桜とわらびと逝く春と (nya.530)
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし (2018年 4月13日)
今年ははやばやと、桜に心乱される春が終わりました。
「世の中にたえて桜のなかりせ ば春の心はのどけからまし」
今年もまた、古今集で詠まれた在原業平のこの歌を何度も心の中で呟きました。
古今集といえば平安時代の前期に編まれた歌集で、今からざっと千年前にこの歌が作られたわけですが、この歌に限っていえば『現代語訳』など必要がないほど、真っ直ぐに共感できることがスゴイと思うのです。
千年をただの通過地点として同じ言葉を使うから、現代の私にも意味が分かるのであり、千年間絶えず「春の桜を楽しみ」にし続ける心があるから、現代の私にも心が通じるのです。
どちらがよりすごいことなのか考えると、くらくらしてしまいます。(笑)
ともあれ、今年の桜は殊の外「足が速く」て、いつもの年に「いつ咲くかな、いつかな?」と気を揉むのとは逆に、「もう咲いた、もう散り始めている」と嘆くことしきりでした。(嘆息)
・・・というのも、私は今年の春も「二つの行事」を抱えていて、そのどちらもが「桜の花が咲く時期」に左右されるものだったからです。(涙)
一つは、毎年4月にお参りさせていただいている奈良の石上神宮の「お礼参り」であり、もう一つは、私の友人たちが楽しみにしている「わらび摘み」があるのでした。
石上神宮の参拝は、自分が【乳癌ステージ4】だと知ったのが3月、最初にお参りしたのが4月だったため、毎年4月にお参りすることを心に決めているだけで、「桜」に照準を当てたものではないのですが、今年は「桜に焦る」事情がありました。
昨年の11月末に『足立美術館』に行って「老姉妹の末期の思い出旅行」がとても楽しかった様子の「老姉妹」に、「春の思い出」も作ってあげようと思い立ち、奈良の石上神宮から足を伸ばし滋賀県の彦根に行く旅行のプランを立てていたのです。
・・・というのも、「老姉妹」は、姉が82才、妹(母)が78才ですが、妹である私の母の方が、心臓に病気を抱えているために、どんどん動かなくなってきています。
あんなに働き者だったのに、この冬はほとんど「ストーブの前」から離れず、うたた寝を繰り返していました。
「母が動ける間は」と思い、年に一度、旅行に連れて行っていましたが怪しい雲行きです。(嘆息)
「いつかもう一度、老姉妹の思い出旅行を」とのんびり構えてはいられないのではないか?と思い、「急がなくては」と焦りを覚える今年の冬でした。
そこで、私の体調のこともありましたが、この春「老姉妹の思い出旅行、春編」を断行することにしました。(パチパチパチ)
欲張りな私は「どーせなら桜」と思い、桜の開花を例年通りの4月上旬ごろと見込んで宿や観光タクシーを早々と手配していたのです。
ところが、今年に限って桜が1週間も前倒して咲くではありませんか。(涙)
山の桜が満開になるのを見て、「あ?こりゃ旅行の頃には桜が散って終わっている」と観念した私は、急遽「老姉妹」を車に乗せて近場の桜の名所に連れ出しました。
「もうこれで、今年の桜は見納めです。旅行先の桜が散っていてもがっかりしないように」と言い含め、「満開の桜」の下で、お酒を飲ませ、お弁当を食べさせ、短時間かつプチお花見を済ませました。(笑)
昼からお酒が飲めれば「いつだって」ご機嫌の老姉妹です。(笑)
強陽性の単純な「家系」で助かります。(笑)
私が休職をして、自由な時間があってこその「力技」です。(笑)
3月も終わりの頃でした。
さてさて、これで一つ、桜に関する懸案事項が解決されたわけですが、もう一つ「わらび摘み」が残っています。(嘆息)
これはもう、我が家の「春の行事」として「恒例」になっています。
最初は母のみが「母の友人たち」と山に分け入っていましたが、「歳月人を待たず」、母の友人たちは山に分け入る脚力を失い、ついに母が一人となってしまい、そこで40才も後半となった娘の私が、呼ばれるようになりました。
これが「世代交代」というものなのでしょう、わらび摘みに行ってみると案外楽しく、翌年は、「私の友人」を誘うことになりました。
年を重ねるたびに「私の友人」が増えていき、今年は5人の友人が「わらび摘み」に参加することになりました。(笑)
私と違い、友人たちはそれぞれ仕事を抱えていますので、「わらび摘みの日」は、今年に入って早々に決定し、「その日」は冠婚葬祭並みの一日として休みを確保していますので、少しばかり春が早いからと言って変更もできません。
これまた「あああ、桜が散る・・・」と気を揉みながら、桜を眺める日々が続きました。(嘆息)
桜が咲き始める頃とわらびが萌え出るのは「同時」なのです。
