神無月に想うアレコレ(nya.1461)

神無月の田舎
神無月の田舎

人の暮らしには「旧暦」が合ってるような気がします。 (2020年10月30日)

自分自身が「10月生まれ」ということもあり、10月は、私にとってアレコレと物思う月です。

まずは、自分がこの世に誕生した月が、とても美しい月であることが嬉しくなります。

青い空は澄み、白い雲は薄くなって空に模様を描きます。

大地は、あるものは夏の間に蓄えていたパワーを果実に結実し、あるものは柔らかくなった日差しにうながされて花を咲かせ、あるものは役割を終えた葉を黄葉させ紅葉させ落葉し、それらが混然一体となって豊かな色彩を身に纏います。

そんな天地を眺めながら、私がこの世で初めて目にした風景はどんなだったのだろうと想像するだけで楽しくなります。

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人は誰もが生病老死の過程にあり、年を重ねることを「老」として悲しむ向きもありますが、様々な偶然が折り重なって、自分をココまで運んできたことを思えば、その歳月が長ければ長いほどそれは「奇跡」なのだとしみじみ感じるので、私にとって年を重ねることはやはり、「祝福」なのだと思います。

特に、2014年の3月に、自分が乳がんステージ4の末期がん患者であることを知って以来、季節が巡る様をこの目で見て愛でられている幸せを感謝せずにはいられません。

「おおお、またもう1回、穂あかりの風景を見ることができたよ」と思えば、自分が53才を想定外の「肥満体」で迎え、もはや「アラフィフ」と名乗ることも憚られる年齢に達したことも、一向に気にならないほどです。(笑)

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私の住む田舎の10月の始まりは、金木犀の甘い香りがどこにいても漂い、黄金色に実った稲穂の「穂あかり」が大地を覆って輝きます。

中頃になると、稲の刈り入れが始まり、裁断された稲わらの青臭い香りが風に吹かれて鼻腔をくすぐり、大地を覆っていた黄色く暖かい色彩が減って行くことに一抹の寂しさを感じます。

11月が近付くと朝方の冷え込みで、収穫で黄色とベージュのパッチワークのようになった田んぼを霧が覆うようになり、柔らかな霧が一仕事を終えた田んぼを慰労しているように感じ、人は自然と、今年も豊かな実りを与えてくれた大地に手を合わせて感謝します。

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世界が一変した今年は特に、大きくうねり、変化していく世界と同時並行して、「変わらない自然の営みと人の暮らし」があることに、大いに慰められました。

「何もかもが変わる」「何もかもが変わってしまった」と、言い切る風潮の中、「いいえ、それは一部のことであって、大いなる自然の営みは変わっていませんから」と体感して信じられる田舎者は幸せだなぁとも思いました。

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そんな「10月」ですが、今年2020年は、満月が2度あります。

1回目は10月1日の中秋の名月、2回目は明日10月31日のブルームーンです。

「中秋の名月」は、大抵9月にあるものですが今年は10月1日、、、何故かというと「中秋」とは旧暦の場合の秋は、7月(文月)8月(葉月)9月(長月)なので、その真ん中の「8月」の更に真ん中で満月を迎える8月15日が「中秋」だからです。

で、その旧暦の8月15日が今年の太陽暦に直すと10月1日という訳なのですが、、、8月は猛暑と刷り込みされている現代人としては「ズレすぎてないか?」というのが正直な感覚ですよね。(笑)

ただし、8月の「和風月名」である「葉月」が、木々が青々と茂っているという意味ではなく【木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月(はおちづき)」「葉月(はづき)」が由来。旧暦の8月は秋分を含む月でもあるhttps://www.5ka9.com/2013/12/month.html。】と知ってしまえば、違和感が消えます。

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そして2回目の10月31日の満月は、旧暦で言うと9月15日であり、こっちの方が「中秋の名月」っぽいと思ってしまうのですが(笑)、この満月がやがて欠けて新月になる時、旧暦の10月(太陽暦11月15日)を迎え、「10月=神無月」は冬の始まりの月です。

1カ月の間に2度の満月がある2回目の満月を「ブルームーン」ということについては諸説あるのですが、「青い月」が滅多に見られないものであるように、1ヶ月に2度の満月があることも珍しく、「稀なもの」という意味で、願い事を引寄せ、幸せを招くをされているようです。

今回のブルームーンは2年ぶり、次回のブルームーンは2023年8月31日というのですから、確かに「稀なもの」に間違いありません。

特に今年の10月31日のブルームーンは、ハロウィンと満月と大安が重なるようで、スピリチュアル界では大変パワーのある日だと騒がれています。(笑)

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さてさて、いつもながら大きく脱線してしまいましたが(笑)、私は学校で「10月は神無月」と聞いて以来、ずっと釈然としないものを感じていたのです。

何故ならば、太陽暦の10月は正に豊穣の月、民百姓が収穫を喜びながらせっせと働いて、神さまに感謝して手を合わせている時に、神さまが一斉に出雲に行ってお留守ってアリ?と思ってしまうからです。

でも、旧暦に置き換えて考えてみれば「10月=神無月」は冬、収穫も無事に終えて倉に納め、やれやれと安堵する民百姓を見届けた後に、神さまは出雲に向かわれる訳で、これなら納得です。

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太陽暦は現代社会には確かに便利ですが、お月さまの満ち欠けで時が流れていく旧暦の方が、自然や人の変わらない営みに寄り添っているように思います。

、、、もう10年以上、自室のPCの脇に置く卓上カレンダーは、旧暦と24節気、月の満ち欠けが分かるものを選んで買っています。

ここ数年は、初夏に「潮干狩り」に出掛けるようになったので、潮の満ち引きも加わりました。(笑)

ふと季節の変わり目に気付いた時、ふと見上げた夜空にお月様を見かけた時、カレンダーではなく「暦」を見てみると、「ああ、なるほど、10月23日が霜降で11月7日が立冬なんだからこれくらい寒くなるよね」と妙に心落ち着きます。

もうそろそろ、来年のカレンダーを探す方も多いと思うのですが、その際、忙しく雑多な日常の日々の中で「変わらないもの」にふと思いを馳せるのも一興かと思い、「旧暦カレンダー」をおススメする次第です。合掌。

(おしまい)

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