お盆のお墓参りに行って気付きました (nya.63)
ご先祖様、私、今、気付いたんです。 (2014年8月)
お盆です。
立秋を過ぎ、お盆が来れば、もう夏の暑さも峠を越えたということです。
重度の「クーラー病」で、会社ではウールのカーディガンとひざ掛けで防御し、それでも身体の芯が冷え、そのため家では「デトックス」。
まったくクーラーを使わないので、休みの日は、昼前に首のタオルが汗で重くなり取り替えます。
汗をかき続けるのも体力が消耗され、「熱中症」と「クーラー病」、どちらが「より酷い」のか、朦朧とした頭で何度も自問します。
ただし、私のような田舎に住む人間が、いくら「暑い暑い」と愚痴っても、都会の「ヒートアイランド」の住人の方からすれば、「全然涼しい」のです。
私の職場は地方都市の県庁所在地にあり、通勤は車、夏は窓を全開にして運転するのですが、車の窓から入ってくる風が、私の住む田舎に近付くにつれ、どんどん涼しくなっていきます。
温度自体は、2、3度の違いですが、アスファルトやコンクリートの輻射熱のこもった街中と、田畑が広々と広がり、そのほとんどの水田に水が張られている田舎では、通り抜ける風の質が全然違うのです。
私の部屋も、夜は、山側の窓を開け放ち、網戸にしてその前に扇風機を置けば、山からの涼しい風が入ります。
不用心この上ないのですが、これも「治安のいい日本」の、人より蛙の方が多く住む「治安のいい田舎」に住むことの特典です。
世間から「クーラーの冷気」が消えるのは9月中旬なので、まだまだ先は長いのですが、
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
古今集・巻4・秋歌上・169 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆき・あそん)
とは、よく言ったもので、立秋を過ぎると、田舎の朝夕の風は確実に「秋」に向かいます。
そして、お盆。お盆はお墓参りですね。
私の家のお墓は、歩いて3分の所にあります。
我が家の敷地の西の端の斜面に竹藪があり、竹藪の向こうが更に少し小高くなってお墓があります。
いつでも行けるので、日中の暑さを避けて、少し日が傾きかけてからお参りしました。
「田舎者の正しいお墓参り」の常識的な時間は、早朝です。
我が家も両親が、「正しいお墓参り」をすでに済ませて、「お菓子」も「お花」も供えていますので、私は水桶とお線香とタオル、ごみ袋、忘れてはならない「キンチョール」を持って出かけます。
昼よりは涼しいと言っても30度は越えていますし、小高い場所のお墓にたどり着くには坂道ですし、何より「憎い」蚊の攻撃に備えて帽子、長袖、長ズボンですから、お墓に着く頃には汗が噴き出しています。
午前中に大半の人がお墓参りを済ませている墓場の、日中は「カラスの狩場」です。(笑)
お供えのお菓子だけでなく、罪のない花筒の樒(シキミ)も攻撃されています。
お墓の入り口から我が家のお墓にたどり着くまで、カラスの後始末をしながら歩きます。
樒やお花は花筒に戻して水を足し、お菓子の包装ビニールはごみ袋へ。
やっと我が家のお墓にたどり着くと、やっぱり荒らされています。
まず「キンチョール」、そしてお線香に火を付けてお供えします。
ご先祖さまに「手向ける」心がないわけではありませんが、真っ先にお線香をお供えするのは、「憎い」蚊を少しでも遠ざけたい一心です。(笑)
後は、持参したタオルでお墓の汚れを拭きます。
両親がお盆前に「ぴかぴか」にし、午前中にもきれいにしているのですが、「カラス」が「お楽しみ」の後のお墓は汚れているのです。
タオルでお墓を拭きながら、8人ほど眠られているご先祖さまに話しかけるのが、私のお墓参りの「楽しみ」です。(笑)
常日頃、私を「応援」していただいていることの「お礼」も言いますが、その時々の細々した「お願い」をご先祖さまに、懇々と伝えます。
「ここのところ、〇〇〇を頑張ってるんですが、なかなか思うようにいきません。もう少し「応援」していただけませんかねぇ」
みたいなことを、タオルで拭き掃除をしている「殊勝な子孫」をアピールしながら、お願いするのです。(笑)
