「ちいさなバトン」確かに受け取りました。(nya.244)

菖蒲畑

 

「ちいさなちいさなバトン」私にも届きましたよ。 (2017年6月30日)

先週の金曜日、小林麻央さんの訃報を聞きました。

美しく、聡明で、明るく、才能豊かな若い女性が、幼い子ども2人と、愛する伴侶を残してこの世を去りました。

彼女は乳がんを患い、死の直前までブログで自分の考えや感性を発信し、多くの人の心に様々なことを伝えることを信念を持ってやり遂げられた立派な方でした。

心より敬服の念を送るとともに、ご冥福をお祈りします。

菖蒲畑

私は彼女のブログの読者ではなく、詳しく存じ上げているわけでもありませんが、彼女のブログは大きな関心と大きな影響力を持ち、テレビやインターネットニュースを通じて漏れ聞こえてくるものだけでも、十分に彼女の病状の経過が伝わってきました。

それらは同じ時期に【乳癌ステージ4】を経験する者として、いろいろなことを考えさせられるものでした。

そして彼女の訃報を聞き、その後は様々な方が彼女とその家族について一斉に「語る」一週間でした。

彼女が若くして愛する家族に「思いを残して」この世を去ったことも、その点で彼女の死が「痛ましい」ものであることも確かですが、私は、彼女がBBCに寄せた言葉で彼女の人となりが分かったように思い、100%共感します。

人の死は、病気であるかにかかわらず、

いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

「可哀想」と思われることを拒否する矜持を持ち、「色どり豊かな人生」であると自分の生きてきた道を肯定できることは、幸せです。

自分の人生について「そう」思えることが、何より大切だと私も思います。

そして彼女は、自分がそのように考える人間であることを多くの人に知らせることで、残された家族を自分の死後も守るのだと決めて、ブログを書き続けられたのだと感じました。

長い時が経過し、彼女のブログをご家族が読み返した時、特にお子様が成長された時、必ず「誇りに思い」慰められ、励まされることでしょう。

ハリーポッターのお母さんが、死後も「愛」でハリーポッターを守り続けるように、彼女のブログもまた、お子様の心の成長を慈しみ、そのためにも、いいことだけでなく「喜怒哀楽」を率直に書かれたのだと思います。

菖蒲畑

私自身も、生病老死が人の通る道である以上、その中の「死」だけを特別の悲劇のように捉えることに違和感を覚えます。

長寿を保ち、天寿を全うすることは素晴らしいことですが、人が「選ぶ」ことの出来ない領域です。

幼子が亡くなることは、例外なく痛ましく心が張り裂けるものですが、ある程度自分の意思を持って生きる時間を得た者には、「この世を卒業する」までに、どのように生きたか大切なのであって、この世で過ごした時間の長短によって「幸不幸」が決まるのではないと思うのです。

歴史上の人物の享年を知り、短い生涯で後世にまで名を残していることに驚くように。

私は「ザ・凡人」ですので、これまでの生きてきた時間を振り返って「完璧」と思えることは皆無ですが、欠点の多い人間なりに、失敗を重ねながらも「まぁ、まぁ、よく頑張った」と納得しています。

私よりも数段出来のいい人が私の人生を見たら、目を背けたくなるほど不出来な人生なのだろうと思いますが、私的には失敗や後悔も含めて、死に際して「ああ、なかなか面白かった」と思って目を瞑ることができたなら「上出来」だと思っています。

小林麻央さんのブログの影響力の大きさの前では、私のブログは「アリンコ」以下ですが、それでもブログを通じて伝えたいことは、

『【乳癌ステージ4】になって不運だけれど、不幸ではないんですよ。小さな幸せを重ねて生きています。』

『人生は有限だと、一足早く知ることになったので、このことに気付いていない人にぜひ知って欲しいんです。後から後悔することのないように、丁寧に丁寧に生きてくださいね。』

