金魚鉢を抱えて歩くということ (nya.333)

川面に映る夕景

金魚と金魚鉢と私 (2017年9月27日)

 

私が活字「ジャンキー」であることは、しばしば触れてきましたし、私の大学の学部は国文学科(専攻は万葉集)です。

こうしてブログを書いていることも加わって、生来の「文学少女」が成長し今に至ったのだろうと【誤解】されているかもしれません。(笑)

ところが、私は「ほとんど本を読まずに成長した」人間です。

大学生となり、国文学科に入学するまで、私の読む「本」は教科書と、小中学校で毎夏課せられた「読書感想文」のための1冊がすべてでした。

私の「国語力の源泉」は漫画とアニメであり、3歳年上の兄の読む少年漫画と、クラスメイトで回し読みした少女漫画から「すべての漢字と文法を吸収した」と自信を持って言えます。(笑)

(※感性は「ドリフ」と「ひょうきん族」で磨かれました。笑)

学生時代を通じて「国語」の成績で苦労したことはなかったし、「読書感想文」ではよく表彰されました。

古文も苦労しなかったところからすると、生まれつき足の速い人がいるように、「国語が得意」な人間だったのでしょう。

 

水面に映る夕景

そんな私が、「文学・・・小説って面白いな」と生まれて初めて感じたのは高校3年生の「現文」の授業中、教科書に夏目漱石の『夢十夜』があり、それを読んだ時でした。

今思えば、半年後に大学受験を控えている状況で、コツコツ努力をすることが「出来ない」自分がいて、全力で現実から逃れたい気持ちMAXだったからだと思うのですが、その時の私は「今まで知らなかった文学の楽しさに」目覚め、いわば「開眼」してしまったのです。(笑)

その後茫々30年を越えた歳月が流れ、「開眼」した私は大学入学を機に「活字ジャンキー」となり、数え切れない「本を読む」生活に突入ましたが、夏目漱石の『夢十夜』は、ふとした時に一場面が現れ、完全に忘れることのない、心の奥深くにいつもある作品となりました。

その『夢十夜』の『第八夜』に金魚売の一場面があり、それを読んで以来、私にとっての「金魚」は「きれいな色の小さな魚」から「不可思議」な存在に格上げされたのです。

水面に映る夕景

これからお話する「金魚のお話」は、私自身の完全オリジナルな空想であり、夏目漱石とも『夢十夜』とも、全く関係ありません。

私の中でいつこの「金魚のお話」が形となって息づいたのかも判然としないのですが、気が付けばこのお話を何度も繰り返している自分がいます。

先日ブログにコメントをいただいた方へのお返事に、この「金魚のお話」のダイジェストでお答えしたところ、『わりといい』とお褒めいただきました。

今日のブログが私のラッキーナンバー「3」のゾロ目(nya.333)なのを記念してお届けします。

少しの時間、私の「空想」にお付き合いください。

水面に映る夕景

その世界では、人はみな金魚鉢を抱えて歩かなくてはなりません。

手足の指が5本ずつある、肘や膝が曲がるのと同じように、金魚鉢を抱えて歩くことが体の一部であり当たり前のことなのです。

物心がついた時には金魚鉢を抱えていたので、そういうもんなんだという感覚です。

金魚鉢の大きさもそれぞれ、形もそれぞれ、水の量もそれぞれ、中に泳いでいる金魚の色もそれぞれ、形もそれぞれ、何匹いるかもそれぞれです。

みんな金魚鉢を抱えて暮らし、金魚鉢を抱えて旅をします。

じっとして動かない時や寝ている時は、ちょっと脇に置いて腕を休めることもありますが、移動する時は必ず自分の金魚鉢を抱えて動かなくてはいけません。

金魚鉢の中の金魚は、人が抱えていないと水が冷たくなって元気がなくなってしまうからです。

誰かに預けることも、助けてもらうことも出来ますが、大切に扱ってもらわないといけないし、水の温度も難しいので、よほどいい人でないと大変なことになります。

それに長い時間人に預けると、腕の力がなくなって金魚鉢が抱えられなくなってしまい、あとあとそれも大変なのです。

普通に歩いている時でも、金魚鉢の水はちゃぷちゃぷ揺れていますが、人間生きていれば、何かを追いかけたり、何かに追われたりして走らなくてはならない時もありますし、夜にお月様のあかりを頼りにして曲がりくねった山道を手探りで歩かなくてはならない時もあります。

