まいにち風太、まいにち田舎 (nya.414)
〈風太のごあいさつ〉このブログは、ラブリーなわしの写真と、季節の田舎の写真です。(写真見て「ホッ」としてくれたら、わし、嬉しいぞ♡)「にゅうがん」のことなら、最初は『“にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活” ブログについて』から読んでください。ほんなら、またお会いしましょう。
布団の感触を踏みしめて確かめたのち、風太は巡回警備に出かけました。(笑)
そして、今日の田舎は、
風の強い冬の日らしく、大きな雲がみるみる風で吹き飛ばされます。
晴れたり曇ったりを繰り返し、その度に落葉した木々の色彩が変化して見飽きません。
次は
です。
京都南禅寺から、哲学の道を銀閣寺まで歩いてきました。
南禅寺で、高い松の木の林の下に、いくつもの松の子供が育っていました。
落ちた松ぼっくりから芽が出たのだなあと、関心しました。
高い木には育たないのでしょうが、松ぼっくりが命を繋いでいると思うと可愛くて、、。
冬の凛とした空気、落葉した木々を見上げて、空をパシャ!
足元の苔と松の子供たちをパシャ!
哲学の道で出会った猫たちをパシャ!
ふるゆらさんの写真の真似をして、カメラこぞうになってしまいまいました 笑
今まで見過ごして来たアングルに目がいくということは、
知らず知らず、毎日おじゃましてきたこちらのブログで、
何げない小さな幸せ発見レッスン、、、受けていたんですね、
ふるゆらさん
体力、きっと戻ります!
骨盤に向かって息を吐いて吐いて、もひとつ吐いて
ふっと緩めると、骨盤の空洞にすうっと息が満ちていく呼吸を、野口整体の先生が教えてくださいました。
くりかえすうちに、自分の中の中心軸がしっかりしていくようで、心身ともに落ち着く気がします。
猫も犬も、本当に緩める名人!伸びして転がって、あの柔らかさ、半分分けて欲しいものですね!
ポチさん、ご心配をお掛けしてすみません。
冬の京都を旅されたのですね。良かったですね。
私も冬の凛とした空気が大好きです。
特に冬の神社仏閣が好きで、他の季節には感じることのない松や杉の微かな香りが、冬の冷たい大気に溶けだしていてうっとりします。
最も寒い大寒の頃、小雨もよいの日を狙って誰もいないマイナーなお寺に出かけたりします。
そうすると、数百年前のお寺と私の「二人ぼっち」になれて、ものすごく満たされた幸せな気持ちになれるのです。(笑)
身体のことは、ゆっくり焦らず付き合っていきます。
毎日職場に通いながら「ここはもう、私の居場所ではない」と感じていたのに、損得勘定に迷いこんでグズグズしていたというのが真相です。(嘆息)
「野生の勘」のささやきを無視して、頑固に決断を先送りし続ける私に業を煮やした守護天使さまが、「ええかげんに観念せぇよ」と更に体調を悪くすることで「導いて」くださったのだと思います。
相変わらず、私の守護天使さまは「手荒い」のでした。(笑)
いろいろな迷いや不安がありますが、私の心の奥の方で「これでいいのだ」と感じているので、この道を選んで正解なのだと思います。
私が心底求めている「穏やかな時の流れ」を模索しながら春を待とうと思います。
日曜夜、岡山での所用を終えて京都まで戻り、月曜昼までの僅かな時間でした。
何年ぶりかの京都でしたが、紅葉も散り終え、好天なのに人少ない月曜日の朝の境内、
澄み切った空気に心洗われました。静謐ということばどおり、、。
ご自分の求めるところへと運ばれてゆく、これからのふるゆらさん、
1日1日をどうかゆっくりと味わってくださいね。
新たな発見や喜びはもちろん、時には迷いも不安も!
一緒に溜息、そして、一緒に笑います。
ふるゆらさんらしく、野生の勘のままに発信していってくださいね。
ポチさんの「小さな幸せ発見レッスン」のお役に立てて嬉しいです。(笑)
人の少ない神社仏閣は、数世紀も前に、目の前にある建物を建てた無名の人々と対話することが出来るような気がするのです。
異なる時代のいろんな職人さんが、手を抜くことをせず最善を尽くした結果、現代の私が訪れて「ああ、美しいなぁ」と琴線を震わせる・・・。
無名の人の営みの「凄み」のようなものを感じます。
私もまた、私の出来る範囲で丁寧に生きればいい、それでいいと、思うのです。