だから毎年「お花見」と「わらび摘み」のどちらを優先すべきか悩むのです。(笑)
そのうえ、今年は3月下旬と4月上旬の気温が30度近くなり、いつもなら桜が散ってから咲き始める「山つつじ」も桜と一緒に咲いてしまいました。
「あああ、春が逝ってしまう」と山つつじを見ながら思ったのは、老姉妹のプチお花見を済ませた帰途のことです。
わらびは摘んだものをそのまま食べられるものではなく、藁の灰で灰汁(あく)を抜くのに1時間ほどかかります。
友人が集まってわらびを午前中に摘んでも、その日の昼食に食べることは適いません。
例年、母と私で「下見」を兼ねて数日前に「プレわらび摘み」をします。
今年は母が「行かない」というのではないかと思いましたが、そこは「お百姓DNA」に潜む狩猟採集の血が騒ぐらしく、「行く」と言います。
「やれやれ、結局モチベーションの問題なんだ、この調子なら旅行も大丈夫かもしれないな」と胸を撫で下ろしました。
そして張り切って山に分け入る母を見て安心したのもつかの間、1時間に満たない「わらび摘み」で3回もこけて尻もちをついてしまいました。
やはり、達者なのは口だけで、踏ん張る足の力が弱ってきているのです。(嘆息)
一度などは、母が転んだ様子なので振り向いてみると、枯草の間から長靴を履いた足だけが空に向かって伸びていて、「こんなに見事にこけた人を見るのはドリフのコント以来かな」と感心しました。(爆笑)
それでも大したケガにならないのは、鬱蒼と茂った山草が枯れては腐葉土となり、ふかふかふわふわの斜面になっていることと、茂った枯草の間に踏み入れているので、斜面であっても転がり落ちることがないからです。合掌
私自身の体力温存のためにも、短時間で切り上げた「わらび摘み」でしたが、母もまた、自分の体力の低下を実感したようで、私の友人たちが集まる本番当日は「自宅待機」すると宣言しました。
私は私で「お百姓DNA」に潜む狩猟採集の血が騒ぎ、無理な体勢からわらびを摘もうとした結果、半年前の骨折事件をすっかり忘れて時を過ごし、右足首の傷跡が少し熱を持った感触があり、本番当日に再度「わらび摘み」をすることを棄権することになりました。(嘆息)
その日は、花散らしの雨が降る直前で初夏のような陽気でした。
そして「わらび摘み」当日は、花散らしの雨が寒冷前線を引き連れて、凍えるような強風と晴れたり曇ったり雨がパラついたりを繰り返す一日でした。
「わらび摘み」をこの日と決めたからには「雨天決行」を辞さない気構えの友人たちです。(笑)
それに「わらび摘み」は天然のボルタリング、過酷なスポーツと同じで、始めてしまえば気温が低い方が汗をかく量が少なくて済むのです。(笑)
プロ(朝早く目覚める老人たち)に先行して「わらび摘み」をしようと思えば、夜明け前に山に分け入る闘志が必要です。
今年もまた、「わらび摘み」のプロが朝一番に収穫を終えた後の『摘み残し』狙いです。(笑)
でも、彼らは「目が薄い」ため見逃しが多くあり、かつ、彼らの弱った筋力では分け入ること出来ない急斜面にもわらびは生えているのです。(笑)
ウィンウィンの関係が成立するのでした。(笑)
私は道案内に徹し、「わらび摘み」の現場に友人たちを「放牧」し、ぶらぶらと散歩をして友人たちの狩猟採集の本能の火が消えるのを待ちました。
やはり「春が逝ってしまった」あとだけに、例年よりわらびが少なく友人たちは苦戦していましたが、そこは体力気力に溢れる「アラフィフ」の女たちです。
急斜面や野茨の茂みの中などを果敢に攻め、例年と同じくらいの量のわらびをゲットしました。(笑)
その後はわが家に戻ってわらびの灰汁抜きをして、その灰汁抜きのお湯が冷める間に、「自宅待機」の母が準備した「山菜おこわ」を昼食に食べて解散です。
急ぐ用事のない友人と、いつもこのブログの写真を撮って歩いている自宅周りの散歩道を案内したりして春の一日は終わりました。
何かと「行事の多い」今年の桜シーズンでしたが、どうやら私の体調も保つことができました。
疲れた翌日は「寝て過ごす」ことができる今の生活なら、恐れていたほど背中の痛みを患わずに済むことを発見しました。
自分が【乳癌ステージ4】と知って5回目の春に友人たちと「わらび摘み」できることの奇跡のような幸せと、やはり、今の私に合った「働き方」を模索しようと改めて心に誓った春です。
次は
です。
桜満開の下でお花見しながら、お酒を呑んだりお弁当食べたり…
最高ですね!贅沢なひととき。うらやましいな。
御母様、お怪我なくて良かったです。
しりもちは怖いですよ~転びかたお上手なのかも
右足首を考慮した棄権!!←ナイス判断です!無理しないでくださいね~
桜前線はいまどのあたりでしょうか。
楽しみです!
はい、休職して得た「得難い」時間です。
今、生きていることを含め「偶然」として出会う様々な瞬間を楽しみたいと思います。