この日も、きれいにしているんだか、流れる汗で汚してるんだか分からないまま、ご先祖さまと「お話」しました。
もちろん、私の【乳癌ステージ4】のことです。
春にもお願いしたのですが、今回はずっと落ち着いてお話できました。
気が済むまで掃除して、お水を供えたら私の「お墓参り」は終了です。
5基ほど並ぶお墓を前にして手を合わせ、
「穏やかな時間を送ることを、赦されていることに感謝します。私はいつ死ぬのでしょうか?もう少しこの世にいたいのですが叶いますか?」
と、最期のお願いをしていた時、私は「気付き」ました。
ご先祖さまのお墓と、墓地にあるその他のたくさんのお墓が目に映り、改めて、そのお墓の意味を悟りました。
「これらのお墓の下に眠っておられる方々は、みんな死んでいる」という、当たり前のことに気付いたのです。
お墓の下で眠るのは、いろいろな時代のいろいろな人生を生きた人たちです。
それぞれの人生、様々な状況や事情の中、喜びや悲しみや切なさを抱えて生き、・・・そして、死んでいます。
幼くして亡くなった方も、短命だった方も、長寿の方も、男も女も、今は、全員お墓の下で眠られています。
「人は皆、死ぬんだなぁ、例外はないんだなぁ」と、心の奥、深い所で納得しました。
今、私のいる墓地で眠っている人たちとまったく同じように、私もまた、死ぬのです。
「死ぬって、普通のことなんだ」と思いましたし、目の前の「死んでいる」ご先祖さまに「私、死にたくないんです」というのは、「違うなぁ」と思いました。
すでに死んでいる人に、「私、死にかけているんです」と訴えるのは、何かのコントのような話で、返答は「ああ、そうですか。人は必ず死ぬんですよ。私も死にましたからね、ははは」しかないのです。
僅かに残っていた自分の「死」に対する焦りが、憑き物が落ちたようになくなりました。
「私もいつか必ず死ぬ」「あなたたちと同じように」と思い、少し笑い、ご先祖さまのお墓に「また、来るね」と挨拶して帰りました。
これまでも「お墓参り」をすると心が落ち着き、「わりと好き」だった私ですが、深く考えずに「習慣」としてお参りしていました。
が、この度、定期的に「死者」と対面する儀式が「お墓参り」であり、日常を気忙しく生きている者にとって、なるほど役に立つ「仕組み」だと得心しました。
「人は誰でもいつか必ず死ぬ」という言葉は、「手垢」が付くほどよく使われる言葉ですし、私もそう思って生きてきましたが、今回のお墓参りで、「人は誰でもいつか必ず死ぬ、は本当だった」と初めて腑に落ちました。
これもまた「お墓参り」の功徳、ご先祖さまから私への「応援」ですね。(笑)
ご先祖さま、ありがとうございました。
赦された時間を、私なりに精一杯努めます。
次は
です。
死を明快に悟られましたね。[みんな死ぬんだ]
私は小学5年の時、5歳の妹をインフルエンザから急性腎不全で亡くしています。発病から1週間でした。今なら透析もあります。当時。S32年の山間の村です。医師には往診して頂いていました。その時から、手を合わせて来てます。
勤務していて、ナースは最後、呆けちゃうのも良いね。医師は癌の最後が言いと言ってました。最近、同僚の友人から最後まで、呆けないようにと言われてます。
今回、姉は最後の4日間、医師はモルヒネで眠らせてくれました。弱っていた姉は
少量のモルヒネで逝きました。
小林さん、コメントありがとうございます。
お姉さまの他に、幼い時妹さんも亡くされているのですね。お寂しいですね。
私には兄が一人いますが、15年前にくも膜下出血で左半身不随、高次脳機能障害です。
3年前に自分自身が【乳癌ステージ4】と知るまで、「私は兄を見送った後に死ぬ」のだと思っていましたが、末期がんならそれは不可能ではないかと思い愕然としました。
今の私の目標は「逆縁」をせず両親を見送ることと、兄を見送ること、です。
家族を見送ったあと「おひとりさま」でこの世を卒業するつもりで頑張ります。(笑)
そうそう都合よくいかないのが世の常ですが、「目標は高い」方がいいですよね。(笑)
両親も後期高齢者ながら「健康」で、兄は福祉行政の進んだ街で「一人暮らし」、どれだけ恵まれているんだ私、と思うにつけ「見送る側」になりたいと思います。