放射線治療7回目~9回目 放射線食道炎vs健全な食欲 (nya.31)
なぜ、病院は週末を休むんですか? (2016年3月26日~3月30日)
放射線治療の1回目から4回目は、まったく変化はありませんでした。
5回目は風邪の引き始めの「のどの違和感」程度に食道に違和感を感じました。
6回目は、柔らかくない食べ物を飲み下す時、「明らかな痛み」を感じるようになりました。
私が放射線治療を受ける「胸椎、腰椎、左大腿骨」のうち、胸骨の真上に食道がある以上、放射線食道炎になることは理解しています。
「明日は明日の風が吹く」と考える私は、切実に痛みを感じて初めて、慌ててお勉強したのです。
【放射線食道炎。食道の粘膜が日焼けした状態になり、胸やけを感じる。食べ物がのどにつかえ、つばを飲み込んだだけで痛みを感じるようになり、食事がとれなくなることがある。食事について特に制限はないが、熱いものや刺激の強いものは控えめにしたほうがいい。】
賢い方は、これで、私の抱える苦しみと悲しみを理解されたことでしょう。
そうです。「痛みを感じ、食べにくく」なるものの「食欲の減退」はないのですね(涙)。
繊細な情緒の方ならば、「痛みを感じ」た段階で、「食べたくない」気持ちに傾き、実際に「食欲が減退」するのかもしれません。
私は46才。すでに「短くはない」人生行路を歩んできました。
山もあり、谷もあり、谷底もあったのです。
何より、29才の時に「原因不明の微熱」を発症して以来、ぐずぐずと「体調不良」の毎日を過ごしてきました。
ここ数年は特に、今思えば【乳癌ステージ4】が進行していたためでしょう、体力が落ちて疲れやすくなり、ついに目眩で会社を休職、「自律神経失調症」の診断書を提出しました。
「企業のメンタルヘルス」が叫ばれている昨今、私の会社からは、すぐさま「うつ病テスト」を受けるよう言われました。目眩と頭痛と聴覚過敏が続き、会社へ復職する時は、河川敷を歩くことからリハビったのです。
私が36才の時、兄がくも膜下出血で倒れ、半身不随の身体になり、今回は私が46才で【乳癌ステージ4】と診断を受けたわけですが、その間の様々な出来事にも動じることなく、私の健全な「食欲」と「睡眠」は保たれたのです。
・・・何が言いたいかというと、私は、長い人生、これまで一度も「食欲がない」と感じたことがない、ということです。
放射線治療7回目の後は、ご飯粒を飲み込みむにも、痛みを感じるようになりました。
他に柔らかい「病人食」と言えば「うどん」ですが、冷たいうどんを食べるには季節が早く、熱いうどんは、想像しただけで「食道の日焼け」が疼きます。
放射線治療を受けて会社に出勤する前、コンビニに寄って昼食を買う時、私はコンビニ内を長時間「彷徨い」ました。
そしてたどり着いたのが、「サンドイッチ、クリームパン、ヨーグルトドリンク」の3種の神器です。
放射線食道炎の痛みは、放射線治療終了後きっかり10日間続きましたが、この間の私は、ひたすらこの3点を食べ続けました。
もちろんこの3点を食べても「痛い」のですが、「お腹がすく」以上、「食べない」という選択肢は、私の中にはありません。
懐かしい『サザエさん』のエンディングで、サザエさんがせんべいをのどに詰まらせる【んが、ぐぐ】が、一口飲み込むたびに、しつこく再生されました。(笑)
放射線治療8回目、放射線療法9回目と回を重ねるごとに、痛みがひどくなりました。
特に9回目の後は「軽い吐き気」が出現したのには泣きました。
はい、ここで「さらに」悲しいお知らせです。放射線治療9回目は3月28日、金曜日でした。そーです。最後の1回を残して週末に突入したのですね。週末、病院の治療は「お休み」されます。
放射線治療9回目の後、出勤した時、「吐き気」は、しばらくしたら治まるのではないかと思っていました。
翌日の土曜日、仕事をしながら、「吐き気」は、月曜日に病院に行って「吐き気止めの薬」を貰わないと治まらないと覚悟を決めました。
日曜日、出勤する前、家の薬箱の中に「数年前に買った乗り物酔いの薬」を発見し、じっと見つめました。
「これで吐き気は治まるのか?・・・。」
効くことはないと、私の良識が告げていましたが、見つめることを止められませんでした。
会社を病欠することも考えましたが、先週、熱を出して何日も会社を休んだ身としては、「軽い吐き気」程度で休むわけにはいかないのが「昭和のサラリーマン心理」です(涙)。
週末の間、吐き気に耐えながら考えたのは、「これからは、つわりに苦しむ妊婦さんに、もっと優しくしよう」ということです。
そして呪いました。「病人相手の病院が「土日を休む」なんて、間違っとる!!」
次は
放射線治療10回目 最終回・・・つ、疲れた (nya.32)
です。