まいにち風太、まいにち田舎 (nya.413)
〈風太のごあいさつ〉このブログは、ラブリーなわしの写真と、季節の田舎の写真です。(写真見て「ホッ」としてくれたら、わし、嬉しいぞ♡)「にゅうがん」のことなら、最初は『“にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活” ブログについて』から読んでください。ほんなら、またお会いしましょう。
私が風太の意に染まないことをした時、「ふんっふんっ」と鼻息でアピールし、箪笥の上から見下ろすと溜飲が下がるようです。(嘆息)
そして、今日の田舎は、
地面が「みっしり」どんぐりで埋め尽くされていました。
その数を思うと気が遠くなります。
樫の木は森のお母さん。
たくさんの動植物を養う母性を感じる圧倒的などんぐりです。
次は
です。
どんぐり!!(゜ロ゜ノ)ノスゲー!!!
ええと、あのどんぐりの写真は、それでも一部を切り取ったもので、実際には大木の樫の木の大きさに合わせて、地面にびっしりどこまでもどんぐりでした。
5メートル四方があの密度でどんぐりでした。(笑)
私は今日ものすごい衝撃の大発見をしてしまいました…
あまりものすごい大発見なので今、胸が苦しく呼吸が
しづらく指が震えますが、なんとか書き終わりますように…
私は今日、神に栄光を帰すとはどういう事なのかを…
ああ、マジで息が苦しい(><)考えていたのですが
神様は人間を愛されている、という事は分かっているので
すが、どうやってそれを理解すればいいのだろうと
考えていました
愛……私の中では、たとえば人魚姫が本当に人間の男を好き
なってしまって自分の声と引換えに人間になりますが
その男にはすでに婚約者がいて恋敗れるあの話。
お姉さん達が人魚姫を助けるために自分達の長い髪の毛と
引換えに短剣を魔女からもらって人魚姫に渡すのですが
人魚姫は愛してる故に短剣で男の胸を刺せずに
海の泡になりました
…まあ、こういうことだよなあ、愛してれば、そりゃ
相手を刺せないよね…
男は人魚姫の事もすっかり忘れて楽しく婚約者と暮らして
いく…
つまり男が生きていて、存在して楽しく暮らしているのは
ひとえに人魚姫の愛の上に成り立っている…
しかし男はその事に全く気づかない…
それが本当の愛というものなんだ…と思った時に
!!!…これってこの男は私達人間じゃないかと
思いました。何も気付かず暮らしている私達が存在して
いるのは、ひとえに神様の愛の上に成り立っていると。
人間が神様を知らなくても忘れても思い出しも
しなくても感謝しなくても、それでもいい、
生きていて欲しい、存在していて欲しいというのが
神の御心だと
ゆうこさんも「何か」を気付かれたんですね。
互いの人生、互いの置かれた状況は、たぶん全く異なっているのでしょうが、互いの刺激を受けて、各々の人生に「必要なこと」が現れてくるんですね。
まったく、この世は上手くできています。
ゆうこさんの仰っている「神様」はイエスキリストさまのことをなんだろうか?と、典型的な神仏混交型の日本人である私は、その点がよく理解できていないのですが、「神様」を「自然」に置き換えてもいいのなら、仰ることがよくわかります。
『なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる』 西行
以前ブログにも書きましたが、私の宗教観はこれに尽きます。
太陽が昇り、太陽が沈むこと、冬の次には「必ず」春が訪れること、人が生きるための「前提条件となる自然の理」があって初めて人は生きることが可能になると思う時、大いなるものの「やさしい約束」を感じます。
生きることを「肯定」する愛を感じます。
ほんとですね。
神様って…何なんでしょうかね?
他に呼び様がないので…何かそういう神様的な
といいますか、宇宙、創造主、天…まあ何でも
良いんでしょうね、自然、森羅万象など。
私は無宗教ですが、個人的にイエス様は面白いので
好きですよ。優しくもあり、結構ズバズバ言う人です
イエスキリストは神様の子供です
そうですか、ゆうこさんも日本人らしく「無宗教」と伺ってほっとしました。(笑)
私自身、日本人の持つ大らかな「信仰心」が大好きなのです。
すべてのものに神を感じて、すべてのものに感謝して、お天道様に恥じない生き方をすればそれでOK。
なんて自由で楽しい国に生まれたんだろうと、八百万の神々がおられる国に生まれて良かったなぁ、と思うのです。(笑)