『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? 』を読みました⑤ (nya.149)
上野千鶴子さん、小笠原先生、本当に『こんな本がほしかった!!』と思ってます。 (2017年3月27日)
[amazonjs asin=”4022510587″ locale=”JP” title=”上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?”]さてさて、私的に「とっても面白かった」この本の「長あ~い」感想文も今日でおしまいです。(笑)
お付き合いいただきありがとうございました。
もう少しですので、頑張ってください。(笑)
私は、2014年3月、浸潤性小葉癌=ステージ4で、骨転移無数、リンパ節転移無数と診断を受けました。
最初に10回の放射線治療を「胸椎、腰椎、左大腿骨」に受けた他は、きっぱりホルモン療法と骨転移対策の「ゾメタ」の点滴のみの治療です。
癌治療のフルセット「手術、抗がん剤、放射線治療」のうち放射線治療しか経験していません。
2015年6月に受けたPET画像診断では、ホルモン療法が奇跡的に功を奏していることが判明、現在では骨転移が4か所「だけ」に激減しています。
最初に自分が乳癌かもしれないと疑った時も「痛み」とは無縁(参照:乳癌の予兆 最初に「乳癌じゃないか」と思った時 (nya.1))、その後は放射線治療の際に「放射線食道炎」を10日間ほど患いましたが(参照:放射線治療6回目 来た!放射線食道炎 (nya.30))、それ以外で「苦痛に耐えた」こともなく、「元気に」4年目の春を迎えています。
本当に幸運に恵まれ、【乳癌ステージ4】のがん患者としては望外の「穏やかな暮らし」を満喫しています。
しかし、2014年3月の最初が、PET画像診断の画像が「真っ黒」に映るくらい「衝撃的な転移無数」状態だったことから、骨転移が4か所に激減した現在の状況を、私自身「癌が完治した」くらいの幸運と受け止めているのですが、それが大いに「勘違い」であることも分かっています。
本来、癌告知を受けた際に「骨転移が4か所あります」と言われれば【乳癌ステージ4】決定で、その事実の重さは「絶望」を覚えるたぐいの「深刻な」ものです。
骨転移無数、リンパ節転移無数だった当初、放射線医に「こんなになってたら痛いはずなんだけどなぁ、痛くない?」と首を傾げられたくらい、骨転移は「激痛」とイコールで結ばれているはずの病気です。
幸運にも「痛いばず」の病状が「痛くない」まま、ここまで来たわけですが、その分「いつ、痛くなるんだろう」と思わずにはいられません。
その時が来たら、私の生活はどのような変化するのか、何が出来て、何が出来なくなるのか、そのために今出来ることは何なのか、考え続けています。
現在は進行を食い止めているホルモン療法が効かなくなると、再び「骨転移無数、リンパ節転移無数」の身体になり、その時は今度こそ「骨転移の激痛」に向き合わなければならないのだと思います。
「死ぬ」ことは、不可避のこととして受け入れられますが、「痛みや不快」は極力避けて通りたいと思わない人はいないでしょうし、私もそうしたいと思います。
『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? 』でも「痛みのコントロール」について説明されていました。
がんの痛みを取るにはモルヒネなどのオピオイド(医療用麻薬)が有効であり、モルヒネは不安を和らげて幸せな気分をもたらす効果も期待できます。・・・・・身体的疼痛については、病院やホスピスの方に軍配が上がると思っている人が多いのですが、それも違います。身体的疼痛はオピオイド(医療用麻薬)ができたことと、夜間セデーション(夜間は睡眠薬でぐっすり眠り、痛みを感じないようにする方法)を実施することで、病院で受ける以上の緩和ケアが自宅でも期待できるようになりました。そもそも病院でモルヒネを300mg投与していた人でも、自宅に戻った途端、その量が半分になることもあります。・・・・・骨転移などの痛みは必ずNSAIDs(鎮痛解熱剤)と胃粘膜保護薬を使う。・・・・・情報を集めてクリニックが見つかったら、予約をとった上で実際に出向き、最初に「最期まで家で暮らせますか」と聞いてみることをおすすめします。さらに、何年くらい在宅でのモルヒネ治療をしているか、在宅看取り率はどれくらいか、などを尋ねてみてください。在宅看取り率とは、当該の医師がかかわった在宅患者の死亡総数のうち、在宅で看取った人の数の割合をいいます。数字が高ければ、より多くの人が最期まで家で過ごせた、ということで、在宅医療の質の高さを表す指標になっています。・・・・・
