「癌の本を読む」そもそも癌って・・・? (nya.53)
まず、近藤誠先生の『がん放置療法』を読んでみた (2014年6月)
5月に本屋さんに行き、癌関連本の「読書」に目覚めた私は、試しに「面白そうな」数冊を選んで購入しました。
まず選んだのは、近藤誠医師の『癌放置療法』についての本です。
選んだ理由は、「・・・たしか、この本『菊池寛賞』を貰ってベストセラーになっていたような・・・」という曖昧な記憶があったからです。
癌についての本はたくさんありますが、医療関係者向けの本は、専門用語に付いていけるはずもなく「パス」
「大衆向けに書かれた癌の本」は、まさに玉石混交で何を信じていいのかわかりません。
それぞれの著者が「癌治療」で信じていることについて、それが「なぜ正しいのか」を論じているのですが、全体を俯瞰する知識を持ち合わせない私のような人間にとって、何が「主流」で、何が「極論」なのかも分からないのです。
「極論」の本の中で、論拠として採り上げられているデータが、有意のものではなく、著者にとって都合のいいデータを「いいとこ取り」して並べられていても、それを「見破る」眼力もありません。
悲しい、最悪のパターンとして「ためになり、その気になった!!」と思う本が、特定の商品を売るための「宣伝本」かもしれません。(涙)
何を選んだらいいか分からない私は、『菊池寛賞』をまず足掛かりにしようと考えた訳です。
『菊池寛賞』とは、
菊池寛賞(きくちかんしょう)は、日本文学振興会が主催する、文芸・映画など様々な文化分野において業績をあげた個人や団体を表彰する賞。
(ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AF%9B%E8%B3%9E)
で、「文芸春秋」創始者菊池寛氏の名前を冠にした賞です。昭和28年から、年に1回「文芸春秋」の12月号で受賞者を発表という今の形で続いているものです。
近藤誠医師の『がん放置療法』が、どのようなものであるかはさておき、書かれている「癌に関する説明」は、いろんな専門家が校閲し、由緒正しい『菊池寛賞』を受賞出来るだけの「極論ではないデータ」を論拠にしているに違いない、と思いました。
【そもそも癌とは?】ということを知るための「手触り」を確かめる本として、選んだのです。
それに私の場合、【乳癌ステージ4】で「手術なし、抗がん剤なし」なわけですから、近藤誠医師が提唱する『がん放置療法』の状態と、そう離れてもいないのでは?と思いました。
近藤誠医師は、持論の『がん放置療法』を提唱することで、医療の業界はもちろん、「抗がん剤はいらない」として製薬会社の業界にも【殴りこみをかけている】方で、本当に本当に「大きな波紋」を巻き起こしています。
近藤 誠(こんどう まこと、1948年10月24日 – )は、日本の医師で元・慶應義塾大学医学部専任講師であり、現在は近藤誠がん研究所の所長である。癌の放射線治療の専門家で、癌の放射線治療、抗癌剤治療を否定している。癌の治療に対しては基本的には「放置」という方針をとっている。
(ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E8%AA%A0)
近藤誠医師の『がん放置療法』を巡っての論争は、現在も賛否両論、喧々諤々行われていますし、『がん放置療法』を否定するための本も出版されているくらいですし、近藤医師がテレビの『金スマ』に出演された時も大きな論争を呼びました。
だから、このブログで、「近藤誠医師の『がん放置療法』の本を読みました」という一文を目にした方の中には、「ああ、そう」と思われる方から、「げげげげげ」と思われる方までいらっしゃることと思います。
『がん放置療法』に関する私の感想は、また後のブログで触れることにして、今回は、【そもそも癌って、何?】という素朴な疑問について、です。
近藤誠医師の本を読んで驚いたのは、「癌」という病気について、未だに論争があり、癌のメカニズムについての定義が確定していない、ことです。
●癌細胞が体内に1個出来た時、その1個目から「転移する能力」を持つのか持たないのか。
●癌細胞の数が少ない内は「転移する能力」を持たず、増殖を繰り返す中で癌細胞が「転移する能力を」獲得するのか。
●初期の頃から癌が転移している人と、年数を経過しても転移しない人の差は何か。
●癌の増殖によって内臓の機能が阻害され、機能不全に陥ることで「死」に至るとして、癌細胞そのものが「良くない」物質を分泌し、「死」に至らしめているのか。
本を読む前の私の予想では、高名な「癌」という病気ならば、「胃潰瘍や骨折」と同じように、
「癌とは、このような症状でこのような性質を持ち、このような過程を経た場合、このような状態にいたる病気のこと」
とすっきり明確な定義があるのだと思っていたのです。
「癌の治療方法」について様々な「定義」があることは知っていましたが、「癌そのものの定義」は確定し、その上で「癌の治療方法」についての分析と論争が続いているものとばかり思っていました。
そりゃあ、「そこ」がまだなのなら、今なお「百家争鳴」「玉石混交」状態なのも頷けます。
もう一つ、近藤誠医師の本で「なるほどな」と思ったのは、『昔の人は癌で死ぬ』と思わなかった、というものです。
現代人と同じように癌細胞が体内に出来、それが増殖して死ぬことに変わりはないのでしょうが、昔は、触って分かる程に大きくなった「腫物」は別として、体内に出来た「癌」を発見する方法もなかったし、結果「癌で死んだ」としても、死の直前の「体調の異変」が「死因」だとされたのです。
私は歴史小説も大好きでたくさん読みますが、小説の中でも、昔の人の文献でも、そー言われてみれば「癌」という病名を聞いたことがない、と気付き茫然としました。
今は、体内で発生する「細胞分裂を抑制する機能を失い増殖し続ける」細胞を総称して「癌」といい、「癌が出来たらやばい」「癌を放っておいたら、痛む、苦しむ」と、思っているのですが、レントゲンやCTのない「ほんの少し前」までは、「癌」という病名そのものが希薄だったなんて、目からうろこです。
私の素朴な疑問【そもそも癌とは?】は、こうして「藪の中」へ消えていきました。(笑)
近藤誠医師の本を読んだ私の最初の感想は、「やっぱり、本は読んでみるべき、知らないことがいっぱいあるなぁ」でした。
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次は
です。
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