改めてかみしめる【病理組織検査報告書】の意味 (nya.18)
私、いつから乳癌だったの? (2016年3月13日~2016年3月16日)
「乳癌ステージ4」と知ったその日に、放射線治療をすると決めた私は、妙に落ち着きました。
判明したのは、最悪の結果ですが、もう「不確定な要素」に妄想をたくましくする必要がなくなったことが、何より嬉しいのでした。病院に通いながら、家族にひた隠しにすることも、もう必要ありません。
ここから先は、3月17日から「放射線治療を受ける」3月24日から「ホルモン療法を受ける」と、具体的に決まっています。
「現状を受け止め、自分に出来ることを誠実にする」だけでいいのです。とてもシンプルで、ストレスレスです。
思えば先月2月14日から一か月、ずう~~~っと「悶々と」せざるを得ない状況に置かれ、その状況にほとほと飽きていたのです。
「シンプルっていいなぁ」と3月の青空を見上げました。
これからは、手術はせず「ホルモン療法と放射線療法」のみで、治療することになりましたが、そのために私がすべきことは、・・・特にないのです。
医者や看護師の方の言う通りに、診察台に横たわったり、点滴や注射をしてもらったり、放射線を浴びたり、・・・要するに、求められるのは『まな板の上の鯉』になる覚悟のみなのです。
そう思って落ち着いて考えてみると、俄然重要になってくるデータが、先月「針生検」で採った細胞の分析結果【病理組織検査報告書】です。
「癌告知」直後に、医者が説明し、その後で別室に移動して看護師が説明しても「×△□○☆×△□○☆×△□○☆」としか理解できず、・・・意味不明だった、あの数値です。
あの時、「完敗した」と肩を落として帰宅し、泣く泣く自習して、「意味不明」から脱したことが実を結び、今回の「治療方針」が理解出来ました。
私の場合、【病理組織検査報告書】に書かれていた数値は、
核異型:軽度、ER陽性100%、PR陽性100%、HER2陰性、ki-67陽性率6.0%
でした。ね?分からないでしょ?
「癌告知」で飽和状態になっている頭で、この意味がすらすら理解できる人はいないと思うのです。
自習の結果、私の得た理解は、以下のようなものです。
『ホルモン療法』とは、癌の餌になる女性ホルモンを抑制する薬を使う治療方法です。
「陽性」や「陰性」というのは、反応の向きのプラスマイナス、「%」は、その反応の向きの強さです。
乳癌は、女性ホルモンを「餌」として活動する癌がほとんどなので、女性ホルモンを抑制することが、癌の活動を弱める「武器」になるわけです。
その「武器」がどれほど有効かを示している数値です。
私の癌細胞は【病理組織検査報告書】によると、ホルモンの感受性を測る2種類の数値が、ER陽性100%、PR陽性100%で、どちらも強「陽性」。薬によってホルモンが抑制されれば、強い反応が見込め、治療効果も高いとされます。
人によっては、ホルモンに反応しないタイプの癌細胞の方もおられるので、「陽性100%」の私は、本当に幸運だったのです。
次のHER2遺伝子も「武器」になります。
これの感受性を持つ癌細胞なら、それを利用して、癌細胞を攻撃出来ます。私のように、ホルモンは陽性だけど、HER2は陰性で効果が期待出来ない人もいますし、その逆もあり、です。
つまり、乳癌以外の臓器の癌に用いる「抗がん剤」よりも副作用が少なく、しかも効果のある治療法である「ホルモン療法」が行えることは、乳癌患者にとって、大きなメリットなのです。
「ホルモン2種類とHER2遺伝子」を合わせた3種類の「足掛かり」が、乳癌攻略の、最短にして最大のルートとなるわけです。
しかし、中には、「ホルモン2種類とHER2」全てが「陰性」の方もおられ、そのようなケースを『トリプルネガティブ』といいます。この場合は、足掛かりがないため、乳癌に特化したホルモン治療ではなく、「科学療法=抗がん剤」という厳しい治療の道を歩まれます。
残るは「核異型:軽度」と「ki-67陽性率6.0%」の意味です。
「異型度」は、普通の細胞の中にある「癌細胞=核が異型」の割合です。
多いほど、『癌の顔つきが悪い』(ひどいニキビ面みたいな感じ?)とされ、癌の悪性度(質の悪さ)の目安となります。
「ki-67」は、癌が活発なタイプかどうかの目安で、15%以上だと「活動が活発な癌」とされます。
私の幸運は、ここでも続きます。
つまり、私の癌は、『顔つきが割りと良くて、だいぶ大人しい癌』となるのです。しかも、ホルモン2種類が陽性100%なのです。
どれだけ「運がいいんだ」私、と思うと同時に、こんなに大人しい癌が、「真っ黒なPET/CT画像」になるまで全身に転移するのに「一体、何才から私は乳癌だったのだろう?」と思いました。
どう考えても、「随分前から」乳癌だったに違いないと思うのです。
最初に原因不明の微熱を発症して、検査入院をしたのが29才でした。
17年前です。ひょっとすると、その時くらいから、私は乳癌だったのかもしれません。
知らなかったこととは言え、「私って、ずう~~~っと乳癌だったのか」と思い至った時、変に自信が湧きました。
乳癌の身体で、ここ数年は間違いなく「末期癌の身体」で、もう何年も、私は「普通」に生きてきたのだから、これから先も、これまで通り生きるだけだ、と思いました。
次は、
【病理組織検査報告書】vs【ホルモン療法】=神さまの領域 (nya.19)
です。