「乳癌ステージ4」の生存率は・・・ (nya.16)
めざせ、東京オリンピック(2014年3月12日)
長い長い、この日すべての病院内「ミッション」が終わりました。
衝撃の「真っ黒なPET/CT画像」を見て、別室で「乳癌ステージ4」の検査結果を聞き、胸のCTを撮って、放射線医と話し合い、身体に青いペンで座標を描かれました。
この日の朝、家から病院に向かった私と今の私、何も変わっていませんが、人生は驚くほど大きく変わりました。
「座標のペンの色が薄くなるから、お風呂に入っても、擦らないでくださいね」と、病院を送り出された私は、「昼食を食いっぱぐれた」ことに気付き、もはや習慣となったファミレスに転がり込みました。
ファミレスで、タバコの煙とともに、「はあああああぁ」と深い深いため息をつき、今日一日の「驚愕かつ怒涛」の流れを反芻しました。
看護師に生活習慣の問診を受けた時、「酒、毎晩少々」「タバコ、毎日12本」と自己申告しましたが、目くじらを立てて「禁止」されることもなく、「ほどほどにね」と言われました。
常識的に「禁止」させられると思っていたので、禁止されないことに拍子抜けしました。
たぶん、看護師さんが私に言った「ほどほどにね」の言葉の外には、「貴女はもう、立派な末期癌。
先が長いのなら、健康のために止めた方がいいけれど、与えられている時間があんまり長くはないのだから、好きなことを止めてストレスになるくらいなら、好きなことを楽しんで」という言葉にならない言葉が前段にあるのだと思われます。
PET/CT画像の真っ黒な点々を思い出すと、改めて
『死ぬなぁ』
と思いました。
特に、脊椎の上から下まで真っ黒に骨転移していたのには驚きました。首の骨まで真っ黒だったので、「脳に転移」していてもおかしくないのが、何よりも怖いと思いました。
これまで「無邪気に」極度の肩こり、クーラー病と思っていた症状が、実は、癌の骨転移から引き起こされていたのだと思い至り、愕然としました。
ここ数年、夏になる度に痛みを抱えていた肩甲骨の間の痛みも、体温調節がうまくいかなくて微熱を出し続けていたのも、自律神経失調症と診断を受けた目まいも、あのPET/CT画像を見れば納得です。
多分これまでの「体調不良」のすべての症状が、癌の転移によって機能が阻害された結果だったのでしょう。
毎週通い続けたカイロプラクティック。
それでも肩こりに悩まされて、仕事終わりに飛び込んだ指圧。効くかもしれないと思って買った漢方薬。これまで、様々な症状で通った病院。
悔しい、私は悔しいです。
どれも徒労だったのかと思うと悲しい気持ちになりますが、何より悔しいのは、それらにつぎ込んだ「大枚」です。身体が楽になるなら惜しくない、とせっせと注ぎ込んだ私のお金。
ああ、無駄だったんですね(涙)。
積み重なったあのお金があれば、『ハワイで豪遊』してもお釣りがくると思うと、悔しくてなりません(涙)。
PET/CT画像写真は、家族に説明する資料として、プリントアウトして貰ってきました。
今この時も手元に「ずっしり」とありますが、改めて見る気力はありませんでした。
予習した「乳癌のステージ別生存率」の知識からすると、「ステージ4の10年後生存率は25%」です。
『・・・ということは、5年後で50%?5年後は、2019年・・・。えっっ、それって7年後の2020年東京オリンピックが見えない確率50%ってこと?日本がどんな開会式の演出するのか、すっごい楽しみなのに』と思った時、本当の意味で、残された時間が長くないことを実感しました。
この瞬間から、私のスローガンは【目指せ、東京オリンピック】です。
アスリートの方とは違う意味で、東京オリンピックを目指しています(笑)。
次は
です。