ということに尽きるのです。

人生に「正解」がないように、癌の治療についても「正解」はありません。

癌の性質も癌の進行も、一人一人異なるうえに治療方法の組み合わせも無限にあります。

西洋医学、先進医療、東洋医学、民間療法、無治療、食生活、信仰・・・・・。

それ以前に、治療の何を取捨選択するかは、その人の置かれた環境に左右されますし、人との出会いが分岐点になりますし、何よりその人の「生きる上で大切に思うこと」という人生哲学の優先順位が大きく影響します。

私は、そのことを分かった上で『このような状況で、こんな風な選択を重ねて生きた人間がここにいますよ。参考になりますか?』と思い、ブログを書くことを選んだのです。

菖蒲畑

小林麻央さんの訃報の直後から、私のブログのアクセス数が倍増しました。

乳がん患者であること以外なんの共通項も持ち合わさず、「月とスッポン」以上の隔たりのある私の能天気なブログ。

どんどん増えていくアクセス数を見ながら「ちゃんと伝わっているだろうか」と心配になりました。

たぶんアクセス数の倍増は一過性のもので、「健康に不安を持たない人」や「大切な人が闘病した経験のない人」は、切実ではないため、しばらくすると忙しい日常に紛れていくのではないかと思います。

それが当たり前です。

でも、私は彼女から「ちいさなちいさなバトン」を渡されたように感じました。

同じ病に生きる者として、人生は有限だと、一足早く知ることになった者として、

『後から後悔することのないように、ささやかな幸せを重ねて、丁寧に丁寧に生きてくださいね。私もそうして赦された時間を生きていこうと思います。』

と「できるだけ長く」伝え続けようと改めて思いました。

切実に生と死を感じている人の気晴らしになるように。

今は「切実」ではない人が、心の隅の方に仕舞いこんで、必要な時に取り出してもらえるように。

 

小林麻央さん、私は貴女のような大きなバトンを持つことは適いませんから、「ちいさなちいさなバトン」ですが、確かに受け取りました。

私もまた、必ずこのバトンを誰かに手渡します。

貴女のような「厳しい乳がん」もあり、私のような「のんびり乳がん(今のところですが)」もあることを、多くの方に知ってもらうことにも意味があると信じて、私は私の道をゆるゆると、笑いながら歩き、私の目を通して見える「ささやかな幸せ」を伝え続けます。合掌。

貴女の「バトン」は、様々な形で多くの人に手渡されていますよ。

トンボ

 

追伸、小林麻央さんの訃報が報道された6月23日、私のブログはよりにもよって【「すみればあばのふるさと便 田舎の食卓」 お好み焼き (nya.237)】でした。(嘆息)

私のブログリピーターの方は「お?お好み焼きかぁ、旨そうな。」と普通に受け止め、今さら驚くこともなかったと思うのですが、彼女の訃報を聞き、他の【乳癌ステージ4】方はどうなんだろうと思い、私のブログがヒットして、初めて私のブログを開いてみたら「お好み焼きのドアップ写真」に出会われた方は、・・・さぞやのけ反られたことでしょう。(笑)

「え、間違った?」と思いその他の日を開くと、来る日も来る日も「猫と田舎の写真のみ」、・・・さらに困惑されたと思うのです。(笑)

その時「詐欺じゃね?」と思われた方は、たぶん今日のこのブログを読まれないと思うのですが、念のため、遅ればせながらお詫びいたします。

真面目に乳癌のことを書いている「部分もある」ので、読んでやってください。合掌。

 

次は

です。

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「ちいさなバトン」確かに受け取りました。(nya.244)” に対して4件のコメントがあります。

  1. ココア より:

    ふるゆらさん
    こんばんわ。今回も染み入る文面で考えさせられました。
    私は不特定多数な人に発信するブログを読むことにも慣れていない年齢ですので的外れな感想かもしれませんが、
    定期的に受けていた検査で乳がんが発覚したのがちょうど小林麻央さんが乳がんと判明したのと同時期だったので気になる存在でした。
    老若の違いこそありますが、どうして?〜?と、あまりの速さにどれほど無念だっただろうと涙します。

