第二弾「乳癌ステージ4告知」友人行脚はじまる③ (nya.209)
20年という歳月を経た再会を象徴する「新緑と慈雨」の一日でした (2017年5月)
今日のブログを読むにあたって、お願いが一つあります。
BGMとして、サザンオールスターズの『Ya Ya (あの時代を忘れない)』(1982年、作詞:桑田佳祐、作曲:桑田佳祐)を頭の中で流して読んでいただきたいのです。
そーすると、私の「しみじみ感」がよく伝わると思うのです。
私が3月に送った手紙(参照:第二弾「乳癌ステージ4告知」友人行脚はじまる① (nya.195))を読んだ友人2人が先日、関東と四国から会いにきてくれました。
雨の一日でした。
大学を卒業し、お互いに社会人となってそれぞれの地元に戻り、2人はそれぞれ伴侶と出会って結婚し、それぞれが自分の生活に追われるようになり、いつしか連絡が途絶えていました。
互いが会う頻度はもう少し高いだろうと思い、「また、そのうちに」会うだろうと考えていたので、最後に会った時が「特別」記憶に残っていない、そんな友人です。
こうして3人で会うのが、実に20年の歳月を経た後になろうとは思ってもみませんでした。
他にもそうして徐々に会わなくなる友人は何人かいて、ふと、会わずに過ぎた時間の長さを自覚して「もう、会うことはないなぁ、たぶん」と縁遠くなっていきます。
寂しいけれど「さよならだけが人生だ」は一面本当で、新たに出会う人がいれば離れていく人がいて、人間50年近くも生きていると、『人生とはそーしたもんだ』としみじみ納得できてしまうのです。
特に私のような「不器用」な人間は、そう多くの人を友人として大切に扱える技量を持ち合わさず、『友人は少なくていい』『知人はもっと少なくていい』と思っているのでなおさらです。
そんなふうに、普通なら私の方から「手を離してしまう」はずの20年以上も会っていない友人に、自分が【乳癌ステージ4】であることを知らせる手紙を、私は迷わず出しました。
なぜならこの2人とは、「縁が切れない」と思っていたからです。
大学の入学と同時に入った寮で、同部屋になった2人です。
「もうすっかり大人になったつもり」ではいたものの、その実、親と「へその緒が繋がったまま」生活していた高校生活を終え、生まれて初めて親元から離れ、地元を離れ、大学に進学することで無自覚に「へその緒を切って」しまった自分を発見した時の頼りない感じ。(すねはしっかりかじってます。・・・今現在もパラサイト。笑)
そんな自分とまったく同じ「茫然」とした状況で、出会ったのがこの2人の友人です。
卵の殻の中でもう十分に成長したヒヨコが、くちばしで殻を破り「殻の外」に出てみると、自分と同じタイミングで殻から出たヒヨコが傍にいることを知った感じでしょうか。
「大学生活と寮生活」という未知の世界に「喜び」よりも「恐れ」を感じ、ちょっと首をすくめたくなるそんな瞬間に、私たち3人は同時に立ち合いました。
4年間の大学生活の中で寮生活は1年のみ、そのうち「同部屋」だった期間は半年という短期間ですが、血縁はないものの、「兄弟」のような「幼馴染」のような近しさがあります。
寮は8畳くらいの間仕切りのない和室で、私たち3人の他に1年年上の先輩が1人が同部屋になる4人部屋でした。
20数年前とはいえ『起きて半畳寝て一畳』を実践する、なかなかハードな環境です。(笑)
大きな寮で、200人くらいの同世代の「女子」が規則正しい団体生活を送りました。
朝6時起床、午前7時に部屋で「トーストしていない」食パンにマーガリンを塗って朝食、入浴は大浴場で4時から6時、食堂で夕食は4時から7時、門限が午後9時、10時には「点呼」消灯。
当たり前なのですが、同学年というだけで「赤の他人」にして「初対面」の3人が、同部屋になったという偶然から、その日のうちに文字通り「裸の付き合い」を始めるのです。(笑)
大学の入学式よりも先に訪れた「未知の世界」、それが私の寮生活です。
その後の大学生活も含め「初めて尽くし」で、何に驚いていいのか訳が分からないまま過ぎていく時間を一緒に走り抜けました。
そんな私たちが本当に「幸運」だったのは、先輩も含め「驚くほど早く」互いに馴染んだことでした。
何しろ「初日の消灯後」には、『何だか初対面とは思えないね』とお互いに言い合うくらい、和室8畳に4人がいることに「気まずさ」がまったくなかったのです。
厳しい女子寮でしたので、10時の消灯以降はセキュリティー会社に委託され、『門限破り』も『深夜の外出』も不可能。
消灯以降に許されたデスクライトをめいめいが真っ暗な部屋の中央に持ち寄り、その灯りで雑誌のグルメページをめくりながら『このハンバーグが食べたい』と、病院よりも早い時刻の夕食のために生じる空腹を「妄想」で紛らわせるのが日課でした。(笑)
毎日が「修学旅行」のようで、本当に楽しかった。
