お盆のお墓参り、同じ【乳癌ステージ4】でも去年と違う私 (nya.92)

ねこ、風太 探検

探検終了、異常なし、隣の家

「同じところ」にいるつもりでも、人は変わっていくのですね (2015年8月)

6月にPET画像診断を受け、7月に結果を聞き、「癌転移無数から骨転移4か所」に激減していることにびっくり、1年間身に着けていたパワーストーンブレスレットが「お役目を終えて」切れて落ち、風太の大型キャットタワーを組み立て、立秋が来て朝晩が少し涼しくなり、そして、「お盆」となりました。

去年のお盆のお墓参りは、自分が【乳癌ステージ4】だと知って半年、「これからどーなるんですか、私」という気持ちいっぱいで、お墓に向かいました。

すると、『ご先祖さまたちは、みんな、死んでいる人たちだった』ことを「発見」し(笑)、私もまた【乳癌ステージ4】の身体で生き、ご先祖さまたちみんなと「同じように死ぬ」ことが、妙に納得できてしまったという「収穫」がありました。(参照:お盆のお墓参りに行って気付きました (nya.63)

今年のお盆のお墓参りは、PET画像診断で「癌転移無数から骨転移4か所」と分かったことの「感謝とお礼を申し上げる義務」がある、と思い、大汗をかきながら向かいました。

私の住む田舎では、昔の風習を「がっちり」守っていて、お盆とは、「ご先祖さまの魂が家に帰ってこられる」ものとして、数々の行事を行います。

私の子供の頃は、ご先祖さまを「お迎えしお送りする」子供だけの行事があり、1週間くらいそのための準備をしたものです。

まず、夏休みを利用して、子供だけで集落の家々を回って「稲わら」を集め、畳屋さんに買い取ってもらったお金で「ロケット花火」を買えるだけ買います。

次に、村に通じる広い「農道」に、直径1メートル、深さ1メートルの穴を掘り、川の泥をすくって穴の壁に塗って大きなかがり火を燃やす準備をして、夕方を待ちます。

暗くなり始めるのを待って大きな大きなかがり火を燃やし、これも子供の手で事前に作った缶詰の缶に長い棒を付けた「小さなかがり火」用の容器にその火を分けます。

「小さなかがり火」を子供たちの人数分等間隔に並べて田んぼの畦道に突き刺すと準備完了。

そして、おのおのロケット花火に点火し、打ちあがった花火の「ひゅう~~パン」という音に合わせて「ほとけさま、これに乗って来てください(帰ってください)」と、独特の節をつけて大きな声で叫ぶのです。

私の子供時代の「田舎の夜」は真の暗闇で、かがり火の明るさは目も眩むようでしたし、「夜暗くなって」から「火遊びをする」という二つの「タブー」を大人の公認の元できる、とても楽しい行事でした。

本当に、かがり火と子供の声に乗って、集落のご先祖様たちがそれぞれの家に行き来するのだと「信じられ」ました。

ねこ、風太ミニ10前置きが長くなりました。何が言いたいかというと、そのようにして各自の家にご先祖さまをお招きした「お盆期間中のお墓」は、「お留守」なのではないか、ということです。(笑)

子供のころからの私の純粋な「疑問」なのですが、田舎の風習として、ご先祖さまの魂を家に招き入れた後、お墓参りをするという「きまり」であり、大人に聞くと「墓参りはいいことだから」と、斜め上に外れた説明をされてしまいます。(笑)

さてさて、今年もお盆に「お留守」のお墓にお参りさせていただきました。

「癌転移無数から骨転移4か所」になっていたことを改めてご報告して、お礼を申し上げた後、「どうも、思ったより生きる時間の猶予をいただいたみたいです。この先、赦された時間を無駄にせずに生きるとは、どうすることなのでしょうか?」と問いかけました。

問いかけながら、去年の自分を思い出して「変わったなぁ、私」と自分の変化に気付きました。

去年は「死」を思い、今年は「生」を思って、ご先祖さまに「問いかけ」ています。・・・まったくもって「勝手」なものです。(笑)

「助かりたい」と言い「時間の使い方が分からない」と言い、ご先祖さまの苦笑いしている様子が見えるようです。

仏教では人を「無明」だと言い、先を見通すことも、真実を見通すこともできず「暗闇」を歩んでいるようなものだと言われますが、本当にその通りだなぁ、と私も苦笑いです。

自分が【乳癌ステージ4】であることも知らずに長い時間を「平気」で生きてきたくせに、何も変化していない自分に【乳癌ステージ4】という病名が付いただけで劇的に変化したように思い込み、自分の「想定」から外れたといって、好転したらしたで狼狽える。人は「無明」で、生きることは常に「手探り、足探り」なのです。

1年先のことですら「賢しらに」予想しても意味がないことは、兄がくも膜下出血で倒れた時にも、自分が【乳癌ステージ4】だと知った時にも「人生が根底から覆されたように感じ」思い知ったはずなのに、先を「見通す」力を持たない私は、見えない不安から「妄想を膨らませる」ことを止められないのです。

今、ご先祖さまに「これから先、どーしましょう」と問いかけるのも、「無明」の愚かなつぶやきです。

「今」を誠実に生き、それから先は、「先」が「今」になった時考えて選択する、人が生きることは「それに尽きる」のでしょう。

思春期にいろいろと考えていた時、ボブディランの『Blowin’ in the Wind 』(作詞・作曲, ボブ・ディラン)を聴いて、「その通り」と世の不条理を受け止めたことを思い出しました。

The answer, my friend, is blowin’ in the wind
The answer is blowin’ in the wind

自分と同じように「手探り」で生きる友、正解は自分のすぐ横を吹き抜けていく風の中にあるから手にすることはできない、正解は風の中にあり絶えず移動し変化するから正解はないんだ

ご先祖さま、今年もまた「教えて」いただきました。

やはり「年寄りの言う通り」、お墓参りはいいことですね。合掌。

スイカズラとコガネムシ

スイカズラとコガネムシ、お墓参りの帰りに見つけました。

次は

友人の誕生日にパワーストーンブレスレットを贈る (nya.93)

です。

 

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