そんな時金魚鉢を抱えていると大変です。

中の水がばしゃばしゃ外にこぼれてしまうこともありますし、何かにつまずいて転んでしまうこともあります。

水があんまり少なくなると金魚の元気がなくなります。

転んで金魚鉢にひびが入ってしまったら、急いで直します。

金魚鉢から金魚が飛び出してしまうことだってあるのです。

金魚鉢を抱えて生きるということは、このように本当に面倒臭いことなのです。

慣れていても重いし腕はだるくなるしで普段から大変なのですが、疲れている時や体調が良くない時はほとほと嫌になります。

こんなものなければどれほどいいか、と放り出したくなります。

周りの人たちの金魚鉢を見ると、大抵の人は楽そうに金魚鉢を抱えて歩いていて、中の金魚もスイスイと気持ちよさそうに泳いでいるので、羨ましいかぎりです。

金魚鉢を抱えてうんうん唸ってるのは自分だけなんじゃないかと思い悲しくなる時もあります。

でもよく見ると、金魚鉢が大きすぎて苦労している人や、水が少なくても気にしていない人や、急いでいるのでしょう、金魚鉢のひびを手でふさいだまま走っている人もいます。

世の中にはいろんな人がいて、金魚の代わりに怖い顔の魚を入れていたり、金魚鉢だけで金魚がいなかったり、金魚鉢をなくしてしまった人もいますが、そんな人たちはたいてい楽しそうではありません。

そんな厄介な金魚と金魚鉢ですが、たまにお天気のいい日になだらかな道を歩き、金魚鉢を脇に置き、心地よい風に吹かれて木陰で休んでいると、通りかかった人に金魚や金魚鉢をほめられることがあります。

時には、たくさんの金魚のいる大きな金魚鉢を楽々抱えた人が通りかかって、私の金魚鉢に金魚を分けてくれたりします。

そんな時改めて自分の金魚鉢を眺めると、日の光を受けて金魚が元気に泳いでいて嬉しくなります。

私はうっかりもので、金魚鉢にはたくさんのひびがはいっているので、金魚を褒められるよりも、金魚鉢のひびを「上手に直してるねぇ」と褒められることが多いです。

木陰で休んだあと、普段は愚痴ってばかりいる重い金魚鉢を抱えて立ち上がるのもちっとも嫌じゃありません。

またすぐに重い金魚鉢を持て余して放り出したい気持ちになるのでしょうが、元気に泳ぐ金魚を見ると「それでもいいか」という気持ちになってのんびり歩きはじめるのです。

おしまい。

水面に映る夕景

みなさんの金魚は何色ですか?

金魚鉢はどんな形で、どんな景色のところにいるのでしょう。

 

この「お話」は、私が「心」について思う時に、思い浮かべる情景です。

自分の心が常に揺れていることに疲れ果てた時、「金魚鉢を抱えて歩く」なら、水は揺れていることが普通なんだと思えます。

私には分からない理由で人とぶつかってしまった時、「相手も金魚鉢を抱えているんだ」と思えば、その大変さが分かるだけに同情して気持ちが楽になります。

私のお気に入りは、電車の中のように動かない人が大勢いる時、勝手にそれぞれの人の金魚鉢と金魚を想像して楽しむことです。

おすすめです。(笑)

 

半月

 

次は

です。

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金魚鉢を抱えて歩くということ (nya.333)” に対して 8 件のコメントがあります

  1. 絵里 より:

    ふるゆらさん、金魚鉢のお話は、いろいろな力があるお話ですね。読み手によって、受け止め方が全然違ってて。「元気になる力」「これからの未来に明るく向かう力」「何かに気付く力」etc…。ふるゆらさんの読者の方々がどう金魚鉢のお話を読まれてるのか、もっとお聞きしたいです。私の場合は、「がん告知から化学療法を受けてるここ数か月の、次々変化する時についていくのが精一杯の自分」を確認しました。立ち止まり木陰で休む余裕がなく、私の鉢の中は、インディゴで尾に金色の細い縁取りのリュウキンが1匹ぼーっとしています(なぜか真っ先に浮かびました。金魚は心が必要としている色でしょうか?)。あと、2匹家族が欲しいな。私のラッキーN0.も「3」です。

    1. ふるゆら より:

      そーなんです。

      数人の方から「金魚のお話」へコメントをいただきましたが、それぞれイメージするものが違うんだなぁ、と感心しました。

      絵里さんの「インディゴちゃん」はきれいですねぇ。

      あと二匹は同じ「インディゴちゃん」ですか?

      それとも別の色、別の形でしょうか?