そんな友人2人は、迷わず「手紙を出し」たら、迷わず私の地元まで「会いに来て」くれました。
遠くまで「私の顔を見に」来てくれ「日帰り」する友人の心意気に感じて、地元の和食のお店の個室を予約しました。
武家屋敷を移築し、その後空襲で焼けたものを復元した「築70年」の建物で、お庭が見えるお座敷です。
3人で広々とした個室に座り、降りしきる雨が鮮やかな新緑を打つ音を聴きました。
20数年ぶりの再会を思う時、互いの歩んだ道が互いに異なる故に「微かに」初対面のような緊張感がありました。
それぞれが営んできた生活によって、それぞれの感性が変容するのはむしろ当然のことで、そのような変化を受け入れた上で、改めて友人になればいいと思っていました。
しかしそれは、「人と人が出会うこと」の意味の深さを理解できていない自分が、浅はかだったから考えたことだったのです。
2人は結婚し子供を2人ずつ設けています。
一人はご主人の仕事の関係でニューヨークで子育てをし、日本に帰ってきた専業主婦。
一人は地元で子育てをしながら、パートの仕事をバリバリこなす「日本の母」。
私は結婚もせず、仕事仕事で過ごしているうちに【乳癌ステージ4】になってしまった薄給のサラリーマン。
見事に三者三様の時間を過ごしたものですが(笑)、やっぱり「違和感」は全然ないのです。
雨音が大きく聞こえるくらい静かな部屋に落ち着いて、互いの顔を見て他愛のないことを笑いながら話していると、やっぱり私たち3人は、入寮した初日から「妙に馴染んだ」3人に変わりなかったのです。
ゆっくりと食事をいただきながら互いの近況報告を話して笑い、お店を出て雨の中を散歩しながら「誰の日頃の行いのせいで雨なのか」話して笑い、あっという間に時間が過ぎて、それぞれの家族の元へ帰って行きました。
雨に打たれた新緑と雨音が本当に美しく、3人が一緒にいる時に感じる「穏やかな時間」が心地よく、心底楽しい一日でした。
思えば私たち3人は、「人生の新緑の頃」に出会いました。
何もかも清新で、将来の自分が何になるのかも知らずにいました。
それからこの日の雨のように、絶えることなく時が降り積もり、それぞれが自分の生き方を確立し、20数年を経て再会、再び「穏やかな時間」を共有しました。
私が【乳癌ステージ4】にならず、手紙を出すことがなければ、再会を果たせていたかどうか・・・。
No rain, no rainbow 雨が降らなければ虹を見ることはできない
虹の多いハワイのことわざ?だそうですが、私が【乳癌ステージ4】になるという雨に降られ、その後望外に穏やかな時間を過ごすことを赦されたことで、3年後、こうして友人と再会し「虹」に出会うことができました。
生きるって素晴らしい、ですよね。(笑) 合掌。
友人と別れて家の近くまで帰ると雨が上がってました。(嘆息)
末尾に私信を失礼します。
このブログを読んで「私のことだ」と思い当たる2人、とそれ以外の友人たち、貴女たちは私のブログを読んで「私が元気にやっていること」が分かるかもしれないけれど、私は貴女たちの「無事」が分からないんだから、【乳癌ステージ4】の私に心配させるような「本末転倒」を避けて、これからはもう少しマメに私にメールするよーに。(笑)
そーすれば今度は温泉にでも行けるでしょう。(笑)
次は
です。
いつも素晴らしい文章を書かれますね。
我が家にも猫がいるので、猫に対するお気持ちは、よくわかります。
長生きして下さい…
「こんな私にも。」さん、コメントありがとうございます。
私の文章をお褒めくださってありがとうございます。
むちゃくちゃうれしいです。心がぽかぽかしました。
風太LOVE♡をご理解いただいてありがとうございます。
我ながら「溺愛」しているなぁ、乳がんブログなのに、こんな猫への愛情垂れ流しで「イタイ」かなぁ(笑)と思いながら、ブログにベタベタ風太の写真を張り付け、一人「ふふふ♡かわいい♡」と喜ぶ毎日でしたので、「共感」していただけて、むちゃくちゃ安心しました。(笑)
「長生き」します。
「頑張ります!!」とは言えませんが、このまま「ゆるゆる」と体調を維持していけたらと思ってます。
『地球滞在型リゾート』は楽しくて、なかなか離れる気になりません。(笑)
また、ご意見ご感想をいただけたらうれしいです。
「こんな私にも。」さんもお元気で。
素晴らしいお友達をお持ちですね。
ふるゆらさんの誠実で前向きなお人柄ゆえのことと拝察いたします。
これからも美しい虹がたくさん架かっていくことでしょう。
はい、ありがとうございます、金太郎さん。
私という人間は「お得な性分」に生まれつくという幸運に恵まれ(笑)、どうやら脳内に「多幸感」を与える物質が分泌しやすい体質なのではないかと思うのです。(笑)
毎日平凡な日常を送っているにしては、大小様々な「虹」に出会います。
その中でも友人は「人生の宝石」、なくても生きていけますが、あれば人生を華やかに彩ってくれます。