大相撲観戦&「東京だよ、おかあさん」 (nya.97)

ねこ、風太 布団

へぇへぇ、わし留守番

75才と48才の東京デビュー「はとバス」にも乗りました (2016年1月)

【乳癌ステージ4】だと知った2014年3月、自分に残された時間、しかも自由に動ける時間は少ないと思った時、『なにかやりたいことはないの?』『なにか欲しいものはないの?』『どこか行きたい所はないの?』と自分に何度も問いかけました。

幸いその時点の健康は「多少疲れやすい」程度で、痛みや苦しみとは無縁に生活できていましたので、「今のうちに!!」と前のめりに意気込んだのです。

ところが、私という人間には「あんまり欲しいものがない」ことが判明し、絞り出すように思いついたのが「猫が飼いたい」という欲望でした。(笑)

2014年3月には、風太と同棲を始めましたので、私の欲望は「あっさり」叶ってしまったのです。

大相撲

自分が【乳癌ステージ4】だと知った当初は、「どーなるの、私」と緊張して身構えていましたが、2014年4月から以後は、「毎朝タモキシフェン1錠の服用、3週間に一度ゾメタの点滴、3か月に一度リュープリンを皮下注射」という「野放し」状態となり、『え~と、【乳癌ステージ4】ってこんなにのんびりしていいの?』と思いながら、まったり毎日を過ごしました。

体調を維持したまま秋になる頃、にわかに「富士山見たい」という気持ちが芽生えて我ながらびっくり、2014年11月、富士山との対面を果たして大満足したのです。

そんな富士山からの帰途、大満足に気をよくして「他に見たいものないの?」と自問した結果が「お相撲を生で観てみたいかも」というものでした。

同行者の2人にそう言うと「そりゃあいい、どうせなら国技館で観たいね」ということになり、今回の「運び」となりました。

 

スカイツリー私が旅行に母親を同行するのには訳があります。

私の祖父は2007年3月、93才で他界したのですが、亡くなる直前の2カ月を病院のお世話になった以外病気もせず、食事もお風呂も自力という「ピンピンコロリ」を実践された「仏さま」のような方でした。

祖父のお葬式は「大往生の見本」で、弔問の方々が「ご愁傷様」という代わりに、ニコニコしながら『あやかりたい、あやかりたい』と手を合わせていました。(笑)

そんな我が家ですが「真正の田舎」にあり、父親は「ナチュラルに」家父長制と男尊女卑を「当たり前」と思っているので、高齢の祖父が家にいる間は、母親が家を空けることを「職務怠慢」として認めませんでした。(嘆息)

そこで祖父の他界後、現代日本に生まれながら「パスポートを持ったこと」も「海外に行ったこと」もなく、「国内は婦人会の団体旅行」のみという母親を「せっせと」旅行に連れ出すことにしたのです。

ソウル、戸隠、北海道、熊野、姫路、富士山、京都、吉野、そして「東京」です。

富士山に同行した友人が今回も一緒で3人旅です。

「友人を同行」するのにも理由があって、母娘2人だけでは「険悪になる」時も、友人がいれば、母親が「大変お行儀よく」なるのです。(笑)

隅田川クルーズ

東京駅→両国国技館→スカイツリーの見えるホテル→スカイツリー→「すしざんまい」→浅草浅草寺→天ぷら→隅田川水上バス→東京タワー→ニューハーフショー→「すしざんまい」→はとバス(国会議事堂→靖国神社)→帰宅

テレビで見るばかりだった「東京」を実際に見たら楽しいでしょう【東京だよ、おっかさん、てんこもり】2泊3日企画です。(笑)

結構移動していますが、高齢者の母と乳癌ステージ4の私ですから、タクシー代を必要経費と認め、すべてタクシーで移動しました。

それでも、「人より蛙の方が多く住む田舎」で、普段人ごみに揉まれることのない母親は「2度と無理」と弱音を吐いていました。(笑)

実は私自身も東京には「とんと」ご縁なく生きてきました。

「田舎&歴史」好きの私が、好んで東京の人混みを目指すこともなければ、仕事の出張も関西や九州が大半だったのです。

しかも私は、町内に信号や横断歩道がなかったため(今はあります)、幼稚園の時「横断歩道を渡る練習」をした経験を持つ「正真正銘の田舎者」です。(笑)

「大都会」の交通網が理解できるような「脳の発達」をしておりませんので、「都会=迷子」という図式ががっつり刷り込みされています。(笑)

75才の母親ばかりか、48才の私も「ほとんど東京デビュー」だったのでした。(笑)

東京タワー

今回の旅行で気付いたのは、一緒に旅行を始めた頃の母親と比べたら、歩くスピードが格段に遅くなりました。

「年に1度は」と思い旅行を重ねてきましたが、母親と私の健康状態次第では、「行けなくなる」日も近いかなと思った今回の旅行でした。

でも、台所でテレビを見ながら「ここに行った」と、小学生のように喜ぶ母親を見ると「今度はどこに行くかな」と思うのです。

我が家が「高齢の両親、くも膜下出血で半身不随の兄、乳癌ステージ4の私」で構成されている以上、今の平穏が、「薄氷の上の砂上の楼閣」であることを自覚すればするほど、「貴重な時間を楽しめている」ことに深く感謝します。

「次は、花火」と言いながら家に帰りました。(笑)

雪の浅草寺

 

次は

3回目のPET画像診断で「良くなっている」と信じられました (nya.98)

です。

 

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