      私の「3」は、ラッキーナンバーというか、あらゆるものに必ず現れる数字です。

      生年月日から電話番号、クレジットカードに至るまで「3」「7」が必ず混ざっているので、それがないと逆に不安になります。(笑)

  2. ココア より:

    ふるゆらさん

    人間は揺れる金魚鉢を持って歩くのですか・・・、わかりやすいお話です。
    不思議な感覚ですが、空想ではないほど現実味に頷きました。

    持てる金魚鉢の中は沢山のものが詰まっていて水を替えないとすぐに淀んでしまうので毎日が忙しいです。器と中身、その中が迷い込んだ心でしょうか。金魚を元気付けなければなりませんね。
    生きることは誰しも抱えきれないほどの苦楽と対面して年輪を重ねることでしょうか〜? 自分の心の問答に右往左往しては、憤りや悩みも清らかな水と風に洗い流されて一筋の光りを見出しては穏やかになります。慣れと諦めに得心していることが多いのですが。

    心はいつも軽くなりたいですね。光りと風をありがとう

    1. ふるゆら より:

      ココアさんの金魚鉢にはいろんなものが沢山詰まっていて楽しそうですね。

      「重くて面倒くさくて厄介な楽しいもの」なんだと想定しておけば、「はああ、嫌になる」と思う自分が許せたりします。(笑)

      時に「本当に嫌な奴」と出会うことがあると、「あいつ絶対金魚じゃないのが入ってる」と決めつけて楽しむことが出来ます。(笑)

      体調はいかがですか?

      たまには金魚と日光浴、楽しんでくださいね。

  3. よっちゃん より:

    皆誰もが金魚鉢を抱えていますね。
    ブログが書籍化されたら買います買います
    わたしは闘病しているわけでもなく、猫さんと暮らしているわけでもありませんが
    ゆるふらさんの、ゆらゆらとたゆとう空気感と、思わずクスッと笑える面白さのファンになりました。

    1. ふるゆら より:

      よっちゃんさん、ありがとうございます。

      風太と私のブログを気に入ってくださって嬉しいです。

      私はたまに金魚鉢のひびを見て「ああ、あの時泣きながらテープ貼って直したなぁ」と今では笑ってしまう過去を思い出したりします。

      日本には金継ぎ(きんつぎ)という技法(割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法)があって、むしろその「模様を楽しむ」文化があるので、そんな感じでしょうか。(笑)

      これからも応援よろしくお願いします。合掌。

  4. とことこぱん より:

    うわー素晴らしいすぎる。
    感動しました。
    前々から、一般人の言葉に出来ない言葉力があり、本を書けば良いのにと思ってました。
    コメントしたかったけど、
    言えずにいたけど、
    足を怪我して会社を休むことも、こうしなさいメッセージじゃないかと
    叫んじゃいますよ!
    応援します!
    本をつくってください。
    私絶対買います。
    暖かい気持ちに癒しの力を帯びたいい文章です。
    私の金魚鉢は、ヒビだらけだけど、周りの人が修理してくれてる大事な無二の存在の金魚が住んでます。
    ああっ
    大人のたしなみを忘れむきだしに文章書いて
    ごめんなさい。

    1. ふるゆら より:

      ははは、とことこぱんさん、「絶賛」ありがとうございます。

      とことこぱんさんは、「無二の存在の金魚」がいるんですね。

      どんな色でどんな形か「作り込んで」おくと、ちょっとへこんだ時とかにイメージしやすくなって、「ごめんごめん、ちょっと派手に揺れたから居心地悪いかもしれないけど、しばらく辛抱してね」とか、自分を俯瞰で見ることが出来て「便利」です。

      そうですね、このお話は「いつか」ブログにアップしたいなぁと思ってはいたのですが、今回の「骨折事件」が起きてまとまった時間がなかったら、「もっと先」になっていたと思います。

      私のブログにコメントをくださる方は、当たり前ですが【乳癌ステージ4】の方が多くて、日常生活を愛おしむと同時に「死」について直面せざるを得ず、その分「心の揺れ幅」が大きくて疲れることも多いと思うのです。

      「金魚のお話」で私自身随分助けられているので、「いつか」ではなく「出来るだけ早く」お伝えしたら、助かる方もいらっしゃるのかもしれないと思い書きました。

      とことこぱんさんの心に届いて嬉しいです。

      文筆業の方は・・・・(笑)、この『にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活』がデジタル書籍になったりしないかなぁ、そーなると「助かる」んだけどなぁ、と捕らぬ狸の皮算用的妄想を逞しくしています。(笑)

      家の風太の巡回風景をBSの「猫歩き」の岩合さんが撮影してくれないかなぁ、と思うのと同じくらい切実な「夢」です。(笑)

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