「ポジティブシンキング」なんて好きじゃない私のプラス思考 (nya.698)
「私は調和が取れていて、幸せです」・・・・・と思えてきた秋(笑) (2018年9月28日)
『私はすべてです。私は完璧です。私は強靭です。私には力があります。私は愛情豊かです。私は調和が取れていて幸せです。』
『ザ・シークレット』(発売日: 2007年10月、著者/編集: ロンダ・バーン, 山川紘矢、発行元: 角川書店)から引用
この文章は、8月末に友人からひょっこり勧められて読んだ本の中にあった一文です。
まぁ、ご想像の通り、この文章を目にした私の感想は「なんじゃ、そら・・・」というものでした。(笑)
もともと意識高い系の方々が推奨する「ポジティブシンキング」という音の響きに「胡散臭さ」を感じる体質の私ですから(笑)、この一文でアレルギー反応が起きたのも無理のないことではあるのです。
『ザ・シークレット』という本は、この世には万有引力と同じように「引寄せの法則」があり、人間の思考は磁気であり、思考の「周波数」に対応することが、何らかの方法で引き寄せられるというものです。
スポーツ選手がものすごくリアルにイメージトレーニングをして、「自分にはそれができる」と信じられた時ベストパフォーマンスを発揮する、これは「科学的な方法」として多く取り入れられていますよね。
「引寄せの法則」をそれくらいの気合で日常生活に実践すれば、自分の望んだものが具現化すると、強烈にオススメされています。
これまでは一部の成功者しかこの法則を知らず、一般ピープルに隠されていた「秘密」が「引寄せの法則」なのだそうです。
日本という東洋の小さな島国の中でも僻地と言えるど田舎に住む「真正の田舎者」の私は、西洋の「一神教」由来の道徳観が、よく分からないし、あんまり肌に合いません。
牛や豚を串に刺してぐるんぐるん回して姿焼きにして食べられる人たちが、捕鯨を「非人道的」と言っているし、死刑なんて野蛮だと言っている人たちの国では、逮捕時に抵抗したら射殺されているし、、、。
私は、「正しい」ことを振りかざす人が「胡散臭い」と思えてならないのです。
「正しい」という言葉は、必ず「一面では」とか「今の状況なら」という前提条件があって使われるべき言葉です。
「正しい」ことを信じる人たちは、自分が信じる「正しさ」の中にいない人たちへ、それはもう残酷なことをします。
「善意にもとづく正しさ」の暴力によって、どれほど多くの人の心が潰されてきたことでしょう。
私は、日本人が古来から神器としている「勾玉」のように、目に見え、形を成し、認識ができるのは半分、目に見えず、形を成さない、認識できない残り半分を合わせて「円」になるという考えの方に親近感を持つのです。
そんな私は、冒頭の一文のぶっ飛んだ「全肯定」に出会った衝撃で、逆に引っ掛かってしまいました。(笑)
これは「ポジティブシンキング」の究極、「プラス思考」の最高峰です。
正気の人間で、どうやったらこれに共感できるのか知りたいものだと、むくむくと興味が湧いてきました。(笑)
宗教的な場面以外で、シラフで、「私は完璧です」という人間に出会ったら、速攻で遠くに逃げます。
自分の欠点が見えない愚か者か、自分に欠点がないと思いこめるほど自我が病的に肥大した狂信者か、宇宙からの電波を受信する人たちです。
「むむむ・・・・・」、スマホで無料アニメを楽しみながら数日、折りに触れてこの言葉を繰り返し考えました。
・・・暇なんです。(笑)
そして、いつものように変わり映えのしない、でも一瞬たりとも同じではない、近所の自然の中をカメラ片手に散歩している時、答えが見つかりました。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「逍遥学派」を創設し、逍遙(散歩)をしながら講義を行ったそうですが、まことにもって、散歩は「頭にいい」のです。(笑)
私は野に咲く花が好きで、散歩の途中で見つけたら「ときめき」ます。
