石上神宮のあと「吉野」に足を延ばしました (nya.81)
桜は終わっていましたが、思いがけず「蔵王権現」さまにお会いできました。 (2015年4月)
『これはこれはとばかり花の吉野山』
松尾芭蕉の門人であった安原貞室が詠んだこの歌が、私の「吉野」に対する知識のすべてでしたが、折角の4月の奈良、石上神宮にお参りした足で、吉野を訪ねてみることにしました。
この歌に出会ったのは、「高校の国語の教科書」でした。
高校の教科書ですから「名句」とされるものが10首くらい紹介され、その中にこの句がありました。
「なぜ、これが名句・・・。」「しかも、教科書に載るくらいの名句・・・」「・・・わからん」
という印象が強烈で、なんと30年後まで覚えていた訳です。(笑)
意味は「解釈」するまでもなく、「桜が咲く吉野の山を見ると、あまりに見事で、これはこれは、とばかり言ってしまう」くらいの意味です。
言葉を操る俳人をして、「これはこれは」と口をついて出るつぶやき以外の「言葉を失う」ほど美しい吉野山なんだと、ストレートに伝わるところが「名句」なのでしょう。
余程私の「ツボ」に嵌まったらしく、その後も桜を見れば「これはこれはとばかり花の吉野山」と一人つぶやく習慣が出来ました。(笑)
そして今年、奈良の石上神宮に行くことを考えていると、「どうせ、交通費かけて奈良に行くのであれば、4月だし、吉野に行ってみようかな」という気持ちがむくむくと沸き起こりました。
調べると、桜のハイシーズンは外れていますが、山の桜だし、ガイドブックには吉野の桜は1か月かけて山裾から山頂に開花していくとあるし、「これは妙案」と、一泊旅行を決めました。
【乳癌ステージ4】の私と、後期高齢者の母親の「お山」観光なので、迷わず「観光タクシー」の予約を入れ、石上神宮のお参りの後、吉野に向かいました。
結果、「さくら散る」(涙)
宿の人が教えてくれるには、例年の異常気象で、吉野山の桜とあろうものが「全山1週間程度」で開花し散ったらしいのです。
したがって私の「これはこれはとばかり花の吉野山」計画は、儚く散ってしまいました。(涙)
しかし、もう吉野に来てしまっているのですから、楽しまないわけにはいきません。
一泊した翌日は「観光タクシー」で、吉野の「定番スポット」巡りです。
「花の吉野山」しか頭になかった私は、ろくに「予習」もせずに来たのですが、ここ吉野が「修験道のメッカ」であることをようやく思い出しました。
まず最初に立ち寄ったのが、世界遺産 金峯山寺蔵王堂(国宝)(きんぷせんじざおうどう)でした。
があぁぁん、そうでしたそうでした。ここは世界遺産のお寺でした。
昨日から「桜が散っていた」ことばかりに気を取られ、「観光はタクシーにお任せ」程度の気持ちでしたが、ここは「気を引き締めて」仏さまにお会いしなければなりません。
金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山。
蔵王堂は、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。立派な立派なお寺でした。
しかも、有名な青不動、蔵王権現像(重文)3体がまつられているのですが、普段は「秘仏」として開帳されていないのに、修復のための費用捻出をするため、10年間、春の一カ月のみ「御開帳」されているというのです。
趣味に「仏像フェチ」を持つ私ですので、本来「これを目的として」吉野を目指してもいいくらいなのに、ずさんな「予習」で知らずに吉野に来て、思いもかけない「幸運」が舞い込み、舞い上がりました。
「どんだけ運がいいんだ私」と感動です。
本尊は高さ7mにもおよぶ蔵王権現さまが3体並んでおられ圧巻です。
3体とも厳しいお顔(忿怒相)、怒髪天を衝き、右手と右脚を高く上げられています。
これは私の解釈で、間違っているかもしれませんが、仏さまが厳しいお顔で怒りを向けておられるのは、人の心の弱さにつけ込んで忍び込もうとする「邪な心」に対してだと思うのです。
仏教世界を護るのと同じように、私たち凡人の心の世界を護ろうと、あのような激しく厳しい「怒り」を露わにしておられるのです。
わが子を守る母親のように、私たち凡人が「邪な心」に害されることがないように、「睨み」をきかせておられるのです。
そのように思って拝見すれば、「憤怒」の形相の仏様の「優しさ」がしみじみ感じられます。
敵に回せば「恐ろしいことこの上ない」仏さまですが、自分を護り、励ましていただいていると思えば、たちまち「頼もしい」と感じるのですから、「気の持ちよう」とは偉大です。(笑)
「本当に有難いことです。これからも、私に赦された時間を、私なりに精一杯努めます。」と手を合わせました。
思いがけず蔵王権現さまにお会いできて、本当に嬉しかったです。
その後、吉野水分神社などを回りましたが、4月の「お山」の空気はまだまだ冷たく、半日「観光タクシー」で巡り、吉野駅で降ろしてもらった時には凍えていました。
「ええと、暖かいものをお腹に入れよう」と慌てて駅の食堂に駆け込み、そこは呑兵衛な母娘、迷わず「熱燗」をいただきました。(笑)
「桜は散っていたけど、八重桜はきれいだったし、蔵王権現さまにお会いできてよかったね」と言いながら、母娘が、旅先で熱燗を飲む幸せ。
蔵王権現さまの粋なお計らいに感謝、感謝です。
ただし、この旅行辺りから母親の「風太溺愛♡」が顕著となり、旅行中も「風太はご飯食べたかなぁ」「風太は今日、どの部屋で寝てるかなぁ」などとつぶやき、帰途につく頃には「風太禁断症状」が現れていました。(笑)
私も、「早く風太に会いたいな」と思いながら我が家に帰ったのでした。(笑)
次は
玄米コーヒーで「腸内フローラ」のお花畑をゲットしよう (nya.81)
です。