    浸潤性乳管がんと非浸潤性小葉がん同時に発症した経緯でふるゆらさんのブログを愛読させていただいていますが毎回楽しみにしています。写真も素晴らしいです。
    病を背負いながら真面目に毎日の生き様を送っている姿に触れたくて応援しています。

    ちょっとしつこいですが、好きな言葉は、「ちゃんと、きちんと、丁寧に!」です。
    若い頃から何度も言われ続けた言葉ですが、人生いつまでも学びと遊びが必要かもしれませんね。

    1. ふるゆら より:

      「ココア」さん、本当ですね、私も小林麻央さんの乳がんの進行の早さとその勢いに驚きました。

      同じ【乳癌ステージ4】の人間として、自分の終末期を重ねて考えもしました。

      それぞれの「癌の個性」が異なるので、進行の仕方にも差異があるのだと思いますが、癌が薬等で制圧出来なくなる「分水嶺」があり、その地点を越えた時から、進行のスピードが加速するイメージです。

      その一方で、死に至る数日前までブログの発信はされており、私が「勉強した」通り、癌の終末期は最終盤まで自分の見当識を保てるものなのだ、と教えていただき、その点では励まされました。

      100人人がいれば、100通りの生き方があり、100通りの死に至る道程があり、優劣はなく、それぞれの歩んだ道として「肯定」されるものだと思います。

      その上で「ココア」さん、「ちゃんと、きちんと、丁寧に!」生きた人は、「納得」と「満足」というご褒美が「オマケ」についてくるのだと思います。

      「学びと遊び」、私は「遊ぶ」方が得意ですが(笑)、「オマケ」目指してゆるゆると歩きたいものです。

  2. 金太郎 より:

    こんばんは

    小林麻央さんのブログ読者ではありませんが、私もネットのニュースであらかたは知っていました。
    お好み焼きのブログにのほほんとコメントさせていただきましたが、何日か過ぎたらお書きになるだろうなと推測。今日読ませていただいて、本当にふるゆらさんの仰る通りだと思いました。

    乳がんになってからの一時期、たまたま?頑張っていらっしゃる方ばかりのブログを読んだせいか、自分のいい加減さとの対比にめげて乳がん闘病ブログ的なものは読まなくなってしまいました。
    抗がん剤や放射線治療を断ったのも、面倒だし辛そうなことからは極力逃げたいという性分ゆえという体たらくですから。

    タイトルにある日本猫に惹かれたのが最初のきっかけでしたが、ふるゆらさんのブログを拝見していると、「闘病」的な重さがなく、それでいて風太殿♡と自然が(書き手も読み手も)このような病を得たせいか、より深く魅力的に迫ってくるように感じられるのです。
    これからもずっとささやかな幸せ、かけがえのない幸せを届けてくださいませね。

    1. ふるゆら より:

      「金太郎」さん、ありがとうございます。

      肯定していただけて嬉しいです。

      私もまた「自分のいい加減さとの対比にめげ」るタイプです。(笑)

      そして、「面倒だし辛そうなことからは極力逃げたい」のも同じで、抗がん剤治療や手術のない『手遅れの幸せ』を享受できるタイミングで「癌告知」を受けられたことを心底喜んでいるのです。

      癌になるよりはならない方がいいに決まってますが、癌になることが避けられないのであれば、「今の自分がベスト」と自画自賛しています。(笑)

      『面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり』 高杉晋作?

      金太郎さんや私のように「癌と闘うことが苦手」な人も多いと思うのです。

      「賢く」生きることは出来ませんが、「面白く」生きる自信はあります。(笑)

      これからも、乳がんブログに「猫と田舎の写真」をアップし続け、「乳がんと全然関係ないじゃん」と言わしめたいと思います。(笑)

      お楽しみに♡

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