そんな私でも、春にアチコチで咲いていた「すみれ」が、初秋の今どこにあるのか、「ただの草」の姿に還ったすみれを目に止めることはありません。
でも、だから私は野の花が好きなのです。
誰からも求められず、誰からも賞賛されず、生まれ落ちた場所の条件を受容し、懸命に根を張り、懸命に葉を伸ばし、時期が来れば花を咲かせ、実を実らせ、私にときめきと微笑みを恵んでくれます。
踏まれても起き上がるしたたかさ、痩せた土地に根を張り花を咲かせる強さに、限りなく共感します。
そして、私は思いました。
野に咲く「すみれ」が、あの言葉を言ったのなら、私は大賛成するだろうと。
『私はすべてです。私は完璧です。私は強靭です。私には力があります。私は愛情豊かです。私は調和が取れていて幸せです。』
すみれという一つの小さな花に、宇宙の謎の「すべて」が詰まっています。
これほど科学技術が進歩しても、無からすみれを作り出すことは人間には出来ないのです。
そこにあるすみれは「完璧」です。
種の状態、種の落ちた土地の運不運、お日さま、雨、風、寒さ暑さ、全ての条件が揃って初めてすみれはそこに咲いているのです。
数多くの種が発芽せずに土に溶けていく中で、そこに咲いているすみれは「完璧」なバランスの上に立っているのです。
すみれはもちろん「強靭」です。
数え切れないほどの多様な植物の中に生きて、今日まで種を保つしたたかさがあります。
すみれには、生き抜く力(パワー)「雑草魂」があります。
すみれは「愛情が豊か」なので、私を微笑ますことができます。
すみれは「調和が取れていて幸せ」で、見る者の胸を打つほど美しいです。
野に咲くすみれがこのように言った時、「いや、葉っぱに虫食い跡があるから完璧じゃない」とか、「他のすみれに比べたら、花が一回り小さいから弱々しい奴だ」という人はいないでしょう。
私はすみれほど美しくはありませんが、人間界の雑草、野の花の一つです。
野に咲く虫食いすみれが「完璧」なのと同じ理由で、わたしもまた「すべて」であり「完璧」であり、「強靭」なのではないかと思いました。
正しさを振りかざす他人を非難している私自身が、「私は」「私は」という肥大したエゴを持った人間だと思いました。
野に咲くすみれの葉っぱの虫食いが許せるなら、私自身の「虫食い」もまた許せるはずなのです。
そして私も、今の私が「調和が取れていて幸せ」だと思ってもいいんだと思いました。
これって「プラス思考」・・・ですよね?(笑)
次は
です。
そうですね
し
「一輪の花に如かず」
野に咲く花を思ひ見よ、紡がず、織らざるなり。
されど我汝らに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに其の裝ひ
この花の一つにも及(し)かざりき。
今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神は かく
裝ひ給へば、まして汝らをや 嗚呼信仰薄き者よ。マタイ傅 6:28
とイエス様も言いました。これを仏教ぽく言えたらいいですね
帰国子女なので学校で毎朝ミサのようなのがあり…いやでも
聖書が頭に入ってしまいました
ところで甲状腺は亜急性甲状腺炎でした。ご心配おかけしました
ふるゆらさんが何でもなかったとなりますようにと仰ってくださった
からです。ありがとうございます
ゆうこさん、よかったですぅ♡
ほんとうにほっとしました。
さぞ、はらはらされたことでしょう、お疲れさまでした。
「一輪の花に如かず」
いい言葉です。
多種多様な花、多種多様な自然、多種多様な生き物、人間が浅はかに「閃いた」と思いつく色彩やデザインや造形など、よく目を凝らしてみれば必ず自然の中に「既にある」ものばかりです。
私は最近、この句を繰り返しています。
『枯るるなら一糸纏わぬ曼珠沙華』 殿村菟絲子
お彼岸の田舎は曼殊沙華だらけです。
曼殊沙華が燃えるような赤から色褪せ、枯れていく様は、たしかにこの句のような潔さがあるのです。
人もまたかくありたいという祈りと意志が込められているように思います。
明日は台風、体調ともどもご自愛ください。