(注:「・・・・・」は私が省略したものです。著書の本意が歪んで伝わっているかもしれません。ご興味のある方は、ぜひ著書の原文を省略なしで読んでください。)
小笠原先生は、モルヒネを使用することで「痛みのコントロール」が可能になっているので、そのことの心配をするよりは、そのような時の自分をサポートするネットワークを作ることに腐心した方がいいと言われています。
本当に、私の住む地域に「小笠原先生」がおられれば、これほど安心なことはないのですが・・・・・。(嘆息)
小笠原先生のクリニックでさえ、往診可能な範囲は「車で片道15分から20分程度」と言われています。
たとえ「小笠原先生」のような往診をされる医師が私の住む地方におられたとしても、県庁所在地から車で1時間弱の私の田舎では、「エリア外」として断られるのではないかと思います。(嘆息)
私の兄(くも膜下出血で高次脳機能障害、左半身不随、車いす生活)が、手厚い福祉行政を求めて遠く離れた街で一人暮らしをしているように、人もまばらな「田舎」よりは人口密度の高い都会の方が「手厚い」のが現実です。(嘆息)
私の希望は「最期まで風太と遊ぶ」ことですので(笑)、今住んでいる田舎の今住んでいる家を離れることは考えられません。
なかなか厳しい条件ですが、「東京オリンピック」を目指して長生きし、国の「在宅医療の充実」という方針が田舎まで浸透するのを待つと同時に、「道がなければ作ればいい」と考えて、腐らず、「私の田舎で可能な限り」のネットワークを作り、私自身が「モデルケース」となるくらい頑張ってみようか、と思っています。(笑)
最後に、『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? 』で「日本在宅ホスピス協会会長であり、がんの在宅看取り率95%の小笠原文雄医師に、上野千鶴子が67のきわめて具体的で役立つ質問をする。」中の、Q66とQ67を紹介して、「感想文」を終えたいと思います。
Q66 お話をお聞きして、在宅ひとり死を支えるひととしくみさえあれば、おひとりさまでも家で安心して死ねることがわかってきました。あとは死んでいくわたしにその覚悟があるかどうか、だけです。死にゆく者に必要な、心がまえや準備があれば、教えてください。
A66「在宅ひとり死の心がまえ」
①生まれる所はきめられないが、死ぬ処は自分で決める。
②ところ定まれば、こころ定まる。だから穏やかに死ねる。
③その人らしい暮らしの中に希望死・満足死・納得死が訪れる。
④死ぬ時には全身に多幸物質が分泌されるので苦しくない。
⑤家族(親族)に自分の意思を伝え、記録に残す。
⑥寝る・温める・笑うことが免疫力を高め、延命効果があるので、元気で長生き、最期まで機嫌よく。
⑦手を握ることで、触れ合う・かかわる・心が通う。
⑧のんびり両手をあげて、あくびをする(心の中でも可)
⑨在宅ホスピス緩和ケアの医師(ケアチーム)を見つけておく。
⑩お金があればあるように、なければないように旅立てる。
Q67 在宅ひとり死を見送る側の心がまえを教えてください。
A67 「在宅ひとり死を見送る側の心がまえ」
①「在宅ひとり死の心がまえ」をしっかり理解する。
②旅立つ本人の意思をかなえることを最優先する。
③黙って見守ることも愛だ、と心得る。
④旅立つ人は自分のために家族が犠牲になることを望んでいない、と知る。
⑤慌てず、騒がず、驚かず、腹を据えることが肝要だと心得る。
⑥医療・介護、何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
⑦癒しを提供するものは自ら癒されていなければならない。
上野千鶴子さん、小笠原先生、「希望」をありがとうございます。
私は「在宅ひとり死」でいこう!!と思います。
読者の方々には、それぞれの事情、それぞれの選択があろうかと思います。
どのような道を選ばれようと、心の隅に、著者のお二人の「知恵」が宿り、「納得」できる生き方や死に方を考える時の参考になれば幸いです。合掌。
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