)

です。

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初心に帰って、感謝して、7回目の立春です。(nya.1209)” に対して 10 件のコメントがあります

  1. 弥生の空 より:

    ふるゆらさんが7回目の立春を迎えられたこと、私も自分のことのように嬉しいです^^
    何事もなく穏やかな日々がこのまま続くといいですね。
    ふるゆらさんのブログを訪れる度に、私もいっしょに四季を感じながら散歩している気分になります。
    そしてリアル散歩に出たとき、美しい自然の姿を見つけると一人ニヤニヤしてしまいます。
    こんな豊かな時間を過ごせて幸せだな、お二人にも私の見つけたお宝をお見せしたいなと思うのです。
    手術後は、ホルモン剤の副作用に多少悩まされながらも、自分が癌患者であるということを忘れるくらい
    癌告知前より健やかに過ごせています。今月末からは放射線治療がプラスされるのでどうなることやらですが。
    4月に6才になる犬と暮らしているのですが、いっしょに寝そべったりラブラブしているとふとした時に
    「あぁ後何年こうした幸せな時間を一緒に過ごせるのだろう?」「君と私、どっちが長生きするんだろう?」と
    転移の心配をしている私がいることに気づきます。
    そのたびに初心に戻って、自分を大切にできているか、今をきちんと意識して生きているかと自問し、
    おかげ様でと手を合わせて感謝します。
    サバイバーになるためには「絶対このために生きる!」という明確な目的がないとダメだと言われますが、
    今の私にはそれがありません。平凡で穏やかな日々を過ごせればそれだけで御の字だと思っています。
    高校生子供がいますが、成人するまで生きていたいとか、孫の顔が見たいとかそういうのもない。。
    なぜなんだろう?夫や子供が健やかに過ごせるようにせっせと世話を焼いていますがそれが原因なのか。
    まあ物事、なるようにしかならないので、運に身を任せてこれからも力を抜いて生きて行こうと思います。笑

    ふるゆらさんの撮る写真、本当にどれもキラキラ輝いていて素敵で大好きです。
    それからふるゆらさんの綴る言葉も大好きです。
    これからもよろしくお願いしますね。更新楽しみにしています。

    1. ふるゆら より:

      ありがとうございます、弥生の空さん。

      弥生の空さんも、手術後穏やかで豊かな時を過ごされているご様子が嬉しいです。

      『サバイバーになるためには「絶対このために生きる!」という明確な目的がないとダメだと言われます』そーなんですか(驚)

      私にもそんなもの、さらさらありませんよ。(笑)

      私が知っているのは、サバイバーになる人の共通項として「楽天的」「がんを気にせず暮らす」です。

      これなら「当てはまっているぅ~♪」と喜んでいるのですが、、、。(笑)

      ともあれ、ペットという名の「相方」が傍にいることは、物心両面で温かいです。

      何がこんなに癒されるのかと思うのですが、結局、「愛する気持ちを垂れ流しても嫌がられない」存在なんじゃないかと思うのです。

      人相手では、やはりどこかで抑制が働きますが、「相方」にはあられもなく「好き♡好き」と愛情を浴びせかけて許されるので「愛する自由度」が高いのです。

      お互いに、どちらが先にこの世を卒業するか分からないという点で、完全に対等なのもいいですよね。(笑)

      春爛漫まであと少しです。くれぐれもご自愛ください。

  2. ゆうこ より:

    毎日 美しい木や山 空 雲 かわいい風太ちゃんや
    面白いこと 楽しいこと 気が楽になること 心強く感じる
    ことなど発信してくださりありがとうございます
    毎日淡々と一日も休まず発信して下さることは
    神様が毎日一日も欠かさず地球や宇宙を運営させて
    くれているのとよく似ていますね
    7年目を迎えられたということはこの7年間のさまざまな
    出来事を沢山の人にシェアしてくださり それがとても
    意義深く 人々の為になっているということですね
    これからも運命が任期満了と言わない限りは ふるゆらさんは
    このブログを続けていって下さるのでしょう
    不定期になることをおっしゃっていたにもかかわらず
    毎回以前と変わらず何かしらお話を届けて下さっていることも
    何か不思議に感じます
    ふるゆらさん自身にもどうにもならない何か大きな意思や力が
    働いているのかもしれませんね
    とりたてて何ということもない地味で平凡な風景や言葉が
    何物にも代えがたいほど貴重なきらめきと心の落ち着きや
    静かな安心感をもたらしてくれます
    そんなことを思った早春の宵でした

    1. ふるゆら より:

      はい、ほんとうに、『 何ももたぬという人でも、天地のめぐみをいただいている』のです。

      止まない雨はない

      明けない夜はない

      冬来たりなば春遠からじ

      No Rain、 No Rainbow

      自然の、決して覆されることのない「優しい約束」があるから、私たちは安心して嘆き悲しみながら、笑いさざめきながら、鼻歌を歌いながら生きていけるのです。

      一瞬も途切れることなく、圧倒的な力で流れていく時の中を生きることは、時に救いであり、時にそのあまりの容赦なさが非情に思えることもありますが、鮮明な四季の移ろいを持つこの島国に生まれ落ちたことの幸運で、ある程度相殺されるのではないかと、立春が巡る度に思うのです。

      1. ゆうこ より:

        偶然にも
        2020年2月22日22時02分にお返事をいただき
        嬉しいです❤
        次は2022年2月22日22時22分22秒にコメント
        しますね {小学生?
        その次の2202年2月22日にはどこでどんな風に
        存在してるのか分かりませんがやっぱり
        ふるゆらさんから発信される何かを読んで
        いる私でいたいです(´˘`*)

        1. ふるゆら より:

          おっと、ゆうこさんのご指摘を確認しましたが、ほんとにぞろ目でしたね。(笑)

          私はもう、驚くことを止めて久しいのですが、何気に時刻を確認すると、高確率で「ぞろ目」の人なんです。

          1313とか1234とかを含むのですが、たまに外れると1分前だったり1分後だったり、、、。

          不思議なもので、そうなると何だかしくじったような感じがするんですよね。(嘆息)

          こんなことで本来受け取るべき小っちゃい幸運を浪費しているのではないかと、少し心配になります。(笑)

  3. トモロー より:

    こんにちは。
    私もあらためて胸に刻みます。
    あのときは、色々なことに感謝の気持ちをもてたのに、いつのまにか不平不満も…自分に呆れます~
    私も心の点検しながら、沢山笑って過ごしたいです。
    先日2年半近く胸にはいっていたポート抜去してきました。春には4年生に進級です。
    タモさんはまだまだ長い付き合いになりますがリュープリンは前回でひとまず終了となりました。

    ふるゆらさんと風太さんにはあの頃から癒してもらって本当に感謝してます。
    ありがとうございます

    1. ふるゆら より:

      そうですか、トモローさんも「一区切り」があったのですね。

      おめでとうございます、大変よく頑張られました。パチパチパチ。

      生きる中で、人生の岐路だと思う瞬間は僅かな時間で、残りは圧倒的に「日常」で埋め尽くされています。

      あれほど鮮烈に刻まれた想いが、「日常」によって希釈されてしまうことに驚きます。

      だから、時折り人は立ち止まることが大切なんだと思うのです。

      四季のある国に生まれて良かったなぁと、思います。

  4. sizu より:

    ・・・

    私の場合、決して不幸ではないのですが、

    人って、こうとるのだ(考え方)とか、こんな事が起こるのかとか、また周りの人が亡くなるという事に

    出くわしたりしている間に、元々は涙もろかった私が、涙が出なくなった⁇ ということが起こり

    私って..?自分で..?でしたが、

    久しぶりに、このブログで、

    そうでしょうね…と、

    美しい!! ホロリでした(笑)。

    1. ふるゆら より:

      人は、、、私のような凡人は、長く一つの想いを保ち続けることは難しいのだと痛感する次第です。(笑)

      以前にも言いましたでしょうか、アラフィフの私は、これまで「たった2回」魂が震えるほど美しいと思う青空と出会っています。

      でも、当たり前のことなんですが、そんな筈はないのです。

      「たった2回」なのは、私の心がそれを受け取る準備をしていないだけなのです。

      そんなことを思う、早春の山でした。

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